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左遷された冷血公爵の領地経営改革〜有能な婿を捨てた元妻が泣きついてきましたが、もう遅い。優秀な部下たちと理想の領地を築きます〜  作者: 伊達ジン


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第4話 懲戒解雇

 床に手をつき、這いつくばっていたボルドー。彼は小刻みに肩を震わせていたが、やがて顔を上げ、充血した目でセレスティアンを睨みつけた。


「……代官様。確かに、帳簿の数字はあなたの仰る通りかもしれません。ですが、私を罰すればこの領地は確実に回らなくなりますよ」


 ボルドーはゆっくりと立ち上がり、乱れた衣服を整える。先ほどの狼狽は消え、開き直ったような薄ら笑いが浮かんでいた。


「私は5年間、この辺境を管理してきました。地元の商人や各村の長たちとの繋がり、そして何より『王都復興支援組合』の背後にいる貴族の方々との強固なパイプ。私が更迭されれば、物資の流通は即座に止まり、王都からの風当たりも強くなる。赴任されたばかりのあなたが、一人でこの土地の複雑な人間関係を御せるとお思いですか?」


 脅しだった。自分の横領を黙認し、これまでの体制を維持する方が、結果的に新任の代官にとっても負担が少ないという、腐敗した役人特有の交渉術。

 セレスティアンは机上の書類を揃えながら答える。


「流通が止まるなら、新しい商路を開拓するまでだ。王都の貴族の機嫌をとる必要もない。ここは王家直轄領であり、俺は正式な権限を持つ代官として赴任している」

「建前論ですね。現実にこの痩せた土地で、私抜きで税を集めることなど不可能です」

「それに、お前は自分の価値を高く見積もりすぎている」


 セレスティアンはボルドーの言葉を遮り、一枚の羊皮紙を指先で弾いた。


「この5年間の出納帳を見る限り、お前が構築したという『パイプ』は、自分自身が中抜きするための経路にすぎない。地元の商人からは相場より高く資材を買い付け、その差額をキックバックさせている。王都の貴族との繋がりも、彼らに金を上納して保身を図っているだけだ。領地にとってプラスになる繋がりは一つも存在しない。むしろ、お前という中間搾取者がいなくなるだけで、領地の財政は即座に1割は改善する」


 ボルドーの顔色から再び血の気が引いていく。


「おまけに、お前は領民の体力の限界を完全に見誤っている。今年の死亡率と逃亡者の数を見れば、早ければ秋の収穫期には労働力が枯渇し、税収は底をつく計算だ。お前を生かしておけば、領地は物理的に破綻する。後処理どころの話ではない」

「な、なにを……」

「カイラ」


 セレスティアンが短く呼ぶと、壁際に控えていたカイラが素早く一歩前に出た。


「衛兵隊の幹部をここへ。ボルドーを拘束させろ」


 カイラが扉に手を掛けた瞬間、外から重い木扉が乱暴に押し開かれた。

 先ほどのボルドーの怒声を聞きつけ、様子を窺っていたのだろう。踏み込んできたのは、革鎧を着込んだ数人の男たちだった。先頭に立つのは、体格の良い衛兵隊長だ。彼は室内のただならぬ気配を察し、ボルドーを庇うように立ち塞がった。


「代官様、いかに王都からのご赴任とはいえ、ボルドー殿を罪人扱いするのは看過できません。彼は我々にとって長年の恩人であり、領地の治安維持に不可欠な方だ」


 衛兵隊長が声を張り上げる。その目は血走り、腰の剣の柄に手が掛かっていた。後ろに続く衛兵たちも殺気立っている。ボルドーが微かに安堵の息を吐く。

 彼らは運命共同体だ。ボルドーが倒れれば、裏金を受け取っていた自分たちも無傷では済まない。その焦りが、衛兵たちに明らかな越権行為を行わせていた。


 セレスティアンは机の上に残っていた「衛兵隊の給与明細」を軽く持ち上げて見せた。


「恩人、か。確かに君たち幹部にとってはそうだろうな。毎年春の架空工事のたびに、給与の半年分に相当する裏金を支給してくれていたのだから」


 衛兵隊長の言葉が止まり、剣の柄に掛かっていた手がわずかに震える。


「君たちがボルドーの横領の共犯であることは、この帳簿ですでに証明されている。そして今、帯剣した状態で代官である俺に抗議を行い、拘束命令を妨害した」


 セレスティアンは事実を積み上げる。彼の声には恐怖も怒りもない。ただ状況を正確に分析し、結果を提示しているだけだ。


「選択肢は二つだ。一つは、このままボルドーと共に俺に牙を剥くこと。それは王家直轄領の代官への反逆罪を意味し、君たちだけでなく家族も同罪として処断される。もう一つは……」


 セレスティアンは手元の書類から視線を上げ、衛兵隊長を見据えた。


「今すぐボルドーを捕縛し、地下牢へ連行することだ。指示に従うなら、これまでの裏金の件は『ボルドーに強要されたもの』として処理し、今回の越権行為も不問にする。衛兵隊としての職務を継続することも許可する」


 沈黙が執務室を支配する。


「そ、そんな帳簿が本物である証拠がどこにある!」


 衛兵隊長が声を荒げ、剣の柄を握る手に力を込めた。


「本物かどうかは、お前たちが一番よく知っているはずだ。現に今、その剣を抜けないのが何よりの証拠だろう」


 セレスティアンの冷ややかな一瞥に、衛兵隊長は言葉を失い、そして奥歯を強く噛み締めた。

 損得の計算は誰にでもできる。反逆罪で一族もろとも破滅するか、元のパトロンを切り捨てて自分たちの地位を保つか。


 ボルドーは衛兵隊長にすがりつこうとしたが、隊長は彼の手を乱暴に振り払った。


「……ボルドー殿。大人しく同行願おう」


 衛兵隊長は低く唸り、部下たちに顎でしゃくった。数人の衛兵がボルドーの腕を両側からねじ上げる。


「ま、待て! 私を誰だと思っている! お前たちも同罪だぞ! 代官様、話せばわかる、私をどうか……!」


 ボルドーの叫び声は、衛兵たちによって無理やり廊下へ引きずり出され、やがて遠ざかっていった。


 室内に再び静寂が戻る。

 セレスティアンは微かに息を吐き、首の後ろを揉みほぐした。無駄な労力を使ったという徒労感だけが残る。


「……見事な手腕です」


 カイラが静かに口を開いた。彼女の目は、赴任初日のような無気力なものではない。真っ直ぐにセレスティアンを見つめ、そこには明確な畏敬の色が浮かんでいた。


「不正の証拠を握るだけでなく、衛兵隊の弱みを利用して一瞬で彼らを従わせるとは。王都の騎士団でも、あれほど鮮やかに事態を収拾できる者はそう多くありません」

「ただの交渉だ。彼らの一番の恐怖がどこにあるかを見極め、回避する道を示したにすぎない」


 セレスティアンは立ち上がり、窓際へ歩み寄った。眼下には、崩れかけた代官所の前庭と、その向こうに広がる痩せた街並みが見える。


「カイラ。すぐに街の広場に布告を出せ」


 彼は窓の外を見つめたまま指示を出した。


「ボルドーの更迭と、代官所の不正を現在調査中であること。それに伴い、今月分の徴税を一時凍結する。また、代官所の裏にある食料庫を開放し、最も困窮している街区から順に麦と保存肉の配給を行え。配給の基準と手順は君に一任する。高齢者と子供を抱える世帯を優先しろ」

「……食料庫の開放ですか。しかし、あれは代官所の備蓄であり、勝手に放出すれば王都への定期報告が……」

「飢えで領民が死んで労働力が尽きれば、備蓄など何の意味も持たない。数字の帳尻合わせは事後で構わない。ボルドーが着服し、屋敷に隠し持っているであろう資産を没収すれば、損失の補填は十分に可能だ」


 カイラは姿勢を正し、力強く頷いた。


「承知いたしました。直ちに手配します」


 長年、理不尽な搾取に苦しむ領民を見ながら、何もできずにいた彼女にとって、この指示は待ち望んでいたものだった。彼女が踵を返し、執務室を出て行こうとした背中に、セレスティアンは言葉を投げた。


「頼りにしているぞ、代官補佐」


 カイラの足がピタリと止まり、少しだけ肩が上下した。彼女は振り返らずに「はっ」と短く応え、今度は迷いのない足取りで廊下へと消えていった。


 その日の午後、代官所前の広場は異様な熱気に包まれていた。

 カイラが代官所の石段に立ち、よく通る声で布告文を読み上げる。最初は遠巻きに見ていた領民たちだったが、徴税の凍結と食料配給の知らせを聞くと、広場はどよめきに包まれた。


「本当か……? あのボルドーが捕まったのか?」

「麦がもらえるって……子供に食べさせられる……」


 長年彼らを苦しめてきた代官代理の更迭。そして、凍えと飢えを凌ぐための現実的な支援。

 セレスティアンは執務室の窓から、配給の列に並ぶ人々の姿を見下ろしていた。彼らの顔からは、昨日までの死人のような諦観が少しだけ薄れていた。


 セレスティアンは窓辺から離れ、再びマホガニーのデスクに向き直った。

 山積みの書類の多くは、ボルドーの不正を暴く過程で分類され、処理されるべき順序に並べ直されている。しかし、不正の根源を取り除いたからといって、領地がすぐに豊かになるわけではない。

 枯渇しかけた財政、荒廃した農地、限界を迎えている領民の体力。これらを立て直すための具体的な施策を早急に打ち出し、実行に移さなければならない。


(……結局、仕事が増えただけではないか)


 セレスティアンは内心で毒づきながら、椅子に腰を下ろした。

 自分が手を下さずとも領地が回る仕組みを作らなければ、平穏なスローライフなど永遠に訪れない。そのためには、実務を任せられる人材を揃え、仕事を割り振る必要がある。カイラはその第一歩だ。彼女には実務を統括する能力がある。


「今日だけ残業するつもりだったが……当分は定時退社など夢のまた夢だな」


 誰に聞かせるわけでもなく呟き、彼はため息交じりにインク壺へペン先を浸した。

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