第13話:眩しい人たちと増える居候(2)
テレビをつけたまま、結衣と二人でこたつに入っていた。
テーブルの上には、さっき開けた焼き菓子の袋と、飲みかけのカフェオレ。テレビではアイドル番組の余韻のような情報コーナーが流れているけれど、もう二人ともろくに見てはいなかった。
「でも、ほんと可愛かったよね」
結衣がクッキーをかじりながら言う。
「ゆみりん、顔小さすぎてびっくりした」
「それは思った」
「でしょ? あれ現地で見るともっとやばいから」
「現地で見に行く予定はないけど」
「もったいないなあ」
そう言いながら、結衣はこたつの中でだらっと足を伸ばした。本当に、この家に慣れすぎている。
「というか杏里、最近ちょっとこういうのも見るようになったよね」
「何が」
「テレビとか、ライブとか」
「……結衣がうるさいからでしょ」
「絶対それだけじゃない気がするけどなー」
「はいはい」
杏里が適当に受け流した、その時だった。玄関の方で物音がした。
「あ、帰ってきたんじゃない?」
時計を見ると、たしかにそのくらいの時間だ。鍋島は電車で帰ると言っていたし、ライブ終わりなら妥当な時間だろう。
少し遅れて、玄関の扉が静かに閉まる音がした。そのあと、廊下を歩く気配が近づいてくる。
「ただいま」
鍋島の声がした。
「おかえりなさい」
「おかえりー、なべさん!」
結衣もこたつから顔を上げる。
けれど次の瞬間、居間の入り口に現れた鍋島の姿を見て、二人そろって言葉を失った。
鍋島は胸元に、小さめのダンボール箱を抱えていた。
「……何、それ」
杏里が先に口を開く。
鍋島は少し困ったように笑った。
「いや、その……」
彼が居間の真ん中まで来ると、箱の中をそっとのぞき込むような仕草をした。杏里も結衣も、吸い寄せられるように身を乗り出す。
中には、キジトラの子猫がいた。
「えっ」
結衣が声を上げる。
「うそ、かわい……!」
子猫はまだかなり小さい。丸まっていた体をもぞもぞと起こして、細い声で一度だけ鳴いた。ダンボールの縁には、マジックで雑に書かれた文字が見える。
『拾ってください』
杏里は目を凝らした。
「……本当に書いてある」
「駅の裏の植え込みのところに、置かれてました」
鍋島が静かに言う。
「こんなに可愛いのに捨てるなんて、ありえないんだけど」
結衣がすぐに憤慨する。
「ですよね」
鍋島は箱を下ろしながら、小さく息をついた。
「そのまま通り過ぎようと思ったんですけど……こいつも帰る場所がないんだと思ったら、ちょっとほっとけなくて」
その言い方に、杏里は思わず箱の中の子猫を見た。
帰る場所がない。
その言葉の重みを知っているのは、たぶん自分だけじゃない。
「……たしかに、そうだね」
杏里がぽつりと零すと、鍋島が少しだけ視線を上げた。けれど彼は何も言わず、代わりに子猫の頭をそっと撫でる。
結衣はすでに完全に子猫に夢中だった。
「やばい、ちっちゃい……! しかもキジトラじゃん。かわいすぎる」
おそるおそる指先を近づけると、子猫は少しだけ鼻を動かした。
「ねえ、全然怒らないよ」
「だいぶ弱ってるのかも」
鍋島が言う。
杏里はすぐに立ち上がった。
「ミルクとか、何かいるんじゃない?」
「猫用ミルク、買ってきてます」
鍋島が紙袋を持ち上げる。
「さすがにそのままじゃまずいと思って」
「さすがなべさん。ちゃんとしてる」
結衣が感心したように言う。
「なべさん、居候拾うの慣れてる?」
「慣れたくない分野ですね」
「でも拾ってるじゃん」
「拾ってますね」
鍋島が小さく笑う。その横顔は、すでに子猫に情が移っているのが丸分かりだった。
「でも、うち賃貸だから飼えないんだよね……ペット不可だし」
結衣が残念そうに口を尖らせる。それから、ぱっと杏里を見た。
「でも、杏里んちなら飼えるんじゃない?」
「え」
いきなり振られて、杏里は目を丸くした。
「いや、急に居候が増えるなんて困るんだけど」
「増えても一匹じゃん」
「一匹って……」
「しかもこんな小さいし」
「そういう問題じゃないでしょ」
口ではそう言いながらも、杏里の視線は自然と鍋島の方へ向いてしまう。ダンボールのそばにしゃがんで、心配そうに子猫をのぞき込んでいる彼。
――でかい一匹目の居候。
その言葉が頭をよぎり、杏里は少しだけ眉を寄せた。けれど次の瞬間、「今さら二匹に増えたところで、そんなに変わらないか」という妙に雑な考えもよぎってしまう。
「……」
杏里は小さく息を吐いて、台所へ向かった。
「え、どうしたの?」
「ミルク、準備する」
そう返すと、結衣の顔がぱっと明るくなる。
「え、じゃあ飼う方向?」
「まだ決めてない」
「でも準備はするんだ」
「うるさい」
鍋島は何も言わず、ただ少しだけやわらかい表情で杏里を見ていた。
猫用ミルクを小皿に移し、人肌ほどの温度にする。杏里はそれを持って戻り、ダンボールの前にしゃがみ込んだ。
「飲むかな」
「お腹は空いてそうですけどね」
鍋島が静かに言う。
杏里がそっと差し出すと、子猫は最初だけ鼻をひくつかせ、それからすぐに顔を寄せた。次の瞬間、ものすごい勢いで飲み始める。
「うわ」
結衣が思わず笑う。
「すごい!」
「本当に……」
杏里も少し目を見開いた。
子猫は夢中になって、小さな体を揺らしながらミルクを飲んでいる。さっきまで弱々しく見えたのに、その飲みっぷりだけは驚くほど力強い。
鍋島が小さく笑った。
「よっぽど、腹が減ってたんですね」
その言い方に、杏里も結衣もつられるように笑った。
「すごい飲みっぷり」
「かわいい……」
結衣が頬を緩める。
杏里は小皿を支えたまま、子猫の小さな頭を見つめた。
困る、と思っていたはずなのに。その必死な様子を見ていると、頑なだった気持ちが少しずつ解けていく。
困る。けれど、置いておけない。
その感覚を、杏里はもう知っていた。
子猫がようやく顔を上げる。口元に少しだけミルクをつけたまま、きょとんとした目でこちらを見た。
「……どうするの、本当に」
杏里が小さく呟くと、
「どうします?」
鍋島も同じくらい小さな声で返した。
その声には、もう半分以上、答えが混じっている気がした。
「これ、もう決まりじゃない?」
結衣が二人を見て、にやっと笑う。
「決まってない」
「いや、だって二人とも、もう保護者の顔してるんだもん。見れば分かるよ」
杏里は反論しようとして、でも言葉が続かなかった。箱の中でミルクを飲み終えた子猫が、満足そうに小さく鳴いたからだ。
静かな居間に、その声だけがやわらかく響いた。
その小さな音が、新しい何かの始まりのように聞こえてしまったのは、たぶん杏里だけではなかった。




