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左遷された冷血公爵の領地経営改革〜有能な婿を捨てた元妻が泣きついてきましたが、もう遅い。優秀な部下たちと理想の領地を築きます〜  作者: 伊達ジン


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第37話 役員会議

 初夏の陽光が、アビス領の領都に新設された高級商業区の石畳を白く照らし出していた。

 関税の撤廃と周辺国からの莫大な投資によって生まれたこの区画は、かつての限界集落の面影を微塵も残していない。クレメント商会が資金を投じて建設した豪奢な石造りの建物が立ち並び、広い目抜き通りを各国の富裕層や特権商人たちが優雅に行き交っている。

 建物の入り口には異国の言葉を話すドアマンが立ち、ショーウィンドウには港町から氷結魔法で運ばれたばかりの希少な海産物や、精巧な魔導具が並べられていた。少し歩けば、新設されたオープンカフェから焙煎されたコーヒー豆と焼きたてのペイストリーの香りが漂ってくる。かつては泥濘にまみれ、飢餓に苦しむ者たちが蹲っていた通りは、今や王都すら凌ぐほどの活気と富の象徴となっていた。


 その中心にある会員制レストランのテラス席で、セレスティアンは静かにグラスを傾けていた。

 ダークネイビーの仕立ての良いスーツ。休日の私服とはいえ、無駄のない所作と彼自身が纏う冷徹なオーラは、周囲の喧騒を無意識のうちに遠ざけている。行き交う商人たちが時折彼に気づき、ハッとして頭を下げるが、彼は視線だけでそれに応じ、テーブルの上の葉巻入れに指を這わせた。


「王都の貴族たちが、ここ数日で面白いように泣きついてきていますわ」


 向かいの席で、ヴィオラ・クレメントが蠱惑的な笑みを浮かべた。

 完璧なプロポーションを際立たせるワインレッドのタイトドレス。胸元の開いたデザインと、そこから漂う最高級の香水は、すれ違う男たちの視線を釘付けにしてやまない。だが、彼女の視線は目の前の長身の男ただ一人に向けられていた。


「『クレメント商会の流通網を優先的に回してほしい』『アビス領のポーションを倍の価格で買うから、我が家門にだけは特別に回してくれ』。……少し前まで、辺境の泥水だと嘲笑っていた連中が、ですよ。今や手紙だけでなく、直接私の滞在先にまで使いの者を寄越す始末です」

「断ったのだろうな」

「ええ、当然です」


 ヴィオラは美しい指先で扇を広げ、口元を隠した。その瞳の奥には、冷酷な商人の色が灯っている。


「『あいにくと、当商会の物流枠は数ヶ月先までアビス領との専属契約で埋まっております。追加の輸送をご希望であれば、現在の相場の五倍の対価と、領地通行の特別許可証をご用意ください』と、丁重にお断りして差し上げましたわ。彼らの青ざめた顔といったら、極上の喜劇でした。王家の威光と少しばかりの金貨をチラつかせれば、商人は皆ひれ伏すと思い込んでいる。自分たちの足元の金庫が、すでに空になりかけていることにも気づかずに」


 セレスティアンはグラスを置き、眼下のメインストリートに視線を向けた。

 他領からの馬車が次々と荷を下ろし、活気に満ちた声が響いている。ここにある圧倒的な「豊かさ」こそが、王都の貴族たちが最も欲しがり、そして決して手に入らないものだった。


「裏で動く資金や、非合法な調達ルートの兆候はないか。連中もただ飢えを待つほど従順ではないはずだ」

「ご心配なく。周辺国への密輸ルートや、他商会を使った迂回取引の試みは、カミラ殿とエレナ殿が完全に潰していますわ。王都の市場は今、完全に陸の孤島。彼らが自由に動かせるカネも、モノも、すでに残されていません」


 ヴィオラはふと扇を閉じ、テーブルから身を乗り出した。豊かな胸元がテーブルの縁に押し付けられ、甘い香水がふわりと漂う。


「休日くらい、仕事の話は抜きにしませんこと? 私のこのドレス、先週王都から取り寄せた最新のデザインなのですが。少しは褒めてくださってもよろしくてよ」


 挑発的な上目遣い。若き女会頭としての威圧感を完全に消し去り、一人の女としての魅力を計算し尽くした仕草だった。

 セレスティアンは表情一つ変えず、彼女の瞳を真っ直ぐに見据えた。


「そのドレスの価値は、ここに来るまでにすれ違った男たちの視線が証明している。俺の承認など不要だろう」

「……本当に、可愛げのない方」


 ヴィオラは呆れたように息を吐き、ソファの背もたれにゆったりと身体を預けた。しかし、その瞳の奥には隠しきれない熱情が揺らめいている。

 地位も名誉も金も、すべてを己の実力で手に入れてきた彼女にとって、唯一思い通りにならない存在。自らの想像を絶する盤面を描き、王都の経済すら掌の上で転がすこの男の底知れなさが、彼女の征服欲をどうしようもなく刺激していた。


「まあ、いいですわ。あなたのその冷徹な計算が、私の商会に莫大な利益をもたらしているのは事実。最後まで、極上の景色を見せていただきますわよ」

「期待には、数字で応える」


 セレスティアンは短く応じ、再びグラスを手に取った。


★★★★★★★★★★★


 翌日の午前。アビス領代官所の中枢、大広間。

 分厚いオーク材の円卓を囲むように、7人の女たちが席についていた。

 部屋の空気は、前日の休日のような穏やかさとは無縁の、極めて実務的で張り詰めたものだった。壁際の暖炉の火が静かに爆ぜる音だけが、室内の静寂を際立たせている。


 セレスティアンが上座の執務椅子に深く腰を下ろした。

 足元では、すっかり体格の良くなったポチが、彼のブーツの踵に顎を乗せて静かに丸まっていた。耳だけを少し動かし、周囲の気配を窺っている。


「全員揃っているな。役員会議を始める」


 セレスティアンの低く重い声が響く。室内の空気が一瞬にして引き締まり、円卓を囲む7人の視線が一斉に彼へと向けられた。


「王都への実質的な経済制裁を開始して数週間。本日は、最終フェーズへ移行するための各部門の現状確認と、イレギュラーの有無を精査する」


 彼がわずかに顎を動かすと、右腕であるカイラ・アシュフィールドが立ち上がった。

 細身の執務服に身を包んだ彼女は、手元の分厚いファイルを開き、一切の淀みなく報告を始める。


「財務および実務の現状から報告します。王都からの『利益の8割を納めよ』という特別税の通達に対し、当方の法務局から送付した照会状への回答期限が昨日で切れました。現時点で王家の代理人からの法的な反論、あるいは使者の派遣はありません。完全に沈黙しています。一方、当領地の先月の純利益は過去最高を更新。現在進行中である第5区画の下水道拡張工事、および新規魔導炉の建設予算を即座に全額投下しても、手元資金がショートする懸念はゼロです。むしろ、周辺国からの投資資金が余剰に積み上がっている状態です」

「法的な手順は踏んだ。向こうが期日を守れない以上、こちらの事業にブレーキをかける必要はない。余剰資金は予定通り、次期インフラ整備の準備金に回せ」

「承知いたしました」


 カイラが着席すると、隣でカミラがアシンメトリーな前髪を払い、手元の書類を指先で弾いた。


「私宛にも、連日『アビス領に投資したい』『セレスティアン殿との会談の場を設けてほしい』という王都貴族からの書状が山のように届いていますのよ。これがそのリストです」


 カミラは手元にあった数枚の羊皮紙を、円卓の中央へ滑らせた。そこには王都の中枢に名を連ねる有力貴族の家門印がいくつも押されている。


「もちろん、表面上は『王命により国境が封鎖されているため、物理的に不可能』と返答してあります。エリシア殿下の責任を追及する派閥と、沈みゆく泥船からこちらへ寝返ろうとする派閥で、王都の貴族たちは完全に分裂状態です。もはや統制など取れていませんわ」


 ソフィアが、年齢にそぐわない冷めた青緑色の瞳で、カミラの出したリストと手元のデータを照らし合わせた。


「私の情報網が拾った王城内部の最新動向も、カミラのリストと完全に一致するわ。昨夜、エリシア殿下が強硬派の貴族たちに緊急の資金提供を求めたけれど、リストにある貴族を含め、過半数が体調不良を理由に登城を拒否したそうよ。王家の金庫の底は見えている。近衛騎士団の給与配分にも遅れが出始めていて、末端の兵士たちの間では不満が爆発寸前ね」


 セレスティアンは無言で頷き、円卓の向こう側を見た。


「広報の状況は」


 クロエ・ヴァレンタインが、愛嬌のある笑みを完全に消し去ったプロの顔で答える。


「国際社会への情報の波及スピードも想定以上よ。『王家が自らの失政を棚に上げ、不当な理由で辺境の革新を潰そうとしている』という構図は、周辺国の主要な商会やギルドにも完全に知れ渡っているわ。これ以上王都が理不尽な要求を続ければ、周辺国との外交問題に発展するという空気ができあがっている。どの国も、莫大な利益を生むアビス領との取引を邪魔されたくはないからね」

「技術部門の『保険』についても、いつでも動けるわ」


 イレーネが銀縁眼鏡を押し上げ、青い瞳を鋭く光らせた。


「メイン魔導炉の防壁設定、およびデータ転送プロトコルの最終テストは今朝完了したところよ。私かあなたの生体認証以外でアクセスが試みられた瞬間、すべての特許と製造プロセスは、ヴィオラの手引きでゼノア公国側の管理サーバーへ自動送信される。私の工房の技術者たちも、万が一の際の退避ルートは確保済みよ」


 ヴィオラが扇の奥で満足げに笑う。

 セレスティアンは机上で両手を組み、最後に部屋の隅の影に立つ女へと視線を向けた。


「エレナ。国境線の異常は」


 漆黒のレザースーツに身を包んだエレナは、影から半歩だけ前に出た。


「領境の警備レベルは最高段階を維持。この1週間、国境の第3監視所付近を含め、王都からの密偵や暗殺者の侵入はゼロです。向こうの部隊も資金繰りが悪化して、まともな作戦行動が取れないようですね。ですが、油断はしません。エリシア殿下が現状に焦り、正規軍を無理やり動かす可能性は残っています」


 正規軍の武力行使。

 圧倒的な戦力差を考えれば、王都側にとってそれが唯一の打開策であることは明白だった。金も、支持も、大義名分も失った権力者が最後にすがるのは、常に暴力だ。


「だが、腹を空かせた軍隊は動かない」


 セレスティアンは静かに言い放った。


「兵站が維持できない軍隊は、数日と持たずに内部崩壊する。軍が動けば、それが最終決算のトリガーとなる」


 各部門からの報告はすべて、一つの結末を指し示していた。

 現状の防衛ラインを維持しつつ、数字の推移から目を離さないこと。彼がこれまでに構築してきたシステムは、今や完全に自立して機能している。


「些細な異常があれば即座に報告しろ。……以上だ。各自、業務に戻れ」


 短い号令とともに、役員たちは一様に頷き、立ち上がった。

 カイラが手早く書類をファイルにまとめ、カミラとクロエが足早に部屋を出る。イレーネは新たな図面を広げながら工房へ向かい、エレナは再び影の中へと溶け込んだ。ソフィアも抱えた資料を小脇に抱え、足早に情報収集の拠点へと戻っていく。誰もが自分の果たすべきタスクを抱え、迅速に自室へと向かっていた。


 静けさを取り戻した大広間で、セレスティアンは一人残された円卓に座り、次なる決裁書類を手元に引き寄せた。

 足元で丸まっていたポチが目を覚まし、小さく欠伸をしてから、彼のブーツの紐に鼻先を擦り付けてくる。

 セレスティアンは視線を書類に向けたまま、空いた左手でポチの首筋をゆっくりと撫でた。万年筆のペン先が羊皮紙を滑る乾いた音が、規則正しく響き始めた。

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