第13話 街を守る決意
「ううっ、とりあえず早くシャワー浴びたい……!」
小麦粉だらけの惨めな姿でバスルームに駆け込もうとしたその時、遠くからけたたましいパトカーのサイレンが近づいてくる音が聞こえた。菜々花が警察に通報してから、ものの数分しか経っていない。日本の警察の優秀さに感謝しつつも、今の姿を晒すわけにはいかない。
「もう警察の人が来たんだ! ええと、服、服……!」
自室から服を持ってくる時間はない。菜々花は慌てて洗面所にあった厚手のバスローブを引っ張り出し、粉まみれの体の上に無理やり羽織って玄関へと向かった。
「神尾さん、大丈夫ですか!」
玄関のドアを叩く音とともに現れたのは、息を切らした制服警官と、その後ろから足早に歩み寄ってくる一人の男だった。
よれよれのトレンチコートに身を包み、鋭い眼光を放つその男は、彩波市を管轄する警察署のベテラン刑事、堂島剛だった。堂島は昔気質の刑事で、最近のハイテク犯罪には疎いものの、正義感が強く泥臭い現場の捜査を好む男だ。
「……嬢ちゃん、無事か? 怪我はないか」
堂島は、真っ白な粉まみれでバスローブ姿という異様な出で立ちの菜々花を見て一瞬目を丸くしたが、すぐに眉間に皺を寄せて心配そうに声をかけた。
「は、はい……泥棒は、急にパニックになって窓から逃げていきました……」
警察が到着した時には、すでに泥棒は跡形もなく逃げ去った後だった。
堂島は土足のまま一階のリビングへ入り、割れた窓ガラスや荒らされた室内を素早く、しかし鋭い観察眼で確認していく。一通り現場を見終えると、彼は菜々花に向き直って力強く頷いた。
「留守を狙われたようだな。一人で怖かっただろう。だが、もう安心だ。逃げた泥棒は、俺たち警察が必ず捕まえてやるからな。ゆっくり休みなさい」
その堂島の言葉には、長年街の平和を守ってきた頼れる大人としての、絶対的な安心感があった。
(警察の人に任せておけば、きっと解決してくれるよね……)
菜々花はホッと息を吐き出しながらも、心のどこかでチクリとした引っかかりを感じていた。自分にはあの泥棒を捕まえられる特別な力があったのに、自分の「全裸になる恥ずかしさ」が邪魔をして取り逃がしてしまった。あのままお玉を振り下ろしていれば、今頃犯人は警察に引き渡せていたはずだ。その悔しさが、小麦粉と一緒に肌にべったりと張り付いているような気がした。
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翌日。
学校から帰宅した菜々花は、家の前で近所の奥さんたちが深刻そうな顔で立ち話をしているのを目にした。
「聞いた? 昨日の夜、この辺りで何軒か空き巣の被害があったらしいわよ」
「うちの近所もやられたのよ。ガラスを割られて、現金や貴金属をごっそり……本当に物騒よね」
その会話を耳にして、菜々花の顔にサッと怒りの色が浮かんだ。
泥棒は自分の家だけでなく、近所の平穏な生活まで脅かしていたのだ。しかも、手口が同じガラス割りであることから、昨夜自分の家に入った犯人と同一人物である可能性が高い。
堂島刑事の力強い言葉は信じている。しかし、警察が地道な捜査で犯人を捕まえるまでに、また今夜もどこかの家が被害に遭うかもしれない。
(あの時、私がちゃんと捕まえていれば、近所の人たちがこんな不安な思いをすることはなかったのに……!)
菜々花は拳を強く握りしめた。これ以上、自分の住む街が荒らされるのを黙って見ているわけにはいかない。
(……決めた。私が捕まえる!)
犯人を自らの手で捕まえるためには、カメレオンの力が必要だ。そして、あの力を安全に使いこなすためには――。
菜々花は踵を返し、一目散に学校へと引き返した。
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「……というわけで、その……」
放課後の理科準備室。
菜々花は、実験台の前でビーカーを洗っている千石彰の背中を見つめながら、ひどく言いにくそうに口ごもっていた。
彰が振り返り、不思議そうに小首を傾げる。
「どうしたの、菜々花さん。一度帰ったはずなのに、そんなに慌てて戻ってきて。何か相談?」
「えっとね、彰くん……。昨日の、あれ。ピーマンみたいな……カメレオンのタイツスーツなんだけど」
菜々花の言葉に、彰の目がピクリと動いた。
「……ちょっと、試着だけしてあげてもいいかな……なんて」
頬を真っ赤に染め、目を逸らしながらツンデレ気味に交渉する菜々花。前回の放課後、あんなに「むっちゃダサい!」「罰ゲーム!」と全力で拒絶していた手前、自分から「貸してほしい」とは言い出しにくかったのだ。
数秒の沈黙の後、彰の顔にパッと歓喜の表情が浮かんだ。
「菜々花さん! ついにあのスーツの機能性と化学的な美しさを理解してくれたんだね!」
ドヤ顔で白衣を翻し、彰は棚の奥から厳重に保管されていた緑色のタイツスーツを取り出してきた。胸元のリアルなカメレオンのロゴが、西日に照らされて無駄に輝いている。
「ち、違うから! ちょっと着心地を確かめてみるだけだからね! 決してデザインが気に入ったわけじゃないんだから!」
「わかってる、わかってるよ。でも、どうして急に心境の変化が? 絶対に裸で擬態する方がマシだって言ってたのに」
彰が尋ねると、菜々花の表情から照れが消え、真剣な眼差しに変わった。
「昨日の夜、家に泥棒が入ったの。……結局、私がドジ踏んで逃げられちゃったんだけど、近所の人たちも同じ手口で被害に遭ってて」
菜々花は、昨夜の出来事と、粉まみれになってしまった失敗、そして今の自分の決意を静かに語った。自分が能力を使って犯人を捕まえたいこと。これ以上、街の人たちが被害に遭うのを見過ごせないこと。
話を聞き終えた彰の顔も、いつものオタク少年から、頼もしいパートナーのそれに変わっていた。
「……なるほど。状況はわかったよ。このスーツは君に貸す」
彰はスーツを菜々花に手渡すと、一つだけ、強い口調で忠告をした。
「ただし、約束してほしい。犯人を前にしても、決して感情的になるな。能力を使うときは、常に冷静さを保つんだ」
「感情的にならない……」
「そうだ。君の力は強力だが、精神状態と直結している。怒りや焦りで感情が乱れれば、能力の制御を失う危険がある。特に擬態は、わずかな心の揺れで解けてしまうからね。君に無茶はしてほしくないんだ」
彰の真摯な気遣いに、菜々花はスーツを胸に抱きしめ、しっかりと頷いた。
「わかった。冷静に、慎重にやる。私、もうドジは踏まない」
その言葉を聞いて、彰は柔らかく微笑んだ。
「俺も全力でサポートするよ。通信用インカムを使って、離れた場所から俺がドローンとパソコンの計算能力でナビゲートする。二人で犯人を捕まえよう」
「……うん。ありがとう、彰くん!」
菜々花の顔に、いつもの明るく華やかな笑顔が戻った。
夕日に染まる理科準備室の中で、緑色のスーツを挟んで二人は固く拳を合わせた。
クラスの人気者女子高生と、地味な化学オタク。
決して交わるはずのなかった二人が、自らの意志で街を守る正義のヒーローとして、その第一歩を大きく踏み出した瞬間だった。




