さあ、歴史を刻む時だ
ドスッ! ドスッ! ドスッ!
誰かがドアを激しく叩き続けている。壊す気かっていうくらい、どんどん強く。
「この音… 黒竜が暴れてるのか…?」 と俺は、夢と現実の間を漂いながら呟いた。
俺は大きく息を吐いた。
まぶたが重く、張り付くような感覚がする。
「本能が大丈夫って言ってる…だから…」
毛布を頭まで被って、温もりに包まりながら、音を無視しようとした。
叩く音はさらに激しくなった。
バタンッ!
ドアが勢いよく開いて壁に当たった。キャシーが息を切らして、急いで飛び込んできた。
すぐに駆け寄って、俺の肩を揺さぶる。
「ノイトラマ! 起きてください!」 と必死に言った。
体を揺さぶられ、そのまま俺はゆっくりと眠りから意識を引き上げられていった。
「おはよう……キャシー」
俺はまだ半分目を閉じたまま、ぼそっと呟いた。
「三日も寝てましたよ!」
とキャシーが叫んだ。
「は……?」俺は眉をひそめた。
「もう夕方であります!」考える暇も与えず、キャシーは続けた。
何度か瞬きをしたら、世界がちょっと回ってる気がした。
「三日…?」
「私は依頼を受けに行きます」
キャシーはそう言って俺の腕を掴み、無理やり立たせた。
「あなたも一緒に来てください。依頼を受けて、さっさとランクを上げなさい。」
(そういえば、寝る前に『テキトー流』に書くの忘れてたな。)
俺はすぐにベッドの上で体を起こし、反射的に腰に手をやる。
(ない。)
「キャ、キャシー……俺のバッグがない」
俺は焦って言った。
「ああ、それなら……あなたが眠っている間に、昨日ロナンに会いましたよ。
あなたのバッグを置き忘れたと言って、ギルドに預けておいたそうです」
それを聞いて、俺はようやく安堵の息を吐いた。
(俺の本にはリッパースネークくらいのマナオーラがかけてある。
開けようとするなら、倒せる力が必要だ。
それに、耐水性もある!)
「わかった…お前の部屋で待っててくれ。先に身支度してくる」
数分後。
ドンドン!ドンドン!
「キャシー、キャシー、準備できたよ……」
自分の部屋の左隣にあるドアをノックした。すると間もなく、ドアが開いた。
そこに立っていたのは、肌が褐色でがっしりとした体格の中年男性だった。
俺たちは互いを見つめ合った。
「…………」
表情は同じだった。
( 誰?)
そのとき、俺の部屋の右隣のドアが開いた。そこにはキャシーが立っていた。
俺たちはギルドに向かって歩き出した。
道端の屋台で買ったトーストを頬張りながら、通りを散策する。
パンの外側はカリッとしていて、中にはジャガイモとお肉が詰まっている。
そこからまだ湯気が立ち上がっていた。
隣を歩くキャシーの姿を、俺はそっと眺めた。
彼女は食べ物をモグモグと噛みながら、時折、目にかかるピンク色の髪を払っていた。
(ヴェドラの森にいた頃、足音は眠りを邪魔する面倒な危機の合図だった。
でも今は……足音は、ただの足音だ。
鍛冶屋が店を閉め、子供たちが走り回っている。全部が忙しそうだが、別に危険じゃない。
……不思議だ。
まるで、癒えた傷跡のように。
触れれば、確かに違和感はある。
だが……もう、痛みはない。)
キャシーが俺を見つめている。
「ノイトラマ?どうして黙っているんですか?」
キャシーが不意に言った。
「別に……このパン、うまい」
キャシーは小さく鼻を鳴らした。
「当然です。20銅貨もするのですから」
俺はかじったパンを見て、少し微笑んだ。
(これが、生きる……ってことなのか。)
「……」
「ねえ、キャシー……お前のマナは回復したのか?」
「うん、他のメンバーも回復しています。今日はギルドに集まるはずです」
やがて、俺たちはギルドに到着した。
相変わらず、中は騒がしい。
ハンターたちは依頼掲示板に群がり、それぞれ仕事を選んでいる。
その中で、ロナンが掲示板の前に立ち、依頼を見ていた。
俺はすぐにフィナのところへ行き、バッグを受け取った。
一方で、キャシーは二階へ上がり、エリックのもとへ向かった。
腰にバッグを括りつけると、俺は依頼掲示板の方へ歩き出し、そこにいたロナンに声をかけた。
「ロナン、今日はどの依頼を受けるんだ?」
俺は言った。
「うーん…わからない。リンは急用があるから今日は一緒に来られないってさ。僕がパーティーのバランスを考えないと。」
そう言って、俺に視線を向ける。
「ボクが依頼を選んであげようか?」
「ああ。どれを選べばいいか……わからないしな。」
「じゃあ、これはどうかな?」
ロナンは掲示板から使い古された一枚の紙を引き抜き、俺に見せた。
それは、薄い黒インクで描かれたゴブリンのイラストだった。
その下にはこう書かれていた:Eランク推薦。
「EランクからDランクに上がるには、少なくともゴブリンを三十三体倒す必要がある。
ポイントは、マナクリスタルを持ち帰った分しか加算されないんだ」
俺は左手で紙を受け取って、右手でパンをかじりながらゆっくり噛んだ。
(思ったより簡単だな)
突然、女の人がギルドに入ってきた。
コツ……
彼女の黒い靴が木の床を叩いた。
——その瞬間、凄まじいプレッシャーが部屋中を駆け抜け、その場にいた全ハンターが凍りついた。
会話は途切れ、誰もが息を呑む。
全員の視線が、ただ一点……彼女へと注がれた。
彼女は長く流れるような黒い髪を持ち、全身黒の装束をまとっていた。
口元を覆うマスクをつけている。
背中には刀が差してある。
彼女は平然とした様子で、ギルドの中を歩いていく。
コツ……コツ……コツ……
静寂が部屋を支配した。
木の床に響くのは、ただ彼女の足音だけだ。
周囲のハンターたちは、互いに顔を見合わせながら、低い声で囁き合う。
その視線には、明らかな畏怖と好奇心が混じっていた。
「だ、誰だ……?」
「間違いありません……あの御姿、あの御佇まい。あの方は――」
「シルヴァ・アヴェラだ……Sランク……」《 SILVA AVELLA 》
空気が一気に重くなった。
「なんでここに……?」
「知るかよ。俺が親か何かに見えるのか?」
「俺、このギルドに五年いるけど……あの人を見るのは初めてだ」
俺は何事もなかったように立ちながら、トーストをもう一口食べた。
彼女の頭上に、燃える炎みたいな青い数字が浮かんでいた。68000。
(あの目……。ヴェドラの森にいた頃の俺と同じ目だ。
冷たい目、感情の欠片もない。
彼女にとって、ここにいる連中なんてのは、視界に入れる価値もないゴキブリ同然なんだろう)
シルヴァは受付に向かって歩きながら、依頼用紙を持ってパンをかじっている俺をちらりと見た。
『 ノイトラマ……ようやく最初の依頼を始めたんだね。
早くCランクになれ。リンとして、あなたを待っている。』
ウィンク ——。
彼女は俺にウィンクすると、そのまま通り過ぎていった。
『 ここにいる連中をゴキブリみたいにしか見てないSランクが、アンタだけは別扱い……それでやる気出るでしょ?』
シルヴァはハンターカードをフィナに見せた。
「ギルドマスターに会いに来た」リンが言う。
「は、はい…。ご案内いたします」フィナが答えた。
ロナンの目がゆっくりと俺の方へ動いた。
俺は無表情のまま、パンを食べていた。
『なぜ彼女は彼にウインクをしたんだ?意味不明だ。まさか彼女、彼の先生で、特訓にでも連れて行く気か?』
ロナンはシルヴァがフィナと一緒に歩いているのを見た。
『ダメだ、俺の芸術を理解する者を、彼女に奪わせはしない!』
◆◆◆
「ノイトラマ、見た? 僕にウインクしたんだよ!」 とロナンが俺の肩を揺する。
「そうだな……」無表情のまま、視線を無視した。
(ただの痙攣だろ)
「まさか!シルヴァ、僕に興味あるのかも?」とロナンは自信たっぷりに言った。
「そうだな…」
「よし!決めた。ギルドマスターの部屋の前で待つ。彼女に自己紹介する。」
「そうだ—— ……いや、頑張れ!ロナン」俺はロナンを感心したように見つめた。
彼の背中を見送りながら、俺はますますあいつに感心した。
(結局、依頼も忘れて、仲間を待たせたままというのに。
まさに……傑作だ。)
フィナはシルヴァを見送ってから、テーブルに戻ってきた。
俺は依頼書を見せた。
「これ……場所、教えてくれ。」
「ゴブリンですか……」
フィナがため息をついた。
「ご存じですか、ノイトラマさん。わたしはここで十年以上働いています。
わたしの知る限り、シルヴァ・アヴェラさんが誰かにウィンクしたことは一度もありません。
ランクAだった頃でさえ、正面入口から入ってきたことすらありませんでした。
あなた、まさか……彼女と何か関係があるのですか?」
フィナが尋ねた。
「まあ〜、誰かと間違えてるかも。」
フィナはもう一度ため息をついた。
依頼書を手に取り、じっと目を通す。
「これはクリムゾンアカデミーからの新しい依頼です。
つまり、ゴブリンの巣は学園の近くにあるということです。
普段は近くの洞窟に隠れています。場所は東の森です」
「クリムゾン……アカデミー、ゴブリン……よし、覚えてる。」
「なんだか……少し不安になってきました……」
「情報、ありがとう…」
フィナから一通り説明を受け終えた頃には、すでに夜の帳が下り始めていた。
俺は王都アトランツの門を抜け、東の森へと向かう。
街の喧騒は、やがて虫の音にかき消されていった。
腰に手をやり、本が元の場所に戻っているのを確認する。掌に目を落とした。
「ようやく……マナオーラが戻ってきたか。さあ、歴史を刻む時だ。」
俺は森の中へと足を踏み入れた。




