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第14話 感情の乱れ

 昼休みの2年A組の教室。神尾菜々花は、西園寺舞や飯田梨沙たちと机を囲んで談笑しながら、足の裏に奇妙な感覚を覚えていた。


(……ん? なんか、床がブルブル震えてる……?)


 トスッ、トスッ、という規則的な振動が、上履き越しに足の裏から伝わってくる。


「ねえ、体育館で誰かバスケやってる?」


 菜々花が何気なく尋ねると、舞は不思議そうに首を傾げた。


「え? 体育館って、ここから渡り廊下を越えた先だよ? 音なんて全然聞こえないけど」


「あ、うん。気のせいかも」


 菜々花は曖昧に笑って誤魔化したが、その直後、今度は廊下の向こうからパタパタという細かい振動が床を伝わって近づいてくるのを感じ取った。


(この小刻みで遠慮がちな軽い振動……くるみちゃんだ)


 数秒後、教室の戸が開き、「ご、ごめん!購買並んでて遅れちゃった!」と桜井くるみが駆け込んできた。


 菜々花は密かに息を呑んだ。気のせいではない。カメレオンの「微小な振動を感じ取る能力」が、日常的にも発現し始めているのだ。視覚だけでなく、触覚までもが人間離れしていくことに戸惑いを覚えつつも、菜々花は誰にも気づかれないようにいつもの明るい笑顔を保ち続けた。


 +++


 その日の放課後。


 夕闇が迫る理科準備室は、これから始まる夜のパトロールに向けた作戦会議の場となっていた。


「通信用インカムのテスト、感度良好だ。ドローンの暗視カメラも正常、バッテリーも満タン」


 千石彰が手元のタブレットを操作しながら、満足げに頷く。


「こっちの準備は完璧だよ。菜々花さん、例のスーツは?」

「……うん。言われた通り、制服の下に着てきたけど……」


 パトロールに出る前の打ち合わせ。菜々花はひどく躊躇いながら、ブレザーのボタンに手をかけた。

 犯人を捕まえるためとはいえ、あの「ダサい緑のタイツスーツ」を着るのは相当な覚悟が必要だった。しかし、全裸で小麦粉を被るピンチに陥った昨夜の二の舞は避けなければならない。


 意を決してブレザーを脱ぎ、スカートのホックを外して滑り落とす。


「……ほら」


 制服の下から現れたのは、彰が徹夜で開発した特製スーツを身に纏った菜々花の姿だった。


 鮮やかなピーマンのような緑色を基調とし、胸元にはリアルなカメレオンの顔のロゴがプリントされている。そして何より問題なのは、その極端な密着度だった。


 特殊な培養液で作られたスーツは、第二の皮膚のように菜々花の体にピタリと吸い付いている。しなやかな手足、引き締まったウエスト、女性らしい丸みといったボディラインが、包み隠さず露わになってしまっていた。


「…………っ!」


 彰はタブレットを持ったまま、完全に硬直した。顔が瞬く間に赤ピーマンのように真っ赤に染まる。


「ちょっと、彰くん! じっと見ないでよ!」


 菜々花はボディラインが露わになって激しく恥ずかしがり、両腕で胸元を隠すように身をよじりながら怒った。


「み、見てない! カメレオン細胞と衣服の化学的なフィット感を確認していただけで、決してやましい目では……!」


「嘘ばっかり! むっちゃガン見してたじゃん! あーもう、これ恥ずかしすぎてやっぱ無理かも!」


 顔を真っ赤にして抗議する菜々花に、彰は慌てて咳払いをした。


「と、とりあえず、擬態のテストをしよう! 裸にならなくてもこのままで透明になれるはずだから!」

「……わかった。やってみる」


 菜々花は深呼吸をし、周囲の空気に同化するイメージを強く念じた。


 すると、スーツの繊維が菜々花の細胞の変化に連動し、彼女の体は足元からスッと空間に溶け込むように透明になっていった。


「成功だ! 服を着たままでも完璧なカモフラージュが……」


 彰が歓喜の声を上げたのも束の間。


 チカッ、チカチカッ!


 透明になっていたはずの菜々花の体が、突然バグを起こしたホログラムのように、緑色のスーツ姿と透明な状態を交互に繰り返し始めたのだ。右腕だけが緑色に戻ったり、一瞬だけ全身が露わになったりと、非常に不安定な状態に陥る。


「えっ!? ちょっと、なんで透けたり戻ったりするの!?」


 菜々花がパニックになって叫ぶ。


「菜々花さん、落ち着いて! 昨日も言っただろ、感情的になるなって! 俺に見られて『恥ずかしい』っていう強い感情の乱れが、擬態の制御を不安定にしているんだ!」


「だって、こんなピッタリしたスーツ姿を見られたら、誰だって恥ずかしくなるよ!」


「透明になれば見えないんだから、恥ずかしがる必要はないだろ!」

「その理屈はたしかにそうだけどぉ! 一瞬戻った時に見られてるし」


 理科準備室に、二人のコミカルな口喧嘩が響き渡る。


 しかし、彰の言う通り、菜々花が「透明になれば見えない。私はただの空気だ」と自分に言い聞かせて羞恥心を強引に落ち着かせると、チラつきは収まり、再び完全な透明状態を維持できるようになった。

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