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第18話 薄暗い路地裏

 放課後の県立彩波(いろは)高等学校。一年生の教室は、放課後特有の解放感と、グループごとに固まって談笑する生徒たちの声で満ちていた。


(息苦しい……早く帰りたい……)


 星野ほしの結衣ゆいは、自分の席でひっそりと息を潜めながら、カバンの中に隠すようにして特撮ヒーローの雑誌を読んでいた。結衣は内気で引っ込み思案な性格であり、特撮やオカルトが大好きだという生粋のオタク気質を持っている。


 しかし、この学校は「空気を読み合える人たちだけがスクールカーストの上に立つ暗黙の世界」である。少しでも変わった趣味を公言すれば、すぐに同調圧力の波に飲まれ、異端として浮いてしまう。化学オタクとして孤立していた千石彰と同じように、結衣もまたクラスの空気に馴染めず、誰とも深い会話を交わすことなく孤立していた。


 ふと顔を上げると、廊下を歩く華やかな先輩、神尾菜々花の姿が結衣の目に留まった。周囲の中心で明るく笑い、自分の意見をハッキリと言う彼女は、結衣から見れば自分とは全く違う世界に住む完璧な存在だった。


(私も、あんな風に堂々と自分を出せたらいいのに。テレビの中のヒーローみたいに……)


 誰にも気に留められることなく教室を出た結衣は、うつむき加減で重い足取りのまま、逃げるように学校を後にした。


 +++


 同じ頃、彩波市の中心部。ビルが立ち並ぶ商業エリアから少し離れた場所で、菜々花は人目を避けるように薄暗い路地裏へと入り込んだ。

 周囲に誰もいないことを確認すると、菜々花は小さなため息をつきながら、指定のブレザーのボタンに手をかけた。


「これがいちいち面倒なのよね……」


 独り言を呟きながら、手際よく制服のブラウスとチェックスカートを脱ぎ捨てていく。その下から現れたのは、彰が徹夜で開発した、緑色を基調とする特製タイツスーツだ。胸元には無駄にリアルなカメレオンの顔のロゴがプリントされており、ボディラインがはっきりと露わになる極端な密着度を誇っている。


 脱いだ制服がシワにならないよう丁寧に折りたたみ、路地裏の片隅に設置されている古びたコインロッカーの中に押し込んで鍵をかけた。学生服を着たまま擬態すると、学生服だけが宙に浮いているように見えてしまうため、コインロッカーに預けるのがヒーロー活動前のルーティンになりつつあった。


「よし、準備完了。……同化」


 菜々花が目を閉じて周囲の空気に溶け込むイメージを念じると、スーツの繊維が細胞の変化に連動し、彼女の体は足元からスッと空間に同化して完全に透明になった。

 パトロールを開始すべく、透明なままアスファルトの上を歩き出したその時だった。


 ――ガサッ、ドンッ。


 足の裏から、小刻みで不規則な振動が伝わってきた。前回の事件を機に発現したカメレオンの「微小な振動を感じ取る能力」が、日常のノイズとは明らかに違う異変を捉えたのだ。

 菜々花は立ち止まり、神経を足元に集中させる。複数の人間が揉み合うような、乱暴で焦りを帯びた振動。


「彰くん。……何か起きてる。誰かが揉めてるみたいな振動が足から伝わってくるの」


 耳元のインカムに向かって囁くと、すぐに理科準備室にいる彰からの応答があった。


『了解した。振動の方向はわかる? こっちもすぐにドローンを飛ばして上空から索敵する。菜々花さんはそのまま警戒しながら進んでくれ』


「わかった。方向は……こっち!」


 菜々花は振動の源を辿り、透明な姿のまま街の死角へと駆け出した。


 +++


 振動の発生源は、彩波市のメインストリートから少し外れた、さらに人通りの少ない薄暗い路地裏だった。


「ちょっと、ジャンプしてみてよ。小銭の音、鳴るんじゃないの?」

「……っ、やめてください……」


 結衣は、背中を冷たいコンクリートの壁に押し付けられ、ガタガタと震えていた。彼女を取り囲んでいるのは、柄の悪い私服を着た三人組の不良だった。下校途中、一人で歩いていたところを目をつけられ、無理やりこの路地裏に引きずり込まれてしまったのだ。


「いいから財布出せって言ってんだよ! 大人しく従えば痛い目は見せないからよぉ」


 一人の不良が、結衣のスクールバッグを強引に奪い取ろうと手を伸ばす。


「いやっ……返して……!」


 結衣は必死にバッグを抱え込んだが、恐怖で足がすくみ、大声を上げて助けを呼ぶことも、逃げ出すこともできない。内気で引っ込み思案な彼女にとって、この暴力的な状況はあまりにも絶望的だった。


 クラスでも孤立し、誰にも助けを求められない自分。ヒーローに憧れているのに、現実はただ怯えることしかできない。目に涙が浮かび、結衣がギュッと目を閉じたその時だった。


『菜々花さん、ドローンの赤外線カメラで捉えた。君の斜め右前方、路地裏で女子生徒が不良に絡まれている!』


「見つけた。……うちの学校の生徒だ」


 インカム越しの彰の報告と同時に、菜々花は現場へと到着していた。完全に透明化した状態で、不良たちの背後に音もなく忍び寄る。


 泣き出しそうな後輩の姿を見て、菜々花の胸に怒りが込み上げる。しかし、前回の立ち回りでは、感情的になって擬態が解けてしまったり、直接舌で泥棒の顔を舐めて最悪な味を経験したりと、散々な目に遭った。


(あの時の二の舞は絶対に避ける。……冷静に、姿が見えないことを利用するのよ)


 菜々花は大きく深呼吸をし、左右独立して動く視界を駆使して、不良たちの配置と結衣の状況を正確に把握した。

 誰の目にも見えない正義のヒーローは、静かに、だが確かな怒りを込めて反撃の準備を整えていた。

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