第21話 ヘルメットの味
「ペッ、ペッ! 今度は鳩のフンの味がしたぁぁぁっ!」
『我慢だ菜々花さん。そもそも、鳩のフンを食べたことあるの?』
自分の姿がSNSで拡散され始めていることなど露知らず、菜々花は口の中に広がる最悪な味覚に悶絶しながらも、必死の形相で夜のビル群を飛び移っていた。
『もう少しだ菜々花さん! 犯人のバイクはさらに加速して大通りを抜けた! このままだと逃げ切られる!』
「そんなこと絶対にさせない! おばあちゃんの生活費、絶対に取り返してみせるんだから!」
菜々花は看板のサビの味にも鳩のフン(?)の味にも耐え、さらにスピードを上げて犯人のバイクへと迫っていく。
正義のヒーローとしての執念と、乙女の味覚の限界をかけた、夜の空中チェイスは最高潮を迎えようとしていた。
+++
ビルの看板から街灯へ、長い舌を駆使して夜の空中をスイングし続ける菜々花だったが、大通りの直線区間に入ったことで、犯人の乗る黒いバイクはさらに理不尽な加速を見せ始めた。
『くっ……このまま直進されると、隣町のバイパスに乗られてしまう! そうなったら、いくら空中をショートカットしても絶対に追いつけない!』
「そんな……! じゃあ、どうすればいいの!?」
焦る菜々花に対し、インカムの向こうで彰は恐るべき集中力を発揮していた。
理科準備室のモニターを睨みつけ、ドローンのカメラ映像から、現在の風向、風速、対象との距離、そしてバイクの走行速度を瞬時に弾き出していく。突出した計算能力が、最悪の状況を打破するための方程式を組み上げていく。
『菜々花さん、スイングを止めて前方にある交差点の歩道橋の上に飛び乗って! そこが最後の狙撃ポイントだ!』
「狙撃ポイント!?」
『そうだ! そこから君の長い舌を限界まで伸ばして、犯人を直接撃ち抜くんだ!』
彰の指示通り、菜々花は最後のスイングで宙を舞い、大通りを跨ぐ歩道橋のド真ん中へと音もなく着地した。
眼下を、ひったくり犯のバイクが猛スピードで通過しようとしている。ここから舌を限界まで伸ばして、動く標的を正確に狙い撃つ。
「ま、待って! あの黒いヘルメットに舌をぶつけるって……排気ガスと汗と虫の死骸の味が絶対にするじゃん! さっきのサビの味だけでも限界なのに、むっちゃ嫌だ!」
一分一秒を争う緊迫した状況下で、突如として菜々花の味覚の防衛本能が爆発した。
数日前のパトロールで、泥棒の顔面に舌を直撃させてしまい、おっさんの汗と皮脂の味を堪能してしまったトラウマが鮮明に蘇る。ましてや今回は、排気ガスまみれの公道を走るヘルメットだ。
『味の心配をしてる場合じゃない! それに、あのままじゃおばあちゃんの生活費が持ち去られちゃうよ!』
「ううう……っ! わかったわよ! 彩波大福2個頼むわよ!」
おばあちゃんの涙を思い出し、菜々花はついに覚悟を決めた。
歩道橋の欄干に足をかけ、透明な姿のまま身を乗り出す。カメレオンの左右独立した視界を正面でピタリと交差させ、逃走するバイクの運転手に明確なロックオンを定めた。
『距離二十五メートル。南南西の風、風速三メートル。バイクの速度は時速六十キロ……射出角、右へ三度補正! 今だ、撃て!!』
「いっけえええええっ!!」
彰の完璧な計算指示に従い、菜々花は口腔内に溜め込んだエネルギーを一気に解放した。
――ヒュバァバァバァァァッ!!
空気を切り裂く鋭い轟音と共に、ピンク色の滑らかな舌が射出された。
放たれた舌は、彰が計算した通りの完璧な放物線を描きながら夜の空間を駆け抜ける。重力と風の抵抗を計算し尽くしたその一撃は、逃走する犯人の後頭部――黒いヘルメットのど真ん中へと正確無比に直撃した。
ガァンッ!!
「なっ、ぐおぉっ!?」
凄まじい衝撃にヘルメットを弾き飛ばされた犯人は、完全にバランスを崩した。
コントロールを失ったバイクは火花を散らしながらアスファルトの上を滑り、路肩の植え込みに突っ込んで派手に転倒した。
「ストライク!」
菜々花は歩道橋から軽やかに飛び降り、呻き声を上げている犯人の元へと瞬時に距離を詰めた。
そして、持参していた結束バンドとロープを取り出すと、反撃の隙を一切与えずに犯人の手足を後ろ手にして縛り上げた。
傍らに転がっていたおばあちゃんのバッグを拾い上げ、ホッと安堵の息を吐き出す。
『ナイス舌射! 見事なヘッドショットだったよ、菜々花さん! おばあちゃんのバッグも無事みたいだね』
「うん、なんとかね。……でも……」
事件を見事に解決し、犯人を捕獲した菜々花だったが、その表情はすぐに激しい苦悶へと変わった。
彼女は顔をしかめ、口元を両手で押さえながら、道端でプルプルと震え始めたのだ。
「おえぇぇっ……! 今度は、排気ガスと、酸性雨と、犬のおしっこの味がするぅぅ……むっちゃ不味い……!」
『あはは、お疲れ様。よく頑張ったね』
「笑い事じゃないよ! もう口の中が最悪のフルコースなんだから! 早く口の中を彩波大福で満たしたい!」
『はいはい、仰せのままに』
インカム越しに聞こえる彰の優しい笑い声と、口の中に残るヘルメットの最悪な味に文句を言い続ける菜々花。
誰の目にも見えない透明なヒーローの夜は、今日もどこかコミカルで、甘酸っぱまずいやり取りと共に更けていくのだった。




