第2話 予兆
まぶたの裏でチカチカと光が明滅している。
遠くの方から、自分の名前を呼ぶ切羽詰まった声が聞こえた。
「菜々花! 菜々花、よかった。気がついたのね!」
ゆっくりと重い目を開けると、真っ白な天井が視界に広がった。ツンと鼻を突く消毒液の匂いがして、自分が病院のベッドの上にいるのだと理解する。
すぐ横では、母の由美が涙ぐんだ顔でのぞき込んでいた。その隣には、父の健一が今にも倒れそうなほど青ざめた顔で立ち尽くしている。
「お母さん、お父さん……私、どうしたの?」
「どうしたじゃないよ! 学校の裏庭で雷に打たれたんだって! もう、お父さん生きた心地がしなかったぞ……!」
真面目で心配性な健一が、震える声で叫ぶように言った。
聞けば、一緒にいた同級生の千石彰がすぐに救急車を呼んでくれたらしい。由美が彼の機転にどれほど感謝しても足りないと何度も口にしていた。
病室に駆けつけてきた担当医も、手元のカルテと菜々花を交互に見比べながら、信じられないといった様子で首を傾げている。
「本当に、奇跡としか言いようがありません。普通なら、あれほどの落雷を至近距離で受ければ重度の熱傷や心停止を引き起こし、運良く助かっても後遺症が残ります。しかし……神尾さんの体には、火傷の痕一つ見当たらないんです」
医者の言葉通り、菜々花自身もどこかが痛いという感覚は全くなかった。
ただ、体の奥底が妙に熱を持っているような、皮膚全体が微かに波打つような、得体の知れない違和感だけが静かに横たわっている。視界も、なんだか昨日までよりもやけに広く、鮮明にクリアに見えるような気がした。
「あ、そうだ。みんなに連絡しないと。今日、駅前のモールに行く約束してたのに」
菜々花はハッとして、ベッドの脇に置かれていた自分のスクールバッグを探った。しかし、取り出したスマホは無惨な姿になっていた。画面は真っ暗で蜘蛛の巣状にヒビが入り、本体は熱で少しひしゃげて焦げた匂いを放っている。
「うわぁ……完全に壊れちゃってる。むっちゃショック……」
自分の身代わりになってくれたかのようなスマホを見て、菜々花は小さく溜息をついた。
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一通りの検査を終え、その日の夜には無事に神尾家へと帰宅することができた。
夕食後、菜々花はリビングのソファに座り、小学五年生の弟・陸にお願いしてスマホを借りていた。
「ほら、貸してやるよ。俺のゲームのデータ、絶対消すなよな!」
「わかってるって。陸、むっちゃ助かる。ありがとう」
生意気盛りな陸だが、姉が雷に打たれたと聞いて少しおとなしくなっているのが可愛らしい。
菜々花はメッセージアプリを開き、舞、くるみ、梨沙の三人それぞれに連絡を入れた。
『ごめん! 実は学校で雷に打たれて病院に運ばれちゃって、行けなかったの。でも奇跡的に無傷で全然元気だから心配しないで! 明日学校行くね!』
送信ボタンを押すと、すぐに三人から通知が立て続けに鳴った。
『えっ!?』『雷!?』『嘘でしょ、大丈夫なの!?』
画面の向こうで大慌てしている友人たちの様子が目に浮かび、菜々花はクスッと笑って『今は弟のスマホ借りてるから、明日詳しく話すね』と返し、陸にスマホを返した。
自室に戻り、ベッドに潜り込む。
部屋の電気を消して目を閉じると、雷が落ちる直前に手のひらに乗っていたカメレオン――キョロ太の姿が鮮明に蘇ってきた。
(クリクリした目、むっちゃかわいかったな……)
小さな手足で指をぎゅっと掴んできた不思議な感触。あの小さな命は無事だっただろうか。明日、学校に行ったら彰に聞いてみよう。
そんなことをぼんやりと考えながら、菜々花は深い眠りへと落ちていった。
+++
翌朝。
菜々花は洗面台の前に立ち、鏡に映る自分の顔をじっと見つめていた。
睡眠はたっぷりとったはずなのに、頭の奥がジンジンとするような、自分の体が自分のものではないような奇妙な感覚がまだ抜けない。
蛇口をひねり、冷たい水で顔を洗おうと両手をすくった時だった。
――ピカッ!!!ドーーーン!!!
「っ……!」
突如、脳裏に昨日の落雷の強烈な閃光と轟音がフラッシュバックした。
ビクッと肩を跳ねさせ、バランスを崩して思わず洗面台に両手をつく。
荒い息を吐きながら、ふと視線を上げた菜々花は、鏡の中の自分を見て一瞬、呼吸を止めた。
鏡に映る自分の頬、そして洗面台にピッタリとついている手のひら。
その肌の色が、うっすらと、背後にある淡いグリーンのストライプ柄の壁紙に溶け込むように同化しかけていたのだ。
皮膚の表面がチカチカと波打つように変色し、まるで自分の輪郭が空間に透けていくような――。
「え……? 何、これ……」
菜々花は目を瞬かせ、慌てて両手を顔から離してこすり合わせた。
もう一度恐る恐る鏡を見ると、頬も手も、いつも通りの健康的な肌色に戻っている。
「……気のせい……だよね」
蛇口から流れ続ける水の音だけが、静かな洗面所に響いている。
雷のショックで、きっと目が疲れているだけだ。昨日、裏庭で千石君からカメレオンの擬態の話を聞いた直後だったから、変な錯覚を見たに違いない。
(そ、そうだよ、雷に打たれて私、動揺してただけよ)
混乱する頭を落ち着かせるように、自分に強く言い聞かせる。
もう一度冷たい水で勢いよく顔を洗い、パンッと両頬を軽く叩いて気合いを入れた。
「よしっ!」
菜々花は鏡に向かって、いつもの「人気者」らしい明るい笑顔をパッと作ると、洗面所を後にした。




