No.6 検査
月曜日、会社で、わたしは立花に謝ろうとした。
けれど、できなかった。
彼は、いつもどおりに見えた。いつもどおり遅刻してきて、いつもどおり上司に怒られて、いつもどおり「すいませーん」と笑っていた。
ただ、わたしには、もう話しかけてこなかった。
それは、当然のことだった。わたしが、突き放したのだから。わたしが、構うのをやめろと言ったのだから。彼は、わたしの言うとおりにしただけだ。
なのに、わたしは、彼が話しかけてこないことに、ひどく傷ついていた。
自分勝手だ、と思った。突き放しておいて、傷ついている。構うなと言っておいて、構ってほしがっている。
わたしは、自分のことが、どんどん嫌いになっていった。母に「可愛げがない」と言われたのは、本当はこういうことだったのかもしれない、とすら思った。
わたしは、人を傷つけて、それで自分が傷ついて、誰のことも幸せにしない、めんどくさいだけの人間なのだ。
わたしは、思いきって、カウンセリングに行くことにした。
ずっと、自分には必要ないと思っていた。
だって、殴られたわけじゃない。ご飯を抜かれたわけじゃない。
けれど、立花を傷つけてしまった自分を、わたしは持て余していた。このままでは、わたしは、これからもずっと、近づいてくる人を傷つけて、遠ざけて、一人で生きていくことになる。それが、たまらなく怖かった。
カウンセラーは、五十代くらいの、穏やかな雰囲気の女性だった。
わたしは、何から話せばいいのかわからなかった。
立花のこと、母のこと、ランドセルのこと、満点のテストのこと。
話しながら、わたしは何度も「でも、これくらいのことで」と言った。殴られたわけじゃないし、ご飯を抜かれたわけじゃないし、世の中にはもっと大変な人がいるし。
カウンセラーは、わたしの話を、長いあいだ黙って聞いていた。それから、こう言った。
「あなたは、ご自分の話をするたびに、最後に必ず、ご自分の痛みを取り下げますね」
わたしは、はっとした。
「『これくらいのことで』『もっと大変な人がいる』。それは、誰かに教わった言い方ですか?」
わたしは、答えられなかった。
けれど、思い当たることは、あった。
子どものころ、わたしが何かを訴えると、母はいつもこう言った。
「そんなこと言って。世の中には、もっとかわいそうな子がいるんだよ。あんたは恵まれてるほうなんだから、文句言わないの」
わたしは、自分の痛みを訴えることを、わがままだと教えこまれてきた。
だから、痛い、と感じるたびに、わたしは反射的に、その痛みに蓋をした。これくらいのことで、と。
「痛みは、誰かと比べて、大きいとか小さいとか決めるものではありません」とカウンセラーは言った。 「あなたは、痛い、と言っていいんです。誰とも比べずに」
わたしは、その日、声を立てずに泣いた。
けれど、もう、泣くことを恥ずかしいとは思わなかった。




