No.9 別個体
その年の暮れ、遥から連絡が来た。
「お正月、帰ってくる?」というLINEだった。
わたしは少し迷ってから、「ごめん、帰らない」と返した。
すると、「一回、二人で会えない?」と返ってきた。実家ではなく、二人で、と。
わたしは、その文面を、長いあいだ見つめていた。
遥のことを、わたしは、どう思っていたのだろう。憎んでいたわけではない。
けれど、好きでもなかった。遥を見るたびに、わたしは、自分が選ばれなかった子であることを、思い知らされた。
遥は、何の努力もせずに愛された。ただそこにいるだけで、可愛い、可愛いと言われて育った。
わたしが、どんなに頑張っても手に入らなかったものを、遥は、生まれながらに持っていた。
会いたくない、と思う自分がいた。
けれど、会わなければ、何も変わらない、とも思った。
わたしは、思いきって、遥と会うことにした。
都内のカフェで会った遥は、記憶よりずっと大人びていた。
笑い方だけは子どものころと変わっていなかった。あの、屈託のない笑い方。母が「愛嬌がある」と言った、わたしには真似できない笑い方。それを見たとき、わたしのなかで、古い感情が、ちりっと疼いた。
近況をぽつぽつと話したあと、遥は、コーヒーカップを両手で包みながら、ふと言った。
「お姉ちゃんさ、わたしのこと、ずっと嫌いだったでしょ」
わたしは、すぐには答えられなかった。嫌い、という言葉が正確かどうか、わからなかった。
「……嫌いっていうか」とわたしは言った。正直に言おう、と思った。取り繕えば、また何も変わらない。
「あんたが、羨ましかった。可愛がられてて。それで、まっすぐ見られなかった」
遥は、少し驚いた顔をして、それから、目を伏せた。
「……そっか。わたしは、お姉ちゃんに嫌われてるって、ずっと思ってた。お姉ちゃん、わたしと目を合わせてくれなかったから」
わたしたちは、しばらく黙った。
「わたしもね」と遥が、小さな声で言った。「お姉ちゃんのこと、羨ましかったんだよ」
「……何が」
冗談だと思った。何を羨むことがあるのか。愛されていたのは、遥のほうだったのに。
「お姉ちゃんは、頭よかったし、お母さんに何言われても、自分を持ってたから。わたしは、お母さんに気に入られることしか、考えてこなかった。可愛いって言われたくて、ずっとお母さんの顔色うかがって……それしかできなかった。今でも、わたし、自分が何が好きなのか、よくわかんないんだよ。全部、お母さんが喜ぶかどうかで決めてきたから」
わたしは、それを聞いて、複雑な気持ちになった。
たしかに、遥には遥の苦しみがあったのだろう。それは、わかる。頭では、わかる。
遥もまた、母という同じ家の毒を、別の形で飲まされていたのかもしれない。
選ばれた子もまた、選ばれるために、自分自身を差し出していたのかもしれない。
けれど――それでも、わたしのなかには、簡単には消えない感情があった。
あんたは、それでも、愛されたじゃない。
その言葉が、喉まで出かかった。
あんたは、選ばれた。可愛がられた。ランドセルを選んでもらえた。ピアノを習わせてもらえた。塾に行かせてもらえた。満点のテストを、ゴミ箱に捨てずに済んだ。あんたの苦しみと、わたしの苦しみは、同じじゃない。
わたしは、その言葉を、飲みこんだ。口に出せば、また、傷つけ合うだけだとわかっていたから。
でも、飲みこんだだけで、その感情が消えたわけではなかった。
「遥」とわたしは言った。
「あんたの話は、わかった。あんたにも、つらいことがあったんだね。それは、本当だと思う」
遥は、顔を上げた。少し、ほっとしたような顔をしていた。
「でも」とわたしは続けた。
「ごめん。わたし、まだ、あんたを、完全には……うまく言えないけど。長い時間、わたしはあんたを羨んできたから。その気持ちが、一回話したくらいじゃ、すぐには消えないと思う」
遥は、わたしの言葉を聞いて、少し悲しそうな顔をした。けれど、頷いた。
「……うん。わかる。わたしも、たぶん、お姉ちゃんのこと、すぐには、わかんないと思う」
わたしたちは、それ以上、無理に分かり合おうとはしなかった。
別れ際、遥が言った。「また、会える?」
わたしは、少し迷ってから、「うん。たまにね」と答えた。
すぐに親友のような姉妹になれるわけではない。長年の溝は、一度のカフェで埋まるほど、浅くはなかった。
けれど、「たまに会う」くらいなら、できる気がした。少しずつ。互いの傷を、無理に重ねようとせずに。
完璧な和解ではなかった。でも、たぶん、それでよかった。




