↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
港町の魔法郵便士は、誰かの声で未来をひらく  作者: 銀細工ナギ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/20

水門監督官から届いた、奇妙な依頼

 翌朝、リゼットは郵便局の裏口で、見慣れない封筒を受け取った。


 封蝋には、水路監督所の徽章が押されている。宛名は彼女自身だった。


「水路監督官から、あんた宛て?」


 バルド局長が背後から覗き込んだ。


「昨日の男からです」


「なら、さっさと返事を書いて終わらせな。郵便士が水路の調査なんて、聞いたこともない」


 リゼットは封筒に触れた。


 中から聞こえたのは、紙を擦る音と、低い水の流れだった。そして最後に、エドガーの声がした。


 ――日没までに、旧東水門へ来てほしい。誰にも知られずに。


 声の封じ方は簡素だった。急いで作った記録だ。けれど、その下に別の響きが重なっている。


 ――来るな。


 リゼットは思わず手を離した。


「どうした」


「いえ……何でもありません」


 彼女は返事を書いた。行きます、と。それだけだった。


 日が傾くころ、リゼットは銀笛と小さな記録石を鞄に入れ、旧東水門へ向かった。町の東端にあるその水門は、十年以上使われていない。新しい水路が丘の下を通るようになってから、石造りの門は苔に覆われ、周囲には立入禁止の札が下がっていた。


 エドガーは水門の前で待っていた。


「来てくれて助かる」


「依頼の内容を聞かせてください」


「昨日の契約書に書かれている修繕箇所が、旧東水門の地下にある。ヴァレン家は、そこを開ける許可を求めている」


「でも、使われていない水門ですよね」


「表向きはな」


 エドガーは錆びた鉄扉に鍵を差し込んだ。扉が開くと、湿った冷気が二人の頬を撫でた。


 階段は地下深くへ続いていた。壁には、かつて水量を測るために刻まれた目盛りが並んでいる。最下段まで降りると、暗闇の奥で水が流れていた。


「旧東水門は、町の水路が最初に作られた場所だ。ここから枝分かれして、港と居住区へ水を送っていた」


「今も水があるなら、完全に止まってはいないんですね」


「止めることはできる」


 エドガーが壁の大きな歯車に手をかけた。固まっていた金属が軋み、奥の水音が低くなった。


「ヴァレン家は三日後、この門を閉じるつもりだ。修繕という名目でな」


「水を止めて、町を売る」


「その声を聞いたのか」


「はい」


 リゼットは鞄から契約書を取り出した。封蝋には昨夜の亀裂が残っている。


「ここで、記録を再生します」


 銀笛を近づけると、淡い青い光が浮かび上がった。男の声が地下に響く。


 ――旧東水門の閉鎖に伴い、港湾区画への給水を停止する。


 続いて別の声が重なった。


 ――町の水を、渡すな。


 リゼットは眉を寄せた。男の声は滑らかだったが、ある一語だけ不自然に沈んでいる。


「止めてください」


 エドガーが歯車から手を離した。


「何か分かったか」


「ここです。『港湾区画への給水を停止する』という部分だけ、音の流れが違います」


「違う?」


「声そのものは同じです。でも、音の底にある反響がありません」


 リゼットは記録石を床へ置いた。石は水音を拾い、青白く光った。


「この契約の声は、最初は水路監督所の記録室で録音されています。壁が厚いので、少しだけ音がこもっている。でも、この部分だけ、広い場所で録ったように響く」


 エドガーは黙って契約書を見つめた。


「後から切り貼りされたのか」


「たぶん。別の場所で録った声を、元の記録に重ねています」


「そんなことができるのか」


「魔法郵便の技術を使えば、難しくありません。ただ、音の継ぎ目は隠せない。普通の人には聞き分けられなくても」


 リゼットは水門の奥を見た。そこには、古い刻印があった。三本の銀線が、途中で削り取られている。


「この水門には、契約を記録する装置があったんですね」


「昔の監督官が使っていた音響盤だ。今は壊れているはずだが……」


 エドガーが壁を探ると、石の一枚がわずかに動いた。奥から薄い銅板が現れる。表面には、何人もの監督官の署名と、記録日時が刻まれていた。


 その中に、昨日の契約書と同じ日付があった。


「契約は昨日作られたものではない」


 エドガーの声が沈んだ。


「少なくとも、骨組みはもっと前から存在している」


 リゼットは銅板へ耳を近づけた。冷たい金属の奥から、かすかな音がした。


 ――門を閉じるな。水は、誰のものでもない。


 女の声だった。


 聞き覚えのない声なのに、胸の奥が痛んだ。なぜか懐かしい。遠い記憶の底で、同じ声に呼ばれたことがあるような気がした。


「リゼット?」


「何でもありません」


 彼女は記録石を握りしめた。


「この音も残します。契約書だけでなく、水門そのものに記録された声も必要です」


「正式な調査記録にするには、あなたの身分が必要になる」


「郵便士では足りませんか」


「足りないと言う者がいる」


 エドガーは懐から一枚の書類を取り出した。


「だから、臨時調査員の任命申請を出した。水路監督官の権限で、今日付けで受理されている」


 書類には、リゼット・アーヴェルの名と、臨時水路記録調査員という肩書きが記されていた。


「私が、調査員……」


「音声記録の検証を担当してほしい。あなたの耳が必要だ」


 リゼットは書類を見下ろした。紙の上の名前が、いつもより少しだけ強く見えた。


「私が失敗したら?」


「記録を取り直す」


「また声が逃げたら?」


「逃げた場所を探す」


 エドガーはそう言って、任命書の空欄を指した。


「署名してくれ」


 リゼットは銀笛を置き、震える指でペンを握った。自分の名前を書き終えたとき、地下の水路が大きく鳴った。


 まるで、誰かがそれを聞いていたように。


 地上へ戻ると、空はすっかり暗くなっていた。町の灯りが水路に揺れている。


「明日から、記録室を調べる」


 エドガーが言った。


「はい。改ざんされた音の元を探します」


 二人が歩き出したとき、旧東水門の奥で、鉄の歯車がひとりでに回った。


 閉ざされた門の向こうから、三度、短い音が響く。


 ――急げ。残された時間は、三日ではない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。