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第12話 泥棒侵入

 夜。彩波いろは市の住宅街は、静かな闇に包まれていた。

 神尾家も例外ではなく、全ての部屋の電気が消え、ひっそりと静まり返っている。


 二階にある自室のベッドで、神尾菜々花はモゾモゾと寝返りを打った。


「……んん……」


 薄く目を開け、枕元のスマホを手探りで引き寄せる。画面に表示された時刻は午後十一時を回っていた。


「うわっ、むっちゃ寝ちゃった……」


 夕方、学校から帰ってきてベッドに横になったら、そのまま深い眠りに落ちてしまっていたらしい。


 体を起こして大きく伸びをすると、家の中が不自然なほど静かなことに気づいた。


 そうだ、と菜々花は思い出す。今日は小学五年生の弟・りくのピアノの発表会があり、その足で両親と陸は祖父の家に泊まりに行っているのだ。家の前に車もないし、電気がついていないのも当然である。


「お腹空いたなぁ。カップラーメン、下にあったっけ……」


 ベッドから降り、スリッパを履こうとしたその時だった。


 ――ガシャンッ!


 一階の方から、鋭いガラスの割れる音が響いた。


 菜々花の動きがピタリと止まる。風で何かが倒れたような音ではない。明らかに、窓ガラスが打ち破られたような無機質で乱暴な音だった。


「……え?」


 心臓がドクンと大きく跳ねる。両親が帰ってきたわけではない。だとすれば、誰かが外から侵入してきたということだ。


 梨沙たちが教室で話していた「空き巣やひったくりが増えている」というニュースが、フラッシュバックのように脳裏をよぎった。


 菜々花は息を潜め、抜き足差し足で部屋のドアに近づき、そっと隙間を開けて一階の様子を窺った。

 暗闇の中、微かに懐中電灯の光がリビングを舐めるように動いているのが見え、低い足音がギシ、ギシと床を鳴らしている。


 間違いない、泥棒だ。家の明かりがついておらず、車もないから留守だと思われたのだろう。


 菜々花は慌てて部屋に戻り、震える手でスマホを操作した。一一〇番を押し、耳に当てる。


『はい、警察です。事件ですか、事故ですか?』

「じ、事件です! 家に……家に泥棒が入ってきて……!」


 小声で、それでも必死に状況を伝える。オペレーターは落ち着いた声で住所を尋ね、すぐに警察官を向かわせると約束してくれた。


「お願い、早く……」


 通話が切れ、スマホを握りしめたまま菜々花は部屋の隅でうずくまった。


 警察が来るまで、このまま隠れているのが一番安全だ。頭では分かっている。しかし、一階からはタンスの引き出しを乱暴に開ける音や、食器棚を物色する音が容赦なく聞こえてくる。


(お母さんが大事にしてる食器とか、お父さんのパソコンとか……めちゃくちゃにされちゃう)


 家族の思い出が詰まった家を荒らされていると思うと、恐怖と同時にフツフツと怒りが込み上げてきた。


(私には、能力があるじゃない。カメレオンの能力が……!)


 千石彰と一緒に理科準備室で確認した、あの人間離れした力。完全な透明人間になれる「擬態」を使えば、泥棒を取り押さえることができるかもしれない。


 しかし、そこで菜々花はハッと気づいた。


(待って。私、服を着たままだと透明になれないんだった……!)


 数日前の放課後、理科準備室で宙に浮く制服姿になった時の羞恥心が蘇る。彰が徹夜で作ってくれた、着たまま擬態できるあの「ダサい緑のタイツスーツ」は、断固拒否して理科準備室に置いてきてしまったのだ。


「ううっ、なんであのスーツ持って帰ってこなかったの、私のバカ……!」


 菜々花は頭を抱えた。だが、下で泥棒が物色する音はさらに大きくなっている。迷っている暇はなかった。


「……背に腹は代えられない……っ!」


 菜々花は決死の覚悟で、着ていたルームウェアのボタンに手をかけた。誰に見られるわけでもないが、自分の部屋で一人、全裸になるというのは想像以上に抵抗があった。


「むっちゃ恥ずかしい……。でも、家を守るためだもん……!」


 脱ぎ捨てた服をベッドに放り投げ、菜々花は生まれたままの姿になった。


「同化……周りの空気に同化する……」


 目を閉じ、意識を集中させる。クラスで空気を読み、背景に溶け込むあの感覚。すると、菜々花の肌を微弱な電流のようなものが走り抜け、彼女の肉体は完全に透明になり、背後の壁やドアの風景と同化した。


(よし、成功……!)


 菜々花は透明な足取りで音を立てないように階段を下りた。


 一階のリビングでは、黒っぽい服を着た泥棒が、キッチンの戸棚を片っ端から開けていた。懐中電灯を口にくわえ、手当たり次第に金目の物を探しているようだ。


(あの泥棒、絶対に許さない……捕まえてやる!)


 菜々花は武器になるものを探した。包丁はさすがに危ないし、もし奪われたら大変だ。ふと、キッチンカウンターの上に置かれていた大きなお玉が目に入った。


(これなら!)


 透明な菜々花の手が、お玉の柄をしっかりと握りしめた。


 その瞬間、空間に奇妙な現象が発生した。


 透明な人間が持っているため、お玉だけが空中にフワフワと浮いているように見えるのだ。


 菜々花はお玉を高く掲げ、泥棒の背後に向かってゆっくりと、じりじりと近づいていった。


 その足音に、泥棒がピクッと肩を揺らした。


「……誰だ?」


 泥棒が振り返り、懐中電灯の光を向ける。

 だが、そこには誰もいない。いるはずがないのだ、菜々花は完全に擬態しているのだから。


 しかし、泥棒の視線はある一点に釘付けになった。


 宙空およそ一メートル五十センチの高さに、銀色のお玉がポツンと浮かび、しかもそれがゆっくりとこちらへ向かって移動してきているのだ。


「ヒッ……!?」


 泥棒の喉から、奇妙な悲鳴が漏れた。


(よし、隙だらけ!このままお玉で脳天を……!)


 菜々花は勢いよくお玉を振りかぶった。

 その動きに合わせて、空中のお玉がスッと高く持ち上がる。完全にポルターガイスト現象である。


「お、お化けェェェッ!?」


 誰もいないのに近づいてくる足音と宙に浮くお玉に完全にパニックに陥った泥棒は、手当たり次第に近くにあったものを掴んで投げつけた。

 それが、戸棚から引っ張り出されていた開封済みの小麦粉の袋だった。


 ――バフッ!!


「きゃあっ!?」


 投げつけられた袋が菜々花の胸のあたりで破裂し、大量の白い粉が勢いよく舞い散った。


「ゴホッ、ケホッ……! ちょっと、なんなのこれ……!」


 菜々花がむせ返りながら目を開けると、とんでもない事態になっていた。

 全身に小麦粉をモロに被ったことで、透明だったはずの菜々花の体に粉が付着し、「全裸の輪郭が丸見えの状態」になってしまったのだ。


「えっ……嘘……っ!」


 菜々花は慌てて自分の体を隠そうとしたが、粉まみれの真っ白なシルエットは、暗闇の中でかえってくっきりと目立っていた。

 小麦粉が張り付いた、胸の膨らみ、腰のくびれ、そして手にはお玉。


 その世にも奇妙でセクシーな白装束の化け物を目の当たりにした泥棒は、白目を剥いて腰を抜かした。


「で、出たァァァァァァッ!!」


 泥棒はお化けかと思い込み、悲鳴を上げながらお宝も何もかも放り出して、割れた窓から一目散で夜の闇へと逃げ出していった。


「ああっ、待って! ……じゃなくて!」


 逃げる泥棒を追いかけようとした菜々花だったが、今の自分の姿を自覚してその場にうずくまった。


「むっちゃ恥ずかしいぃぃぃっ!!」


 全裸に小麦粉という絶体絶命でコミカルなピンチのまま、菜々花はリビングの床で身悶えするのだった。

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