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第24話 夜の公園

 県立彩波高等学校、新聞部部室。


 インクの匂いが染み付いた薄暗く狭い部屋の壁一面には、最近街を騒がせている「緑の影」に関する不鮮明な写真や、ネット掲示板の書き込みをプリントアウトした紙が、まるで狂気を感じさせるほど所狭しと貼り付けられていた。


「……間違いないわね」


 赤いアンダーリムのメガネを中指で押し上げながら、新聞部部長の桐生慧子(けいこ)は鋭い眼光で一枚の写真を睨みつけた。切り揃えられた黒髪のボブヘアが揺れ、新聞用のインクで黒く汚れた彼女の指先が、その写真の中心をトントンと叩く。


 それは、先日SNSで爆発的に拡散された「緑のヒーローがビルの屋上で大福を食べている」という奇跡的な一枚だった。


「この特異な擬態能力……周囲の景色に完全に溶け込む異常なステルス性。そしてあの長い舌。私はあなたを『カメレオンガール』と名付けたわ」


 慧子は首から提げたデジタル一眼レフカメラのレンズを無意識に磨きながら、唇の端を不敵に吊り上げた。


 慧子には、異常なまでに真実を暴くことに執着する理由があった。中学時代、クラスで起きていた理不尽なイジメを学級新聞で勇気を出して告発しようとしたが、事勿れ主義の教師たちによって記事を無残にも握り潰されてしまったのだ。真実を伝えられなかったという強い後悔と深い傷心が、今の彼女を突き動かす原動力となっている。


「空気を読み合える人間だけが上に立つ、同調圧力が蔓延するこの息苦しい学校も。得体の知れない都市伝説に無責任に踊らされるこの街も、どこか歪んでる。だからこそ、私が真実を暴いて、すべてを白日の下に晒してみせる……!」


 生粋のジャーナリスト気質を持つ慧子は、カメレオンガールの正体を暴くための周到な計画を練り始めていた。


 +++


 その日の昼休み。慧子は首からカメラを提げたまま、一年生の教室が並ぶ騒がしい廊下を歩いていた。


 彼女の目的は、先日の路地裏での一件でカメレオンガールに助けられた女子生徒、星野結衣との接触だった。

 中庭に続く渡り廊下の隅で、一人で特撮ヒーローの雑誌を読んでいる結衣を見つけると、慧子は迷わず歩み寄った。


「あなたが星野結衣さんね。新聞部の桐生慧子よ。カメレオンガール……世間で言う『緑のヒーロー』について、取材させてくれないかしら」


 突然の申し出に、内気な結衣はビクッと肩を震わせた。結衣もまた、同調圧力が蔓延する学校で息苦しさを感じ、孤立している生徒の一人だった。


「し、取材……ですか?」


「ええ。あなたが路地裏で助けられた時の状況を詳しく教えてほしいの。どんな声だった? 背格好は? あの不気味な能力のカラクリについて、何か心当たりはない?」


 矢継ぎ早に質問を浴びせ、メモ帳とペンを突きつける慧子。その「真実を暴き、白日の下に晒す」という攻撃的なジャーナリズムの熱量に、結衣は一瞬怯んだ。

 しかし、結衣は逃げなかった。彼女は両手で大切そうに特撮雑誌を抱え込むと、真っ直ぐに慧子を見つめ返した。


「……教えられません」


「どうして? 真実を知ることは、市民の権利よ」


「あの人は……不気味で怪しい存在じゃありません。私を助けてくれた、本当のヒーローなんです!」


 普段は引っ込み思案で自分の意見を決して言えない結衣が、震える声で、しかしはっきりとした意志を持って反論した。


「彼女は悪い人じゃありません。正体を隠して街を守ってくれているのに、無理やり暴くなんて……どうか、そっとしておいてあげてください!」


 結衣はそれだけ言うと、逃げるようにその場から走り去ってしまった。

 残された慧子は、小さくなっていく結衣の背中を見つめながら、フッと鼻で笑った。


「ヒーローを純粋に応援する市民、ね……。でも、私のペンとカメラは止められないわよ。真実は常に一本道なんだから」


 +++


 放課後、慧子が向かったのは彩波市の中心部から少し外れた商店街にある、地元で愛されている老舗の和菓子屋だった。

 店の看板には、達筆な筆文字で『彩波大福』と書かれている。


「ごめんくださーい。学校新聞の取材なんですが」


 慧子が暖簾をくぐって声をかけると、奥から恰幅の良い和菓子屋の大将が「いらっしゃい!」と愛想よく顔を出した。


「高校の新聞部かい? 熱心だねえ。うちの大福のことなら、なんでも聞いてよ」


「ええ、実は大将に見ていただきたい写真がありまして」


 慧子はスマートフォンの画面に、あの「屋上で大福を食べるヒーロー」の写真を拡大して表示し、大将の目の前に差し出した。


「これ、お宅の『彩波大福』ですよね?」


 大将は目を細めて画面を覗き込むと、パッと顔をほころばせた。


「おおっ! 間違いない、うちの抹茶餡の彩波大福だ! 薄く透き通ったもち生地の中に鮮やかな緑の餡……この絶妙な色合いと形は、間違いなくうちのに限るね」


 大将は、写真に写る不気味な緑のスーツ姿の人物を見ても全く怯えることなく、むしろ豪快にガハハと笑い飛ばした。


「最近街を騒がせてるっていう緑のヒーローかい? うちの大福が好物だなんてうれしいねぇ! これ食べてカロリー補給して、悪い奴らをやっつけてくれてるんだな!」


「やっぱり。確定ね」


 大将の証言を得て、慧子のメガネの奥で瞳が鋭く光った。


「大将、その抹茶の彩波大福を一つ、包んでいただけるかしら。……ええ、カメレオンガールをおびき寄せるための、とびきり甘い罠としてね」


 +++


 その日の深夜。

 街灯がまばらな夜の公園は、静寂に包まれていた。遠くで聞こえる車のエンジン音以外、人の気配は全くない。


 公園の中心にある大きな噴水の縁。その一番目立つ中央の場所に、慧子は購入したばかりの「彩波大福」をぽつんと置いた。


「さあ、おいでなさい。カメレオンガール。あなたの好物はここよ」


 慧子は噴水から少し離れた植え込みの影に身を潜めた。

 彼女の特技は、情報収集能力だけではない。「気配を完全に消しての尾行」という、カメレオンの細胞レベルの擬態とはまた別ベクトルの、生粋のジャーナリストとしての完璧なステルス能力を持っていた。


 呼吸を極限まで浅くし、暗闇の中に黒いボブヘアと衣服を完全に溶け込ませる。デジタル一眼レフカメラの電源を入れ、フラッシュの準備を整え、ファインダー越しに噴水の大福にピントを合わせる。


 夜風が吹き抜け、彩波大福の微かな甘い匂いが公園に漂う。


 慧子は指先をシャッターボタンに添えたまま、獲物が甘い罠にかかるその瞬間を、瞬きすら忘れて静かに待ち続けていた。

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