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三日月ロケット、居候中  作者: あしゅ太郎


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2/13

第1話:週末の喧騒と、予定外のゲスト(1)

 週末の大型商業施設は、昼を過ぎてもずっと落ち着かない。


 家族連れの子どもの声、買い物袋が擦れるカサカサという音、どこかの店先から流れてくる陽気なBGM。それらすべてが巨大な器の中で混ざり合い、館内を満たしている。


 杏里(あんり)はレジ横のカウンターで、値札の束を整えながら小さく息を吐いた。


 制服のワイシャツの袖を肘までまくり、エプロンの紐を結び直す。棚に並んだ中古の食器や古本の背表紙は、客が手に取るたびに少しずつ場所がずれていく。そのわずかな乱れを、暇を見ては正すのがいつものルーチンだった。


 接客は嫌いじゃない。


 話しかけられれば笑って返せるし、案内だって淀みなくできる。けれど、このにぎやかな空気そのものは、昔から少しだけ苦手だった。


 ここで働き始めて三年目。


 館内の騒音にも人の流れにも慣れたはずなのに、土日のざわめきだけは、今でも少しだけ肩がこる。


藍原(あいはら)さん、この棚の値札って入れ替え済みでしたっけ?」


 声をかけられ顔を上げると、後輩の大学生スタッフが申し訳なさそうにタグの束を持って立っていた。


「あ、まだです。今やりますね」


 タグを受け取り、棚へ向かう。


 ワイシャツにエプロン。鏡を見なくても、今の自分がどんな顔をしているかは想像がついた。きっといつも通り、少し気の抜けた「仕事用の顔」だ。黒髪を後ろでお団子にまとめただけの、華やかさとは無縁のスタイル。接客業としては、そのくらいがちょうどいい。


 値札を差し替えながら、ふと館内放送が耳に入った。


『――本日、特設ライブブースでは……』


 聞き慣れた案内だ。


 施設の一角にある小さなライブブースでは、週末ごとに芸人やアイドルのステージが開かれ、館内をいっそう華やがせる。


 杏里自身は興味がない。けれど、親友の結衣(ゆい)が頻繁に観に来るせいで、出演者の名前や顔ぶれは勝手に覚えてしまった。


「三日月ロケット」に「虹色トランジスター☆」。


 ポスターを何度も見ているうちに、記号のように脳内に刷り込まれている。


 結衣は今日もライブに来ているはずだ。仕事が終わったら駐車場で合流して、そのまま杏里の家へ行く予定になっている。コンビニで適当なものを買い込み、だらだらと喋り、結衣が勝手に冷蔵庫を開けて、気づけば夜になっている――。


 そんな、いつもの気楽な時間を思い浮かべると、ようやく少しだけ肩の力が抜けた。


 仕事終了まで、あと三十分。


 杏里は時計を確認し、最後の品出しへ向かった。


 閉店作業を終えてバックヤードを出る頃には、あれほど酷かった人の波もすっかり引いていた。


 エプロンをロッカーにしまい、薄手のカーディガンを羽織る。スマホを確認すると、結衣から威勢のいいメッセージが届いていた。


『ライブ終わった! 三日月ロケット、今日めっちゃウケてたよ!』


『あとで話す!』


『駐車場むかうねー』


 相変わらずのテンションだな。


 杏里は少しだけ口元を緩め、了解とだけ短く返信した。


 従業員用出入口から外へ出ると、夕方の空気は思いのほか冷たい。昼間の熱気が嘘のように静まった駐車場には、遠くを走る車のエンジン音だけが反響していた。


 自分の車を目指して歩いていると、視界の端に見覚えのある人影が映った。


 背の高い男が、スマホを片手に足元をじっと見つめている。駐車場の白線の上を何度も往復しながら、何かを探しているようだ。


 黒髪に、すっきりとした顔立ち。


 舞台の上では遠い存在に見えるのに、こうして私服に近い格好でいると、ひどく「普通の人」に見えた。


(三日月ロケットの……鍋島(なべしま)さん?)


 杏里が思わず足を止めた、その時だった。


「なべさん!」


 聞き慣れた声とともに、結衣が小走りで駆け寄ってきた。茶髪のロングヘアを揺らし、口にはお決まりの棒付きキャンディー。


「え、どうしたんですか?」


「ああ、ちょっと……鍵をなくしちゃって」


 鍋島は困ったように笑った。


 その顔は、客席を沸かせている芸人とは思えないほど弱り切っている。


「家の鍵ですか?」


「うん、シェアハウスの。出る時はあったんだけど」


「来る途中は? さっきまでいた場所は探しました?」


「駅からここまでと控え室付近は見たんだけど、なくて。スマホで誰か呼びたいんだけど、あいにく充電が切れそうで……」


 見せられた画面の端には、赤い数字が弱々しく表示されていた。


 本当に困っているらしい。結衣はすぐに「うわ、最悪じゃないですか」と眉を寄せた。


 杏里はその横で、どうしたものかと立ち尽くす。


 見て見ぬふりをするほど冷たくはない。けれど、自分に何ができるわけでもない。


「駅とかに問い合わせるのが先じゃないですか?」


「そうだね。帰りにもう一度見に行くつもりだけど、今はまず相方と連絡が取れれば一番早いかなと思って。でも、あいつとも繋がらなくて……」


 鍋島はもう一度スマホを覗き込んだ。


 落ち着いた振る舞いの中に、隠しきれない焦燥が混ざっている。


 ふと、結衣がちらりと杏里を見た。


 嫌な予感がした。


「……ねえ、杏里」


「やだ」


「まだ何も言ってないじゃん!」


「顔がもう言ってる」


 即答したが、結衣は一ミリもひるまなかった。むしろ楽しげに目を細める。


「だって、このまま寒い駐車場で待たせるわけにいかないでしょ。どこか座れる場所があったほうがいいじゃん」


「館内に戻ればいいじゃん」


「もう閉館作業入ってるって」


 痛いところを突かれた。


 杏里が言葉を詰まらせた隙に、結衣は獲物を捕らえた顔で鍋島に向き直る。


「もしよかったら、連絡がつくまで私の――じゃなくて、友達の家で待ちますか?」


「え」


 杏里の声が、変な高さで漏れた。しかし結衣は完全無視だ。


「ここからすぐだし、外より全然マシですよ」


「いや、そんな。さすがに悪いでしょ」


「でも、本当に困ってますよね?」


「……それは、まあ」


 鍋島が申し訳なさそうに、杏里の方を見る。


 その視線とぶつかった瞬間、猛烈な気まずさが襲ってきた。


 断りたい。いや、常識的に考えて断るべきだ。そもそも、なぜ私の家が拠点になっているのか。


 けれど、困り果てている人間を冷酷に突き放せるほど、杏里は器用な性格をしていなかった。


 杏里は眉根を寄せたまま、結衣を思い切り睨みつけた。


「……なんで私の家が前提なの」


「だって、近いじゃん」


「理由になってない」


「杏里、こういう時ほっとけないタイプでしょ?」


「……卑怯」


 結衣はニカッと笑った。勝てる気がしない。


 鍋島がさらに深く、頭を下げる。


「ほんとに、連絡がつくまででいいので。無理なら全然いいんです、すみません」


「…………いや」


 そこまで謙虚に言われると、拒絶の言葉が喉に引っかかる。


 杏里は大きく、諦めの混じった溜息をついて、車の鍵を握り直した。


「……少しだけですからね」


「やった!」


「結衣、喜ぶな」


「助かります。本当に……ありがとうございます」


 鍋島の言葉は妙にまっすぐで。


 杏里はそれ以上、何も言えなくなってしまった。



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