第十話 当たり前になるまで
書くことがなにもない作者です!ペンネームはふざけてますが内容はふざけてません!
六ヶ月目の頃、僕はほとんど毎日ルミナの家にいた。
いつからそうなったのか、正確には分からない。気づいたら、放課後になるとルミナの家に向かうことが当たり前になっていた。ルミナが「来て」と言うから。行くと、ルミナが嬉しそうにする。それを繰り返しているうちに、習慣になった。
習慣というのは、怖いものだと思う。
最初は意識してやっていたことが、気づいたら何も考えずにやっている。そうなると、なぜそうしているのかを問い直すことが難しくなる。当たり前のことに、理由はいらないから。
でもその頃の僕には、そんなことを考える余裕はなかった。
ただ、毎日が続いていた。
ルミナの家での時間は、穏やかだった。
ルミナの部屋で並んで勉強して、夕飯をルミナの家で食べて、夜に帰る。それが一日の形になっていた。ルミナの母親は相変わらず優しくて、僕のことを「アイルちゃん」と呼んだ。家族みたいに、自然に。
ルミナの家にいる時、ルミナは穏やかだった。
家の外では、些細なことで不安になったり、鞄に手を入れたりすることがあった。でも家の中では、そういうことが少なかった。僕がそこにいる間は、ルミナは笑っていることが多かった。
だから、来ることが増えた。
ルミナが穏やかでいられるなら、来た方がいいと思った。
それが、正しい判断かどうかは、考えなかった。
ある夜、いつもより遅くなった。
気づいたら十時を過ぎていた。ルミナと話し込んでいて、時間を忘れていた。
帰ろうとすると、ルミナが言った。
「もう遅いし、泊まっていけば」
泊まる。
その言葉を、僕はしばらく処理した。泊まったことは、まだなかった。
「……親に連絡しないといけない」
「してくれば」ルミナが軽く言った。「うちのお母さんも、たぶん大丈夫だから」
僕はスマートフォンを見た。母からのメッセージが一件来ていた。『今日は遅いの?』と。
返信した。『ルミナの家に泊まってもいいか』と。
しばらくして、返信が来た。少し間があった。
『……分かった。気をつけてね』
許可が出た。僕はルミナに言った。「泊まっていく」と。
ルミナが笑った。「やった」と言って、タオルと着替えを持ってきた。用意がよかった。
その夜、ルミナの部屋で並んで眠った。ルミナはすぐに寝た。僕はしばらく、天井を見ていた。
シエルのことを、少し思った。
今頃、家で待っているかもしれない。いや、待っているとは限らない。でも、いつもいる場所にいるだろう。窓際の椅子に座って、本のページを進めないまま。
連絡すればよかった、と思った。
でも、もう遅かった。明日の朝に話せばいい、と思って、目を閉じた。
翌朝、家に帰ると、シエルが玄関にいた。
昨日と同じだった。玄関まで来ていた。
「おかえりなさい」
「ただいま。泊まってきた」
「知っています」
「連絡しなくてごめん」
シエルが少し首を振った。「いいです」
いいです、と言ったが、表情は少し違った。何かを言いたそうで、でも言わない、いつもの顔だった。
「シエル」
「なんですか」
「何か言いたいことある?」
シエルが少し間を置いた。長い間だった。
「……アイルさんは、楽しかったですか」
「楽しいというか、普通だった」
「そうですか」
「シエルは、何か言いたいことあった?」
またシエルが黙った。今度はもっと長かった。窓から光が入って、シエルの白い髪が少し光った。
「……アイルさんが幸せなら、それでいいです」
また、その言葉だった。
僕はシエルを見た。シエルは少し目を逸らした。
何かが言いたくて、言えないでいる。それは分かった。でも何なのかは、分からなかった。
「シエルが言いたいことを言ってくれた方が、僕は嬉しいけど」
シエルが、少し止まった。
驚いたような顔だった。僕がそんなことを言うのが、予想外だったのかもしれない。
「……そうですか」シエルが静かに言った。「覚えておきます」
「覚えておくって、今は言わないの?」
「今は、まだ」
「まだ?」
「……言える時に、言います」
よく分からない答えだった。でもシエルが少し困ったような顔をしていたので、それ以上は聞かなかった。
学校に遅刻しそうだったから、というのもあった。
泊まった翌週から、泊まることが増えた。
週に一度、二度。ルミナが「今日も泊まっていけば」と言うから、泊まった。親は最初のうちは返信に間があったが、そのうち『分かった』だけになった。慣れたのかもしれない。
シエルには、毎回連絡するようにした。
『今日も泊まります』と送ると、『分かりました』と返ってきた。それだけだった。何も言わなかった。
でも、ある夜だけ、少し違った。
いつも通り『今日も泊まります』と送ったら、しばらくしてから返信が来た。
『分かりました。アイルさん、最近、家に帰る時間が減っていますね』
僕はその文章を見て、少し止まった。
『そうかも』と返した。
『寂しいとかではないです。ただ、気になったので』
寂しいとかではない、と自分から言う。そういうことを言うシエルが、少し珍しかった。
『シエルが寂しいなら、帰るけど』と送った。
返信まで、少し間があった。
『大丈夫です。おやすみなさい、アイルさん』
それだけだった。
僕はスマートフォンを置いて、ルミナの部屋の天井を見た。ルミナはもう眠っていた。
大丈夫です、と言ったシエルの返信を、もう一度読んだ。
大丈夫ではないのかもしれない、と少し思った。でもそれを確かめる方法を、僕は知らなかった。
七ヶ月目に入った頃、ルミナが言った。
「ねえ、アイルってもう家に帰らなくてもよくない?」
唐突だった。夕飯を食べ終えて、二人でルミナの部屋にいた時だった。
「帰らないって」
「うちにいればいいじゃん」ルミナが当たり前のように言った。「毎日来てるんだし、荷物置いたら楽じゃない」
「荷物を置く、だけじゃなくて」
「まあ、半分住む感じで」ルミナが笑った。「いやだった?」
いやだった、かどうか。
僕は少し考えた。自分の家にいる時間は、確かに減っていた。週のほとんどをルミナの家で過ごしていた。荷物を置けば、帰る必要がなくなる。
帰る必要がなくなる。
その言葉が、胸の中でどこかに引っかかった。でもどこに引っかかったのかが、よく分からなかった。
「……親に言わないといけない」
「そうだね」ルミナが少し考えた。「でも、毎日来てるのと同じじゃない。変わらないよ、ほとんど」
確かに、と思った。毎日来ているのと、住むのと、何が違うのか。荷物があるかどうかだけのような気がした。
「……少し考える」
「うん」ルミナが笑った。「焦らなくていいよ。ただ、一緒にいたいなって」
一緒にいたい。
その言葉は、いつ聞いても同じように胸に落ちた。必要とされている感覚。ルミナが自分を必要としている。それは、ずっと変わらなかった。
その夜、帰り道に、僕はぼんやり考えた。
家に帰らなくなる、というのが、どういうことなのか。シエルに会う回数が減る。両親と夕飯を食べなくなる。自分の部屋で眠らなくなる。
変わることが、たくさんある。
でも変わらないこともある。ルミナが一緒にいる。ルミナが笑っている。それは、変わらない。
僕は、その変わらないことの方を、選んでいた。
なぜそちらを選んだのか、深くは考えなかった。
家に帰ると、シエルがいた。リビングで、本を開いていた。ページは進んでいなかった。
「おかえりなさい」
「ただいま」
僕はシエルの隣に座った。珍しいことだったのか、シエルが少し目を見開いた。
「どうしましたか」
「なんとなく」
シエルが少し黙った。それから、また本に目を落とした。
二人で、しばらく静かにいた。会話はなかった。でも、悪くなかった。
こういう時間が、少し減っていたことに、その時気づいた。
「シエル」
「なんですか」
「……久しぶりだね、こうして」
シエルが少し止まった。本のページに落ちていた視線が、動かなくなった。
「……そうですね」シエルが静かに言った。「久しぶりです」
それだけだった。
でも、シエルの声が、いつもより少しだけ低かった。
僕はそれに気づいて、でも何も言わなかった。
百合っていいよね…




