第26話 迷子捜索
休日は多くの買い物客で賑わう広大な商業施設、大型ショッピングモール。
吹き抜け構造になっている華やかなメインアトリウムは、家族連れやカップルたちの談笑の声で満ちていた。
その喧騒の真上、誰も見上げることのない二階の太い装飾柱の裏側に、完全に透明化した神尾菜々花が張り付いていた。
「彰くん、モール内の東エリア、異常なしだよ」
『了解。休日のパトロールご苦労様。でも、あまり無理はしないでね』
インカム越しに聞こえる千石彰の気遣う声に、菜々花は透明な顔をほころばせた。
最近は街の平和を守るヒーローとしての活動が本格化しており、休日のパトロールも彼女にとっては大切な日課となっていた。
その時、モールの館内放送に、焦燥しきった女性のアナウンスが響き渡った。
『迷子のお知らせをいたします。青い帽子に、黄色いシャツを着た五歳の男の子が――』
ほぼ同時に、一階のインフォメーションカウンター付近から「ケンちゃん!どこなの!」という母親の悲痛な叫び声が聞こえてきた。
「迷子……!」
菜々花の心臓がドクンと跳ねた。これだけ広大で人が溢れかえるショッピングモールだ。もし悪意を持った人間に連れ去られでもしたら、取り返しがつかない事態になる。
「彰くん、迷子の捜索に切り替える! 特徴は青い帽子に黄色いシャツ!」
『分かった。ドローンをそっちに向かわせる。数分かかる!』
「数分も待ってられない! 私が見つける!」
菜々花は装飾柱から飛び降りると、透明な姿のまま吹き抜けのガラス手すりの上に軽やかに着地した。
眼下には、まるでアリの群れのように無数の人々がうごめいている。
(普通に探したんじゃ絶対に見つからない。……やるしかない!)
菜々花は深く息を吸い込み、カメレオンの能力である「左右の目が完全に独立して動く」360度視野の能力を極限まで引き出した。
右目で一階の群衆を、左目で二階の群衆を同時にスキャンする。人間の脳の処理能力を遥かに超える、異常な情報量が視神経を通じて菜々花の脳内に直接流れ込んでいく。
「くっ……!」
視界がグニャリと歪み、強烈な目眩が襲ってくる。しかし、菜々花は歯を食いしばって膨大な群衆の中から「青」と「黄色」の色彩だけを猛スピードでフィルタリングしていった。
「……見つけた!」
左目が、二階の連絡通路の隅で、おもちゃ屋のショーウィンドウの前で座り込んで泣いている青い帽子の男の子を捉えた。
菜々花は痛む頭を振って視界を正面に戻すと、一直線にその場所へと駆け出した。
「うわぁぁんっ、ママぁ……っ!」
男の子が涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして泣き叫んでいる。
菜々花はその子の目の前に降り立つと、特製スーツの擬態機能をオフにした。
空間が揺らぎ、鮮やかな緑色を基調とし、胸元にカメレオンのロゴが描かれたタイツスーツ姿の菜々花が突然姿を現した。
「ひぐっ……?」
突然現れた奇抜なスーツ姿の人物に、男の子は驚いて泣き声をピタリと止めた。
菜々花はしゃがみ込み、男の子としっかり目線を合わせると、クラスの人気者として普段から見せている、最高に明るくて優しい笑顔を向けた。
「こんにちは! 君、ケンちゃんっていうの? ママが探してたよ」
「……みどりのおねえちゃん、だれ?」
「私はね、この街を守るカメレオンガールだよ。さあ、一緒にママのところに行こうか」
菜々花がそっと手を差し出すと、男の子は安心したようにその手をぎゅっと握り返した。
一階のインフォメーションカウンター前。
「ケンちゃん!!」
「ママ!!」
母親が涙を流して駆け寄り、男の子をきつく抱きしめた。
「本当によかった……っ! ありがとうございます、本当に、本当に……っ!」
母親が何度も頭を下げる。
「気にしないでください。無事に見つかってよかったです!」
菜々花が明るく返すと、男の子が涙を拭いながら菜々花を見上げた。
「ありがとう! か、か、カエルガールさん」
「どういたしまして! カメレオンガールよ。同じ緑色だけどね。うふふ」
菜々花は満面の笑みで、無事親元に帰ることができた子供とパチンッとハイタッチを交わした。
その光景を見ていた周囲の買い物客たちが、ざわめき始めた。
「おい、あれって最近ネットで噂になってる『緑のヒーロー』じゃないか?」
「本当にいたんだ! 迷子を助けてくれたのか!」
「すげえ、本物だ! かっこいい!」
誰かが拍手を始めると、それは瞬く間にモール中に広がり、割れんばかりの大拍手となって菜々花を包み込んだ。
周囲の人だかりは次々とスマートフォンを取り出し、子供とハイタッチを交わすヒーローの姿を写真や動画に収めていく。
カメレオンガールの姿のまま、フラッシュの光と温かい拍手を浴びる菜々花。彼女は照れくさそうに手を振りながら、確かな誇らしさを胸に抱いていた。
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その感動的な光景を、少し離れた柱の陰から鋭い眼光で見つめている男がいた。
彩波市を管轄する警察署の昔気質のベテラン刑事、堂島剛である。
彼は非番の今日、たまたま買い出しのためにこのモールを訪れていた。
堂島はこれまで、警察のメンツにかけて、この「異常な速さで移動する緑の影」や「正体不明の自警団」を危険な存在としてマークし、執拗に追跡していた。
法の手順を踏まずに勝手に犯罪者を縛り上げる得体の知れない化け物。それが堂島の抱いていた「カメレオンガール」への評価だった。
しかし、目の前で起きている光景はどうだ。
怯える子供と同じ目線に立って優しく語りかけ、無事に親元へ送り届けてハイタッチを交わすその姿。スマートフォンを向ける群衆に対して見せる、どこか照れくさそうな、人間味に溢れたしぐさ。
そこにあるのは、社会を脅かす危険分子の姿などでは決してなかった。
(……あいつは、本当に俺たちが追うべき『悪』なのか? 今日の所は見逃してやるか)
堂島は、自身の懐に入っている警察手帳を無意識に強く握りしめた。
彼女の根底にある純粋な正義感に触れたことで、長年現場を踏んできた堂島の確固たる信念に、確かな変化が芽生え始めていた。
堂島は群衆に紛れていく緑の背中を、これまでとは違う、どこか頼もしさすら感じる眼差しで静かに見送った。




