第九話 大きな変化
書くことがなにもない作者です!ペンネームはふざけてますが内容はふざけてません!
気づいたのは、ルミナだった。いつもそうだった。
五ヶ月目に入ったある昼休み、ルミナが私の弁当を覗き込みながら言った。
「ねえ、アイルって自分のこと何て呼んでる?」
「私、だけど」
「ふうん」ルミナが少し首を傾げた。「なんか、イメージと違うな」
「イメージ?」
「アイルって、なんか、僕、って感じがする」
僕。
私はその言葉を、頭の中で転がした。自分が「僕」と言っているところを、うまく想像できなかった。ずっと「私」だったから。
「……そう?」
「うん。なんか、その方がアイルっぽい気がして」ルミナが笑った。「まあ、どっちでもいいんだけど。ただ思っただけ」
ただ思っただけ、と言われると、深く考える理由もなかった。私は弁当の続きを食べた。
その日の放課後、ルミナと帰りながら、ルミナがまた言った。
「さっきの話なんだけど」
「僕のこと?」
「そう。試しに言ってみてよ、自分のこと僕って」
少し恥ずかしかった。でもルミナが楽しそうに待っているので、小さく言った。
「……僕は」
「いい」ルミナが目を輝かせた。「すごく似合う。ほんとに」
似合う、と言われると、悪い気はしなかった。
最初は、ルミナの前だけだった。
ルミナといる時だけ「僕」と言った。他の場所では「私」のままだった。それが自然だと思っていた。
でもいつの間にか、境界が曖昧になっていた。
シエルと話している時に、うっかり「僕」と言った。その瞬間、シエルの手が少し止まった。お茶を淹れていた手が、ほんの一瞬だけ。
「……アイルさん」
「なに」
「今、自分のことを僕と言いましたね」
「言った」
「……いつから」
「最近」
シエルが私を見た。何かを言いたそうな目だった。でもまた、言わなかった。お茶を淹れ終えて、カップを置いた。
「そうですか」
「おかしい?」
「おかしくは、ないです」シエルが静かに言った。「ただ」
「ただ?」
「……アイルさんが決めたことですか」
私は少し考えた。決めた、と言えるかどうか、よく分からなかった。ルミナに似合うと言われて、使い始めた。それは、自分で決めたことなのか。
「……決めた、と思う」
「そうですか」
シエルがまたお茶を飲んだ。それ以上は何も言わなかった。
私もそれ以上考えなかった。
一人称が変わった頃から、もう一つ変わったことがあった。
門限だった。
我が家には、厳密な門限があったわけではない。ただ夕食の時間には帰る、というのが暗黙のルールだった。遅くなる時は連絡する。それだけだった。
でもルミナの家にいると、夕食の時間が来ても帰りにくかった。
ルミナが「もう少しいて」と言うからだった。
もう少し、がもう少し延びて、気づくと夜になっていた。親に連絡すると、母から短い返信が来た。『気をつけて帰ってね』と。特に怒らなかった。だから、また遅くなった。
ある夜、いつもより遅く帰ると、シエルが玄関に来た。珍しかった。いつもはリビングか部屋にいるのに。
「おかえりなさい」
「ただいま」
「遅かったですね」
「うん」
シエルが私の顔を少し見てから、視線を逸らした。
「夕飯は?」
「食べてきた」
「そうですか」
また、それだけだった。でも玄関まで来ていた。それが何を意味するのか、私は考えないようにした。
帰りが遅くなり始めた頃、両親が少し変わった。
父が、夕食の時に私を見る回数が増えた。以前からそういうことはあったが、最近は少し違う。何かを確かめているような、でも何も言わないような。母も、「最近どう?」と聞くことが増えた。普通の質問だったが、何かを探っているような気もした。
ある夜、父が言った。
「ルミナさんという子と仲がいいのか」
「うん」
「どんな子だ」
「……クラスメイト」
「それだけか」
私は少し止まった。それだけ、ではなかった。付き合っている。でもそれを言う気にはなれなかった。内緒にしていたわけではなかったが、話す機会がなかっただけだった。
「……仲がいい子」
父が少し黙った。母が「食べなさい」と言った。それで会話が終わった。
父の目が、少し気になった。心配しているような目だった。でも何も言わないから、気のせいかとも思った。
その夜、部屋でシエルと二人でいた時に、私は少し聞いてみた。
「シエル、うちの親が最近変な気がするんだけど」
「変、というのは」
「なんか、僕のことをよく見てる。父が特に」
シエルが少し間を置いた。
「……気になりますか」
「気になるというか、なんで、と思って」
「そうですか」シエルが視線を落とした。「アイルさんが帰る時間が遅くなったことを、心配しているのかもしれないですね」
「そっか」
「はい」
「シエルは?」
「え」
「シエルも、心配してる?」
シエルが顔を上げた。少し驚いたような顔だった。私がそんなことを聞くのが意外だったのかもしれない。
しばらく、静かだった。
「……します」シエルが静かに言った。「心配、します」
「何が」
「アイルさんが」シエルが言葉を選ぶように、ゆっくり言った。「少しずつ、違う方に行っている気がして」
「違う方?」
「うまく言えないんですが」シエルが視線を逸らした。「アイルさんが、アイルさんでなくなっていくような」
また、その言葉だった。アイルのまま。アイルのままでいるか。
「僕はアイルだけど」
シエルが少し目を細めた。何かに気づいたような顔をした。でも言わなかった。
「……そうですね。すみません、変なことを言いました」
「変じゃないけど」
「アイルさんが大丈夫なら、大丈夫です」
シエルがまた視線を窓に向けた。
僕はアイルだけど、と言った自分の声を、私は頭の中で繰り返した。
僕。
いつから、そうなったのか。正確には思い出せなかった。ルミナに似合うと言われてから、というのは分かっていた。でもいつの間にか、ルミナの前だけでなく、シエルの前でも、一人でいる時でも、自然に出てくるようになっていた。
おかしいとは思わなかった。
おかしいとは、思わなかった。
でもその夜は少しだけ、眠れなかった。理由は分からなかった。ただ、天井を見ていたら、夜が明けていた。
百合っていいよね…




