第15話 振動感知能力
すっかり日が落ちた彩波市の住宅街。
菜々花は特製スーツによる完全な擬態能力を使って透明になり、夜の街をパトロールしていた。
少し離れた安全な場所から、彰がドローンを飛ばし、インカム越しにサポートを行っている。
『菜々花さん、そっちの路地裏には不審な人影はないよ。ドローンの赤外線センサーも反応なし。引き続き警戒して』
「了解。……でも、本当にこんな風に歩いてて、犯人見つかるのかな」
菜々花がインカムに向かって小声で呟いた、その時だった。
ピクリ、と菜々花の足の裏が微かな揺れを捉えた。
(……ん?)
昼間、教室で感じたあの感覚だ。
菜々花は立ち止まり、神経を足元に集中させた。
遠くを走る車のエンジン音とは違う。夜風に揺れる木々の音とも違う。
ガサッ……ガタッ……。
何かが人工物にぶつかり、こじ開けようとするような、不規則で硬質な振動。
「彰くん。……何かいる」
菜々花の中に発現した「振動感知能力」が、静まり返った夜の街に潜む確かな異変をキャッチした瞬間だった。
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『何かいる? ドローンの赤外線センサーにはまだ何も不審な熱源は映っていないけど……』
インカム越しに響く彰の声は、わずかに緊張を帯びていた。
「うん、気のせいじゃない。すごく微かだけど……何かが動いてる不規則な振動が、足の裏からチリチリ伝わってくるの」
菜々花は透明な姿のまま、街灯の少ないアスファルトの上にそっとしゃがみ込んだ。しかし、靴底越しでは振動の輪郭がぼやけてしまい、正確な方向や距離までは掴みきれない。昨日発現したばかりの未知の感覚に、菜々花はどうアプローチしていいか分からず眉をひそめた。
「彰くん、これ、どうやったらもっとはっきり感知できるかな?」
菜々花の素直な問いかけに、彰は持ち前のオタク的知識と合理性をフル回転させて即答した。
『地面からの振動を最も正確に拾うなら、体と地面の接地面を増やすのが一番科学的に効率がいい。両手両足の四肢を直接地面につけて、さらに聴覚と連動させるために右耳をアスファルトにピッタリ密着させてみて!』
「両手両足と、右耳ね。わかった、やってみる!」
ナビゲーターである彰の指示に一切の疑問を抱かず、菜々花はその場で四つん這いになった。
透明化しているため肉眼では見えないが、上空を飛ぶドローンに搭載された高感度の赤外線センサーは、菜々花の体温をモニターにくっきりと映し出していた。
手元のタブレット画面を見ていた彰は、突如として言葉を失い、顔面を沸騰させた。
菜々花は地面に両手両足をペタリとつけ、右耳を懸命に地面に押し当てている。その結果、彼女の腰からお尻にかけてが空高く真っ直ぐに突き出される形になっていたのだ。
ただでさえボディラインが露わになる特製スーツである。赤外線モニター越しのシルエットであっても、そのセクシーでシュールな姿はあまりにも際立っていた。
『な、なな、菜々花さんっ! ぼ、僕が提案しておいてなんだけど、女子高生としてその体勢はどうかと……!』
彰がインカム越しにドギマギしながらツッコミを入れる。
完全に自分の科学的アドバイスが招いた結果なのだが、予想外の過激なポーズが完成してしまったことに、彰の純情なキャパシティは完全に限界を突破しかけていた。
しかし、当の菜々花は能力の行使に全神経を集中させており、羞恥心を感じる余裕すらなかった。
「だまって! 集中させて!」
菜々花は彰の慌てふためく声をピシャリと一蹴し、一切話を聞こうとしなかった。
右耳と四肢から伝わる、微細な振動の世界。
菜々花が目を閉じると、視覚の代わりに「揺れ」が鮮明なイメージとなって脳内に押し寄せてきた。
ズゴゴゴゴ……という重く連続した振動。
(これは……大通りを走る大型トラックの音)
ジョロジョロ、という不規則な流体の振動。
(足元のずっと下……下水道に水が流れる音だ)
ガガガガッ、という遠くの断続的な衝撃。
(駅前の深夜の道路工事……)
菜々花は、膨大なノイズの中から、下水道や車や工事の音を一つ一つ聞き分け、パズルのピースを外すように意識の外へと除外していく。
研ぎ澄まされていく感覚。カメレオンの「微小な振動を感じ取る能力」が、彼女の脳の情報処理を一時的に極限までブーストさせる。
すべての日常的なノイズを取り払った、無音に近いクリアな世界。
その真っ白な感覚のキャンバスに、突如として鋭利な亀裂が走った。
――パリンッ!
「!」
空気を震わせ、アスファルトを伝わってきた微細にして鋭い衝撃。
間違いない。ガラスが割れる音がしたのだ。
昨夜、自分の家のリビングで聞いた、あの無機質で乱暴な音と全く同じ波長だった。
「……見つけた」
菜々花は弾かれたように顔を上げ、アスファルトから耳を離した。
「彰くん! ここから東へ300メートル先、角から二番目の家! 今、ガラスが割られた!」
『東へ300メートル……ドローンのカメラを回す!』
インカム越しに、彰がタブレットを激しくタップする音が聞こえる。
数秒後、彰の息を呑む気配が伝わってきた。
『……ビンゴだ。菜々花さんの言う通り、裏庭の窓ガラスが割られてる。人影が一つ、家の中に侵入したぞ!』
「やっぱり! 昨日の泥棒と同じ手口だ!」
菜々花は勢いよく立ち上がった。
昨夜、全裸で小麦粉を被るという失態を演じ、犯人を取り逃がした悔しさが胸の奥で燃え上がる。これ以上、自分の街で好き勝手はさせない。
『菜々花さん、行くぞ! 俺が最短ルートをナビゲートする!』
「うん! 今度こそ、絶対に逃がさない!」
夜の闇の中、透明なヒーローの姿は誰の目にも見えない。しかし、確かな決意を胸に、菜々花は音もなく、かつてないほどの凄まじいスピードでアスファルトを蹴り出した。




