第11話 特製スーツ
放課後の教室で、飯田梨沙がスマホのニュース画面を指差しながら、少し不安そうな顔で声を上げた。
「ねえ、みんな聞いた? 最近この辺り、空き巣とかひったくりが増えてるんだって。夜道とか、超物騒じゃない?」
梨沙の言葉に、西園寺舞が眉をひそめた。
「えー、本当? やだなぁ、治安悪いところなんてないと思ってたのに」
「ねー。警察ももっとしっかり見回ってくれればいいのにね」
その会話を聞きながら、神尾菜々花は密かに胸をざわつかせていた。
街の治安が悪化しているという噂は、前回の理科準備室での一件以降、自分の体に起きた「カメレオンの能力」を嫌でも意識させるものだった。
壁に張り付いたり、長い舌を自在に伸ばしたり、さらには完全な透明化(擬態)までできてしまう異質な力。
こんな秘密を抱えている身としては、世間の物騒なニュースはどこか他人事には思えなかった。
(もし、その気になれば私、こういう犯罪とかも……いやいや、何を考えてるんだろ、私)
首を振って思考を追い払い、菜々花はいつもの明るい笑顔を作って友人たちの会話に加わった。しかし、街の不穏な空気は、確実に彼女たちの日常のすぐ近くまで忍び寄っていた。
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放課後の掃除やホームルームが終わり、菜々花が足早に向かったのは、いつものように理科準備室だった。
ギィ、と古びた扉を開けると、室内には薬品の独特の匂いが漂っている。
実験台の前に立っていた千石彰の姿を見た瞬間、菜々花は思わず「わっ」と声を漏らした。
「ちょっ、彰くん!? その顔……どうしたの!?」
彰の顔を見て、菜々花は心底驚愕した。
彼の両目の下には、絵に描いたような見事なクマができ、顔色もひどく青白い。数日間、ろくに睡眠をとっていないことは一目で分かった。
「あぁ、神尾さん。……ちょうどよかった、今、完成したんだ」
疲労困憊のはずなのに、彰の目はランランと狂気的なまでの輝きを帯びていた。
彼が手元から差し出したのは、緑色の布地で作られた何やら奇妙な代物だった。
「完成って、いったい何を……?」
「これだよ。君のための、特製スーツだ」
彰が誇らしげに掲げたのは、頭から股下までを覆う、腕が半そでのタイツスーツだった。ベースの色は鮮やかな緑色で、胸元には見慣れない動物の顔のようなデザインのロゴがドンとプリントされている。
「このスーツの素材はね、キョロ太から採取した細胞をもとに、カメレオンの皮膚組織を特殊な培養液で完全に定着・培養させた特製のものなんだ」
彰は血走った目を輝かせながら、矢継ぎ早に解説を始めた。
「前回、神尾さんが完全な透明化(擬態)をしようとした時、肉体は消えても制服だけが宙に浮いてしまうという致命的な問題があっただろ? あれを解決するために、俺はこの数日間、不眠不休で研究を重ねたんだ!」
その言葉に、菜々花はハッと息を呑んだ。
自分が「裸にならないと透明になれない」という恥ずかしさと恐怖に怯えていたからこそ、彰は彼女のために、寝る間も惜しんでこのスーツを開発してくれたのだ。自分のためにそこまで必死になってくれたという事実が、彰の目の下のクマの理由と相まって、菜々花の胸を熱いもので満たした。
「彰くん……私のために、ずっと徹夜で……?」
「そ、それは……君が安全に能力を使えるようにするためであって、決して変な意味で……!」
彰は図星を突かれたように慌てて顔を赤らめ、白衣の裾をぎゅっと掴んだ。しかし、すぐに気を取り直したように、真面目なトーンでスーツの優れた機能を熱弁し始めた。
「機能的にも完璧だ。このスーツを着用した状態で神尾さんが擬態を発動すると、スーツの皮膚組織が君の細胞の変化に完全連動する。つまり、裸にならなくても、周囲の風景に溶け込んで完全に擬態できるようになるんだ!」
「えっ、本当に……? これを着たまま消えられるの?」
「ああ。しかも、普段は制服の下に隠して着ていられるように薄手の特殊繊維で作ってあるから、学校生活で周囲にバレる心配もない!」
彰が熱っぽく語るその胸元にあるロゴを、菜々花はじっと凝視した。
真ん丸な目に、大きく横に広がった口。どう見ても、あのカメレオンのキョロ太を正面から無駄にリアルに描いたデザインだった。
「ちなみに、この胸のロゴはキョロ太を正面から見たデザインだ。愛着が湧くだろ?」
「……いや、正直に言っていい?」
菜々花はスーッと目を細め、差し出された緑色のタイツスーツから一歩引いた。
「なんだい?」
「むっちゃダサいんだけど……!」
クラスの憧れの的であり、トレンドに人一倍敏感な女子高生である菜々花にとって、そのタイツスーツの見た目は衝撃的だった。
「ダサい!? 機能性を極限まで追求した結果の美しいデザインなのに!」
「どこがよ! 色合いが完全に毒々しいピーマンだし、なんでそこにキョロ太のシュールな顔のロゴ入れちゃうわけ!? これを着て街を歩けとか、罰ゲーム以外の何物でもないよ!」
菜々花は両手でブンブンと首を横に振り、激しく拒絶の意を示した。
「見た目なんて些細な問題だ! 重要なのは、このスーツがあれば、最近この辺りで多発しているひったくりや空き巣といった悪事を、誰にも正体を悟られずにスピード解決できるっていう点なんだから!」
彰は熱弁をふるい、そのタイツスーツを菜々花の腕に押し付けようとした。
「これで悪を退治しよう、神尾さん! 君ならできる!」
「やだ! 絶対にやだ! こんなピーマンみたいなタイツ着て夜の街をウロウロするとか、恥ずかしすぎて死んじゃう! そもそも悪者退治なんてしたくないよ!」
菜々花は必死に後ろへ飛び退き、スーツの受け取りを完全拒否した。
せっかく彰が自分のために徹夜で作ってくれた優しさは痛いほど嬉しかったが、女子高生としてのプライドと羞恥心が、その緑色のタイツスーツを受け入れることをどうしても許さなかった。
理科準備室の中で、スーツを差し出して熱弁する彰と、全力で拒絶して青ざめる菜々花のコミカルな押し問答が、しばらくの間続くのだった。




