コード074 日常という贅沢
「うわぁ……」
思わず漏れる声。
綺麗に舗装された道路を、配送用の小型車が行き交っている。
道端にはゴミどころか小さな金属片すら落ちておらず、清掃用のドローンが僅かな汚れを見つけては丁寧に吸い取っていた。
見上げれば、高層ビルが隙間なく空へ伸びている。壁面を彩るホログラム広告にはノイズ一つなく、文字も映像も鮮明に浮かび上がっていた。
別に、どれも初めて見るものではない。
トップスにいた頃なら、もっと高い建物も、もっと性能のいいドローンも、空を埋め尽くすほどのホログラム広告も当たり前に目にしていた。
それなのに、目を離せなかった。
「……すごい」
どこを見ても、壊れていない。
道路にも、建物にも、看板にも、無理やり継ぎ接ぎした跡がない。
アンダーズでは昨日まで使えていた物が、翌日には壊れていることも珍しくなかった。道に穴が空いていても誰も直さないし、壁が崩れれば廃材を打ちつけて塞ぐ。それで生活に支障が出なければ十分だった。
けれど、ここにはそんな痕跡が一つも見当たらない。
店の窓は大きく開かれ、その向こうには新品の商品が整然と並んでいた。鉄格子もなければ銃を持った見張りもいない。それなのに、誰も盗もうとしない。
道を行き交う住人たちも同じだった。
剥き出しの武器を持っている奴はいない。周囲を警戒することもなく、端末を眺めたり、誰かと話したりしながら忙しなく歩いている。
すれ違う相手のギアや懐を値踏みする奴もいない。こんなに大勢の人間がいるのに、怒鳴り声も銃声も聞こえない。
……昔は、それが普通だったはずなのに。
「ヴィク」
名前を呼ばれて顔を上げる。
いつの間にか少し先まで進んでいたレクスが、呆れた顔でこちらを見ていた。
「何してんだ。置いてくぞ」
「あ、悪い」
慌てて追いついたものの、今度は通りの向こうにある店が目に入った。
全面を透明なガラスで覆われた店内には、ギアがいくつも展示されている。トップスで扱われていた最新式ほど高性能には見えないが、どれも外装には傷一つなく、照明を反射して眩しいほど輝いていた。
「あれ、全部本物なんだよな……」
「キョロキョロすんな」
レクスの手が頭に乗り、無理やり正面へ戻される。
「はぐれたらどうすんだ」
「そこまで子供じゃない」
「口も開いてんぞ」
「開いてない!」
反射的に口元を押さえると、レクスが小さく笑った。
くそ。もう絶対気を抜いたりしないし。
そう決意して数歩進んだところで、頭上の高架を車列が音もなく走り抜けていった。
車体は車輪の代わりに低く浮き、決められた浮遊車両レーンの上を滑るように走っていた。
「うわ、レーン低っ……事故らないのかな」
「お前ね」
レクスに深いため息をつかれ、私は気まずく視線を逸らした。
「仕方ないだろ。ミドルズに来るのは初めてなんだから」
「おいおい。仲良くドライブデートしたの忘れたか?」
「……あん時は区画入らなかったし」
「今回も観光に来たんじゃねぇぞ」
「分かってるよ」
私たちがここへ来た目的は、五日後にトップスからミドルズへ運び込まれる識別チップを奪うためだった。
正面から企業の施設へ乗り込むよりも、輸送中を狙った方がまだ成功する可能性は高い。
今日は輸送車が通る予定のルートや、身を隠せそうな場所、逃げ道になりそうな道を頭へ叩き込む予定だ。
レクスは周囲に視線を向けたまま、小さく顎をしゃくった。
「先に表通りから回るか。気になる店でも見ながらな」
……つまり、まずは輸送車が通る表通りを確認し、そのあと逃走に使えそうな裏道を見るってわけか。
「私、甘いの食べたい!」
「全部見てからな。」
「約束だからな! ゼ……」
私は周囲に溶け込めるよう笑顔を振りまきながら、ゼヴィを呼ぼうとした。のだが──
「ヴィク! コイツ壊していいか? いいよな!」
「ひぃいぃ! 誰かHCPDを呼んでくれえええ!!」
「ゼヴィイイィイィィ!!」
いい笑顔で一般市民二人を宙吊りにしているゼヴィの姿に顔面蒼白になる。
私はすぐさま全力疾走し、ひたすら頭を下げた。
勝手に暴れないようゼヴィの腕をしっかり抱えたまま、レクスの後ろについて区画内を見て回る。
レクスは時折足を止め、店先を覗いたり、興味もなさそうに商品を眺めたりしながら歩く。私もそれに合わせ、気になった店へ入っては商品を見て回った。
傍から見れば、どこにでもいる買い物客だっただろう。
商品へ目を向けるふりをしながら、視界の端では交差点や監視カメラ、警備ドローン、細い路地まで一つずつ頭へ刻んでいく。
「……時間もあるし、どっかで一休みしようぜ」
「休憩か?」
「急いでも仕方ねぇからな」
輸送車が通る道を一通り歩いて確認する。それが今日の目的だ。レクスの言う通り、焦って目立つのもよくない。
「じゃあケーキ食べたい! とびきり甘いの!」
「折角だ。景色のいいカフェに行こうぜ」
見晴らしがいい場所。周囲を見渡せる場所ね。了解。
◇ ◇ ◇
「ヴィク、何にする?」
レクスに声を掛けられ、私は頭上のメニューへ目を向けた。
「えっと……」
飲み物だけでも種類が多い。
見たことのない名前ばかりという訳ではない。けれど、フレーバーやサイズ、トッピングまで並ぶと何が違うのかよく分からなかった。
「甘いのがいいんだけど……」
「甘いので、おすすめは?」
レクスがレジの店員へ声を掛ける。
「あ、はい!」
店員のお姉さんは笑顔でホログラムメニューを操作した。
「甘いものがお好きでしたら、期間限定の『ネオンキャラメルフォームラテ』がおすすめです。ご一緒なら『ルミナスベリーショート』が一番人気ですよ」
「じゃあそれで! ゼヴィは?」
「ヴィクと同じやつ」
「好きなの頼んでいいんだぞ?」
「ヴィクと同じがいい」
……まぁ。お前がいいならそれでいいけど。
「ホットコーヒー一つ。ネオンキャラメルフォームラテ二つと、ルミナスベリーショート二つで」
「かしこまりました」
店員のお姉さんは手際よく注文を入力し、会計金額を表示させる。
「ふふふ」
「ん?」
「可愛い妹さんですね」
…………妹?
「仲良くて羨ましいです」
「あぁ。よく言われる」
レクスは表示された金額を確認すると、デバイスを決済端末へかざした。
軽い電子音が鳴り、決済完了の表示が浮かび上がる。
「お支払いを確認しました。商品ができるまで、少々お待ちください」
「……」
「? ヴィク、どうした?」
「……別に」
何となくお姉さんとレクスを見比べ、それからガラスに映る自分へ目を向けた。
……全然、似てねぇし。
何でか分からないけど、胸の辺りがもやっとした気がした。
商品を受け取り、窓際の席へ腰を下ろした。
レクスはコーヒーを一口飲むと、そのまま窓の外へ目を向ける。視線の先にあるのは交差点。
輸送車が曲がるならあの角か。それとも一本向こうの通りか。
行き交う車や警備ドローン。人の流れを眺めながら、何かを考えているようだった。
私もラテを一口飲み、自然と外へ目を向けようとしたが、口いっぱいに広がる甘さに思わず目を見開く。
お、おいしい! なんだこの旨いの!?
店で買ったのに変な不純物も入ってないし、口当たりもじゃりじゃりしない!?
気づけばケーキへ手を伸ばしていた。ふわふわした食感に感動で震える。
う、うまい……こんなに美味しいものは数年振りだ。そうか。ケーキってこんなに美味しかったんだ。随分と忘れていた。
そのままもう一口とフォークを立てる。
力なんてほとんど入れていないのに、スポンジは抵抗もなくすっと沈み、ふわりと切り分けられた。
アンダーズのケーキなら、こうはいかない。乾いて固くなったスポンジは、まるで食器洗い用のスポンジみたいで、フォークを押し込んでもなかなか刺さらない。
つい嬉しくなって、もう一度ぷすりと刺したところでハッとなる。
いやいやいや! こんなことしてる場合じゃない! もっとしっかりしないと!
私は首を横に振って邪念を振り払い、思考を切り替えた。
輸送車を襲うならその逃走経路は? 周囲に民間人がいたら?
平静を装い、頭の中で何度も作戦を組み立てた。
「うまい! ヴィク、これうまい!」
「……そうか。よかったな」
そんな私の苦労など露知らず、隣ではゼヴィが幸せそうにケーキを頬張っている。
一口食べるたびに嬉しそうな顔で私を見ては、「うまい!」と報告してくる。
「……ゼヴィ」
「?」
喜ぶのはいいとしても、口元にはクリームがべったり付いていた。いや、付きすぎている。これでは余りにも不自然だ。
私は自身の口を人差し指でトントンと叩いて知らせたが、通じなかったのかゼヴィは首を傾げた。
まぁ、ゼヴィに気づけというのも酷か。
諦めて、何か拭くものはないかとテーブルへ目を向ける。すると──
「……?」
レクスのペーパーカップに、小さな文字が書かれているのに気づいた。
黒いペンで『笑顔、素敵でした。また会えたら嬉しいです』と書かれた一文。
その下には個人用らしいコンタクトID。
「…………」
「どうした?」
私がナプキンを手にしたまま固まっていると、それに気づいたレクスが私の視線を追い、自分のカップへ目を落とした。
「……あぁ」
書かれたメッセージとコンタクトIDを一瞥すると、レクスはカウンターへ視線を向ける。
そのまま小さく手を上げると、先ほどの店員のお姉さんが慌てて身を縮めた。
「きゃっ」
「今、手を振ってくれたよね……!」
そんな小さな声がカウンターの方から聞こえてきた。そして、友人らしき人に背中を押された店員のお姉さんは、頬を染めながら小さく手を振り返した。
「……」
──なんか、面白くない。
私はナプキンを持ち上げ、ゼヴィの口元へ手を伸ばした。
「ぅぃく」
「動くな」
乱暴にならないようクリームを拭き取る。
大人しくされるがままになっているゼヴィの口元が綺麗になったのを確認してから、ナプキンを畳んでテーブルへ置いた。
そして、これ以上口に付かないよう、ケーキだけは食べさせてからラテを持たせる。
これでゼヴィは大丈夫だろうと、識別チップの強奪へ意識を戻そうとしたが、何だか落ち着かない。
とりあえず、気分を切り替えようとラテを一口飲んだ。
……あれ、苦い?
「……」
私は深く考えず、窓の外へ視線を戻した。




