表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三日月ロケット、居候中  作者: あしゅ太郎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/12

第8話:襖の向こうの居候(1)

 その日の昼すぎ、結衣からいつものように短いメッセージが届いた。


『今日そっち寄っていい? 差し入れあるよ!』


 杏里は買い物袋を下げたまま、玄関先でその画面を見つめた。


 来ると思っていなかったわけじゃない。むしろ、そろそろ来そうだとは思っていた。けれど、よりによって今日か、という気持ちの方が強い。


 結衣にはまだ何も言っていない。


 鍋島さんが同居していることも、家の中に男物の荷物が増えていることも、あの日から生活の温度が少し変わったことも。


 言えば絶対にうるさくなる。それはもう、火を見るより明らかだった。


 けれど今さら「今日はだめ」と返すのも不自然だ。結衣は元々、気が向けばふらっと来るし、杏里もそれを断ることはほとんどなかった。


 しばらく迷ってから、杏里は短く返した。


『いいよ』


 送ってすぐ、小さいため息が出る。


「……先に言っておけばよかったかな」


 独り言を呟きながら、玄関を開けて家に入る。


 居間の方からは、テレビの音が小さく聞こえていた。鍋島さんは今日は夕方からの仕事らしく、まだ家にいる時間だ。


 買ってきたものを台所に置いてから、杏里は居間の襖を少しだけ開けた。


「結衣、今日来るので」


 そう言うと、こたつで台本らしき紙を見ていた鍋島さんが顔を上げた。


「今日ですか?」


「はい。たぶんもうすぐ」


「なるほど」


 彼は少しだけ笑った。


「じゃあ、なるべく静かにしていますね」


「それ、もうあんまり意味ない気がしますけど」


「確かに」


「というか、普通にいてください。隠れる方がややこしいので」


「分かりました。普通にいます」


 その「普通」が一番刺激強いんだけどな……とは言わなかった。


 冷蔵庫に買い出し品をしまっている途中で、インターホンが鳴った。


 早い。


 玄関を開けると、結衣がいつもの勢いのまま立っていた。茶髪のロングを揺らして、片手には紙袋。今日も快調そうな笑顔だ。


「お疲れー!」


「お疲れ。早いね」


「はい、これ。近くで見つけた焼き菓子。あんたんちで一緒に食べようと思って」


「気が利くじゃん」


「でしょ!」


 受け取ると、バターの甘い匂いがふわっと漂った。杏里は紙袋を抱えたまま、迷いなく上がってくる結衣の後ろ姿を見送る。


「お邪魔しまーす!」


「だから、自分の家みたいに言わないで」


「何回目、その会話」


 いつもの調子。それが逆に、これから起きる爆発を思うと落ち着かない。


 杏里は仏壇の前へ寄り、焼き菓子を一つ取り出して供えた。


「今日、結衣が持ってきたからね」


 おばあちゃん、甘いもの好きだったな……と心の中で呟き、手を合わせる。


 その何気ない習慣を終えてから居間へ向かったが、その時にはもう、結衣はさっさと先に行っていた。


「ちょっと、結衣!」


「いいじゃん、いつものこと――」


 結衣が勢いよく襖を開けた。


 次の瞬間、ぴたりと時が止まった。


 廊下の途中で、杏里は立ち止まる。結衣の背中が、彫刻のように固まっている。


 襖の向こうには、こたつに入った鍋島さん。家用のラフな格好で、台本を手にしたまま、不思議そうにこちらを見ている。


 数秒の、濃密な沈黙。


 結衣は無言で、すーっと襖を閉めた。


 ぱたん、と乾いた音がする。


 そのまま、スローモーションで振り返る。顔が真顔すぎて、逆に怖い。


「……杏里」


「うん」


「今、いた?」


「いたね」


「なべさん……だよね?」


「そうだね」


 結衣は何も言わず、もう一度勢いよく襖を開けた。


 やっぱり、そこには鍋島さんが座っている。


「こんばんは」


 鍋島さんが、極めて平穏な声で言った。


 結衣は数秒フリーズしたあと、ようやく肺の底から声を絞り出した。


「なんでええええええええ!?」


 絶叫が藍原家の居間にきれいに響き渡る。杏里は思わず額を押さえた。


「だから言ったじゃん」


「何も言われてないんだけど!? なんで!? なんでなべさんがこたつで丸まってるの!?」


「言ったらこうやってうるさくなるからだよ」


「うるさくなるに決まってるじゃん! 事件だよこれ!」


 鍋島さんはこたつから少し身を起こして、行儀よく頭を下げた。


「どうも。お邪魔しています」


「いやいやいや、お邪魔してるレベルじゃないでしょ、これ!」


 結衣が混乱したまま、杏里を激しく振り返る。


「何!? なんで普通にいるの!?」


「……同居してるから」


「その説明を真っ先にしなさいよ!」


 杏里は小さく肩をすくめた。


「だから、言ったらこうなると思ってたからさ」


「なるよ! そりゃなるよ! 推しが親友の家でくつろいでるとか、心臓が持たないわ!」


 結衣は両手で頭を押さえた。そのまま、もう一度恐る恐る鍋島さんを見る。鍋島さんは少し申し訳なさそうにしつつ、でもどこか面白がっているようにも見えた。


「びっくりしますよね。すみません」


「しますよ! 腰抜けるかと思いましたよ!」


「ですよね」


「なんでそんなに普通なんですか、なべさん」


「俺もまあまあ普通ではない事態だと思ってますけど、杏里さんの家なので」


 もうだめだ。収集がつかない。


 けれど、予想していたより少しだけ、杏里の心は軽かった。


 結衣の驚き方がいかにも結衣で、鍋島さんの落ち着き方がいかにも鍋島さんで。その絶妙な温度差が、どこか可笑しかったのだ。


 結衣は居間の入り口で数秒ためらったあと、ようやくそろそろと畳の上に足を踏み入れた。視線はずっと、鍋島さんをロックオンしたままだ。


「……本当に?」


「本当に何」


「本当に住んでるの?」


「見たまんまだよ」


「ええ……やば……」


「語彙力が死んでるよ」


 杏里は手に持っていた菓子をテーブルに置いた。鍋島さんがその紙袋に目を向ける。


「それ、差し入れですか?」


「あ、はい……そうです……どうぞ」


 結衣はまだ処理落ちしたような顔で、ぎこちなく頷いた。


 杏里は小さく息をつき、こたつの端に腰を下ろす。


 ここからしばらく続くであろう尋問を覚悟しながら、ようやく腹をくくった。


 親友に、ちゃんと話す時が来たらしい。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ