第23話 身バレの危機
放課後。
独特の薬品の匂いが漂う理科準備室に、菜々花の弾むような声が響き渡った。
「いやー、今日のクラスの話題も私のことで持ちきりだったよ! みんな『かっこいい』とか『一度生で見てみたい』だってさ。まいったな~♪」
菜々花は実験用の丸椅子に深く腰掛け、満面の笑みで両足をブラブラと揺らしていた。その手には、千石彰が買ってきてくれた地元名物の『彩波大福』が握られている。薄く透き通ったもち生地の中に、鮮やかな緑色の抹茶餡がたっぷりと詰まった大福を、菜々花は至福の表情で頬張った。
「ん~! やっぱり彩波大福は最高! パトロールで疲れた体に、この絶妙な甘さが染み渡る~!」
「……あまり楽観視しないでよ、菜々花さん」
はしゃぐ菜々花とは対照的に、彰の声はひどく冷静で、どこか呆れたような響きを帯びていた。
彼は白衣姿のまま、手元のタブレット端末でSNSのタイムラインを高速でスクロールしている。
「世間からこれだけ熱狂的な注目を集めるということは、それだけ正体がバレるリスクも跳ね上がるということだ。もし君の能力が世間に知れ渡れば、FBIや国家の秘密研究所のエージェントが黙っちゃいない。間違いなく黒塗りの車で連れ去られて、白い窓のない部屋で毎日解剖や実験のモルモット行きだぞ」
オタク特有の極端な危機感とB級映画ばりの知識を露わにして忠告する彰だったが、すっかりヒーロー気分で有頂天になっている菜々花には、その言葉もあまり響いていないようだった。
「大丈夫だってば。パトロール中はちゃんと特製スーツで擬態して姿は消してるし、証拠なんてどこにも残してないもん」
「証拠なら、すでに出かかっている」
彰がピシャリと言い放ち、タブレットの画面を菜々花の目の前に突き出した。
「えっ?」
菜々花が目を丸くして画面を覗き込むと、そこにはSNSに投稿された一枚の不鮮明な写真が表示されていた。
夜のビルの屋上付近を捉えたその写真は、ブレてはいるものの、緑色の特製スーツを着た人影が、手に何か丸いものを持ち、覆面を少しずらして美味しそうに頬張っている瞬間を奇跡的に捉えていたのだ。
「これ……」
「昨日のパトロールの帰り道、俺が買ってあげた彩波大福を屋上で食べた時のものだ。擬態を解いて油断していた瞬間を、運悪く遠くのビルから望遠レンズか何かで撮られたらしい。コメント欄を見てみろ。『ヒーローの好物は大福!?』『どこの和菓子屋だ?』なんて、すでにプロファイリングが始まっている」
彰の指摘に、菜々花は冷や汗をタラリと流した。
「う、嘘……。まさか大福食べてるところを撮られるなんて……」
「言っただろ、ばれたら大変なことになるって。少しでも気が緩めば、そこから足がつく。特にあの特徴的な『彩波大福』を持ち歩いているなんて知られたら、身元を特定されるのも時間の問題かもしれない。君は感情で動きすぎるきらいがあるから、俺は心配で……」
真剣な顔で説教を続ける彰。しかし、菜々花は数秒落ち込んだかと思うと、すぐに気を取り直したようにニカッと明るい笑顔を浮かべた。
「分かってるって、彰くん! 次からは絶対気をつけるから!」
「本当に分かってるのかい? モルモットの恐怖を忘れてないか?」
「大丈夫大丈夫! それに、私一人じゃないもん。我がチームには、ドローン操作も計算も完璧な、むっちゃ優秀なブレーンも付いているからね!」
菜々花は勢いよく立ち上がると、「いつも頼りにしてるよ!」と彰の肩をポンポンと力強く叩いた。
その瞬間だった。
菜々花の手のひらにべったりと付着していた彩波大福の白い粉が、ポンポンという衝撃と共に空中に舞い上がり、彰の顔の真正面で勢いよく弾けたのだ。
「ぶふっ!?」
真っ白な粉をもろに吸い込んだ彰は、盛大にむせ返った。
「ゴホッ、ゴホゴホッ……! げほっ、お、おだてても、ダメだよ……!」
涙目で激しく咳き込みながら抗議する彰の顔は、見事なまでに大福の粉で真っ白に染まっている。地味な化学オタクの面影はどこへやら、まるで白塗りのピエロのような間抜けな姿だった。
「あはははっ! ごめんごめん、わざとじゃないから! 彰くん、むっちゃ顔白いよ!」
「笑い事じゃない……ゴホッ。これ以上は僕もかばいきれないかも……ゲホッ」
夕日に染まる理科準備室に、菜々花の明るい笑い声と、彰の情けない咳き込みの声が響き渡る。
世間を騒がせる正義のヒーローと、それを裏で支える優秀なブレーン。しかし、二人の日常はまだ、どこまでも等身大でコミカルな高校生活の延長線上にあった。
緑のヒーローを取り巻く環境が刻一刻と変化していく中、彼らの前に次なる波乱が待ち受けていることなど、大福の粉にまみれた二人はまだ知る由もなかった。




