第25話 大福の罠
夜の街を、透明な影がしなやかに駆け抜けていた。
菜々花は特製スーツの擬態機能を完全に稼働させ、誰の目にも触れることなくパトロールを続けていた。
「彰くん、駅前通りは異常なしだよ。これから公園の方を回るね」
インカム越しに報告を入れながら、菜々花は風を切って公園の敷地内へと足を踏み入れた。
その時だった。
(……ん?)
夜風に乗って、ふわりと微かな甘い匂いが鼻腔をくすぐった。菜々花はピタリと足を止め、匂いの源を探るようにカメレオンの左右独立した視界を動かす。
視線の先、静まり返った公園の中心にある噴水。その縁の最も目立つ場所に、ぽつんと小さな包みが置かれているのを発見した。
「嘘……あれって、彩波大福!?」
菜々花は透明な顔をほころばせ、思わずごくりと生唾を飲み込んだ。地元の名物であり、彼女の大好物であるその和菓子が、なぜかこんな夜更けの公園に放置されているのだ。
『待って、菜々花さん! ストップだ!』
インカムから、ドローンの映像で状況を確認した彰の焦った声が飛び込んできた。
『こんな夜中に、君の好物である彩波大福が噴水の中央にポツンと置かれているなんて、どう考えても不自然だ! 絶対に近づいちゃダメだ、罠に決まってる!』
「わ、分かってるよ。でも、もしかしたら誰かが落としていった奇跡の大福かもしれないし……賞味期限がもったいないじゃん!」
『奇跡の大福ってなんだよ! 食い気に負けるな、冷静になれ!』
彰が必死に制止するのも聞かず、菜々花は透明な姿のまま噴水へとすり足で近づいていった。
(直接触らなければ、罠でも逃げられるはず。長い舌で、一瞬で回収すれば……!)
菜々花は大きく口を開け、大福にピタリと焦点を合わせた。
ヒュバッ!!
空気を裂く鋭い音と共に、ピンク色の長い舌が射出された。舌先が、噴水の上に置かれた大福を正確に捉え、絡め取る。
その瞬間だった。
パシャシャシャシャッ!!
暗闇の公園を、強烈なフラッシュの光が連続して切り裂いた。
「えっ!?」
目を眩ませる閃光。植え込みの暗がりから、完全に気配を消して待ち伏せしていた桐生慧子が飛び出してきたのだ。彼女はデジタル一眼レフカメラを構え、大福を奪い取ろうとした舌の軌跡を、容赦ないシャッター音と共に連続で激写していく。
「な、なに!?」
突如として浴びせられた強烈な光とシャッター音に、菜々花は完全にパニックに陥った。
「驚き」、「焦り」、「恥ずかしさ」。極限の動揺が彼女の心を乱し、カメレオンの擬態を維持するための集中力がプツンと途切れてしまう。
空間がゼリーのように揺らぎ、透明だった菜々花の体が実体化する。鮮やかな緑色の特製スーツと、カメレオンの顔のロゴが、街灯とフラッシュの光の下にくっきりと浮かび上がった。
「見つけたわよ、カメレオンガール!」
慧子は怯むどころか、獲物を逃すまいとカメラを構えたまま猛然とダッシュで距離を詰めてきた。
「あなたの真実、私が暴いてみせる!」
慧子はカメラを下ろし、菜々花の顔を隠しているマスク(仮面)に向かって、一直線に手を伸ばした。
「きゃっ!?」
相手は悪党ではなく、同じ学校の女子高生だ。長い舌で攻撃することも、怪力で突き飛ばすこともできない。菜々花は咄嗟に体を仰け反らせて慧子の手を躱そうとしたが、執念に燃える慧子の指先が、マスクの端をかすめた。
『菜々花さん! 上だ!』
間一髪のところで、インカムから彰の鋭い指示が飛んだ。
同時に、上空で待機していたドローンが急降下し、慧子の目の前で威嚇するようにモーター音を鳴らしてホバリングする。
「くっ……何よこれ!」
慧子がドローンに気を取られた一瞬の隙。
『今のうちに壁へ! 逃走ルートは確保した!』
「ご、ごめん彰くん!」
菜々花は大きく跳躍し、公園に隣接する公衆トイレの建物の壁へとカメレオンの能力でピタリと張り付いた。そのまま重力を無視した人間離れした動きで壁を這い上がり、屋根を蹴って一気に夜の闇の中へと姿を消した。
間一髪で仮面を剥ぎ取られるのを逃れたのだ。
「……逃げ足の速いこと」
慧子はドローンを睨みつけた後、屋根の向こうへ消えた緑の影を見送った。
しかし、彼女の顔に悔しさはない。
慧子はデジタル一眼レフカメラのモニターを再生した。そこには、虚空から突然伸びたピンク色の舌が大福を捕らえた瞬間と、フラッシュを浴びて実体化した緑色のスーツ姿が、鮮明な高画質でバッチリと写し出されていた。
「ふふっ……。今日はこれくらいで許してあげる。でも、次こそは逃がさないわよ」
慧子は泥で汚れた指先でモニターを撫でながら、暗闇の公園で不敵な笑みを浮かべた。
+++
翌日の放課後。
理科準備室には、かつてないほど重苦しい空気が漂っていた。
「だから言っただろ! あんな所に大福があるなんて、絶対に罠だって!」
白衣姿の千石彰は、顔を真っ赤にして声を荒らげていた。いつもは冷静な彼が、ここまで声を大にして怒るのは珍しい。
実験用の丸椅子にちょこんと座った菜々花は、シュンと肩を落としながらも、唇を尖らせて反論した。
「だって、あんなに美味しそうな彩波大福が置いてあったら、食べない方が失礼だよ! 奇跡だって信じたかったんだもん!」
「信じるな! 君のその底なしの食い意地が、我がチームの最大の弱点なんだってどうして分からないんだ!」
「なによー! 結局は逃げられたからいいじゃない。偉そうに言わないでよ!」
「結果論の話をしてるんじゃない!」
二人のコミカルな、しかし必死の口喧嘩が理科準備室に響き渡る。
昨夜の失敗は、ヒーロー活動を始めて以来、最大の失態だった。相手が一般の生徒だったとはいえ、完全に姿を晒し、あわや正体を暴かれるところまで追い詰められたのだ。
「……はぁ。とりあえず、これを見てくれよ」
彰は深いため息をつき、頭を抱えながら手元のタブレットを菜々花に差し出した。
画面には、彩波高校の生徒たちが見ているSNSのタイムラインが表示されている。
そこには、デカデカと太字のキャッチコピーが躍っていた。
『スクープ! 緑のヒーロー? それとも拾い食いする獣? その名もカメレオンガール!! 甘い罠にかかった決定的瞬間を激写!』
記事の下には、慧子が昨夜撮影した、菜々花が大福を舌で絡め取っている超高画質の写真が添付されていた。マスクの下の素顔までは写っていないものの、その生々しい舌の質感と、特徴的な緑色のスーツ、そして「大福に釣られて罠にかかった」という間抜けな事実が、全校生徒、いや、街中に知れ渡ってしまったのだ。
「うわぁぁぁっ……! むっちゃ恥ずかしい! かっこいいヒーローのイメージが台無しじゃん!」
菜々花は顔を真っ赤にしてタブレットを机に突っ伏した。
「イメージの問題じゃない! 新聞部の桐生慧子は、真実を暴くことに異常な執念を持っている。彼女が本気で動き出した以上、俺たちの正体がバレるのも時間の問題かもしれない」
彰の言葉に、菜々花は「FBI……解剖……毎日モルモット……」という恐ろしいキーワードを思い出し、ブルブルと震え上がった。
「ど、どうしよう彰くん……私たち、むっちゃピンチじゃない!?」
「ああ。最大のピンチだ。これからは、今まで以上に慎重に行動しなければならない」
正義のヒーローとしての活躍の裏で、執念のジャーナリストによる猛烈な追及が始まろうとしている。
夕暮れの理科準備室で、秘密を共有する二人は並んで頭を抱え、深く、深いため息をつくのだった。




