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左遷された冷血公爵の領地経営改革〜有能な婿を捨てた元妻が泣きついてきましたが、もう遅い。優秀な部下たちと理想の領地を築きます〜  作者: 伊達ジン


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第21話 ソフィアの初手柄

 経済特区の設立宣言からひと月。

 王国の最北端に位置し、かつては流刑地とまで呼ばれたアビス領の領都は、今や血流が隅々まで行き渡った巨大な獣のように、凄まじい熱量をもって膨張を続けていた。

 関税の全面撤廃と、急ピッチで進むインフラの整備は、周辺国から莫大なヒトとモノを呼び込んだ。新たに建設された居住区や工房の赤茶けた屋根が日に日に増え、拡幅された主要街道は、重い荷を積んだ商隊の馬車が昼夜を問わず行き交っている。石畳を叩く馬の蹄の音と、商人たちの威勢の良い声、そして建築現場から響く槌音が、かつての「死の街」の静寂を完全に過去のものとしていた。


 しかし、組織や街が急激に拡大する時、その足元には必ず歪みが生じる。


 代官所の執務室には、各区画の工事進捗、新規事業の申請書、そして近隣諸国からの移住希望者のリストが、文字通り山のように積まれていた。

 セレスティアンが重厚なマホガニーの机に向かい、次々と決裁の万年筆を走らせている。静まり返った部屋に、紙が擦れる音とインクが走る音だけが響く。足元で丸まっていた仔犬のポチが、不意にパタンと控えめに開いた扉の音に反応して、短い耳をピクッと動かした。


「セレスティアン。第4区画の下水道拡張工事の件だけど」


 入ってきたのはソフィアだった。

 タイトな黒のワンピースに身を包んだ彼女は、14歳という年齢にそぐわない冷めた青緑色の瞳を、手元の数枚の伝票に向けている。足音も立てずに机の前に立つと、その伝票を無造作に置いた。


「これ、数字が合わないわよ」

「ほう」


 セレスティアンはペンを止め、視線を上げた。

 隣のデスクで、膨大な書類の束と格闘していた代官補佐のカイラが、怪訝な顔で覗き込む。


「ソフィア、その伝票は今朝、私が二度確認をして決裁に回したものです。資材の納入数も、人件費も、事前の見積もりと完全に一致していましたが」


 カイラの言葉は事実だった。彼女の実務能力に疑いの余地はない。提出された書類上の数字は、1銅貨の狂いもなく完璧に整合性が取れていたのだ。


「帳簿の『上』ではね。でも、現場は違うわ」


 ソフィアは唇を少し尖らせ、一番上にあった伝票の束を指先で弾いた。


「この工事を請け負ったガストン商会。耐水用の切り石を荷馬車30台分納入したことになってる。単価は石1つにつき銅貨5枚。でも、あたしが昨日の夕方、現場で数えた切り石の総数は、どう計算しても馬車25台分しかなかった」


「……納入の遅れではなく?」と、カイラが問う。


「違うわ。現場の職人たちは『これで全部だ、明日から敷き詰め作業に入る』って話してた。それに、馬車が通った後の轍の深さ。30台分の重機材を運んだにしては、通りの石畳に刻まれた泥の跡が浅すぎる」


 ソフィアは淀みなく言葉を続ける。


「ガストン商会の現場担当者は、石材の数を誤魔化して納入し、帳簿上は満額で請求を出してる。浮いた石材は闇市に流すか、別の現場に回すつもりね。ちなみに、その担当者が昨夜、裏通りの酒場で払ったツケの額。銀貨4枚と銅貨20枚。……消えた石材5台分の差額と、ピタリと一致するわ」


 執務室に静寂が落ちた。

 カイラが僅かに息を呑む。

 セレスティアンは背もたれに深く寄りかかり、微かに口角を上げた。


「カイラ。すぐにガストン商会の担当者を拘束しろ。ソフィアが集めた証拠を突きつければ、5分で吐く。被害額の3倍を違約金として請求し、応じなければ特区からの永久追放だ」

「……はっ。直ちに」


 カイラが足早に退出していくのを見送り、ソフィアは少し誇らしげに胸を張った。


「どう? あたしだって、ただご飯を食べてるだけじゃないのよ」

「見事だ。数字の矛盾を現場の事実で裏付ける。俺の教えた計算と筋道を、完璧に理解している」

「当然よ。あんたの役に立たない人間は、ここにいられないんでしょう?」

「そうだな。お前は今日、確実に自分の給与以上の利益をこの領地にもたらした」


 セレスティアンは立ち上がり、椅子に掛けていた上着を手に取った。


「来い。約束通り、特別報酬を出そう」


★★★★★★★★★★★


 案内されたのは、新設されたばかりの迎賓館の一室だった。

 他国の要人や豪商をもてなすために設えられたその部屋は、重厚な調度品で統一されている。磨き上げられた床には毛足の長い絨毯が敷かれ、暖炉には赤々と火が入り、室内を心地よい温度に保っている。

 だが、ソフィアの目を引いたのは豪華な内装ではなかった。

 広々としたテーブルの上に、王都の高級レストランすら霞むほどの圧倒的な光景が広がっていたからだ。


 クレメント商会が構築した、周辺国を巻き込む強大な物流網。そして、イレーネが開発した氷結魔法による特殊な保冷箱。その2つが完全に機能し交わった結果、この最果ての辺境に、世界中の極上の食材が最高の鮮度を保ったまま集積するようになっていた。かつては干し肉と固い黒パンしか口にできなかったこの土地で、信じられないような奇跡が日常になりつつある。


「な……なに、これ」


 ソフィアは目を丸くして立ち尽くした。スラムで残飯を漁り、その日を生き延びるだけで精一杯だった頃の彼女には、想像すらできない彩りと匂いの暴力だった。テーブルを埋め尽くす皿の数々は、まるで宝飾品のように美しく輝いている。


 セレスティアンは彼女に席を勧め、自らも向かいにゆったりと腰を下ろす。


「まずは、乾杯だ」


 給仕が静かに進み出て、二人のグラスに冷えたシャンパンを注いだ。細かい黄金色の泡が、底から絶え間なく立ち上る。

 ソフィアが恐る恐るグラスの縁に口をつけると、果実の鮮烈な香りと、舌を刺す弾けるような刺激に目を白黒させた。

 セレスティアンは静かにグラスを傾け、前菜の皿へと手を伸ばす。


「食べろ。冷める前に」


 テーブルの端に並ぶのは、桜色の木材でじっくりと燻された芳醇な香りのスモークチーズ。そして、舌の上で濃厚に溶けるあん肝と、手のひらほどもある巨大な岩牡蠣だ。

 ソフィアはフォークを力強く握りしめ、殻に乗った岩牡蠣を一口で頬張った。


「んんっ……!」


 強い磯の香りとクリーミーな旨味が口の中で爆発し、慌ててシャンパンで流し込むと、酸味がそれを完璧に洗い流し、さらに次の食欲を掻き立てる。彼女の青緑色の瞳が、信じられないというように大きく見開かれた。


 料理は止まらない。

 次に運ばれてきたのは、表面を香ばしく炙られた白子焼きだった。

 セレスティアンはそれに合わせ、極東から取り寄せたという「米の酒」を小さな器に注がせた。無色透明でありながら、米のふくよかな甘みと澄んだ香りを持つその酒は、白子の濃厚な脂を優しく包み込み、後味をすっきりと切り取っていく。

 ソフィアは酒には口をつけなかったが、白子焼きのあまりの熱さと美味さに、ハフハフと吐息を漏らしながら無心で咀嚼していた。


「これもいけるわよ! 何これ、辛いけど止まらない……!」


 彼女が夢中になっているのは、牡蠣の塩辛と一緒に漬け込まれた真っ赤なキムチと、自家製明太子だった。唐辛子の刺激と海産物の深い旨味が、強烈な食欲を刺激し、額に薄っすらと汗を浮かべながらもフォークを止めることができない。これだけでも黒パンが何個も食べられそうだった。


「炭水化物も入れておけ」


 セレスティアンの合図で、艶やかなシャリの上に乗った握り寿司が運ばれてきた。

 表面を軽く炙り、岩塩と柑橘を絞った牛肉の握り。

 そして、港町から氷結魔法で運ばれたばかりの、鮮やかな赤とピンクのグラデーションを描く中トロの握りと、大トロの握りだ。


「……お肉が、溶けたわ」


 大トロを口に放り込んだソフィアは、呆然と呟いた。魚とは思えないほどの豊かな脂が、人肌の温度に握られたほの甘いシャリとともに、噛む間もなく喉の奥へ消えていく。口の中に残る甘い余韻が、スラムで食べていた硬い筋ばかりの肉とは次元が違うことを教えてくれた。


 メインの皿が続く。

 柔らかく煮込まれたタコの薄切りは、噛むほどに深い甘みが滲み出る。脂の乗り切った関鯖の炙りは、香ばしい皮目と身の旨味が絶妙な調和を見せている。そして、弾けるような食感の車エビ。さらに、ガーリックとハーブをふんだんに効かせた鶏のバターソテーが運ばれると、濃厚な香りが部屋中に充満し、胃袋の限界を忘れさせた。ソフィアは行儀悪く指を舐めながら、次々と運ばれてくる料理に食らいついた。


 セレスティアンはそれらの強烈な味覚に合わせ、熟成されたシェリー酒と、重厚な赤ワインをグラスに変えてゆっくりと味わっている。その所作には一切の無駄がなく、食事という行為すらも、彼にとっては一つの完璧に計算された儀式のように見えた。


「まだあるぞ」


 最後にドカンと置かれたのは、領内の農家が手塩にかけて育てた放牧豚の分厚いトンカツだった。粗めのパン粉が黄金色に揚がり、ナイフを入れた瞬間のザクッという快音とともに、暴力的なまでの肉汁が溢れ出す。特製のソースの香ばしい匂いが、最後の一口までソフィアの欲望を牽引した。


「うぅ……もう、お腹がはち切れそう……」


 全てを平らげたソフィアは、テーブルに突っ伏して幸せそうなため息をついた。

 食後酒として出された、甘く香ばしいマデラワインをほんの少しだけ舐めた彼女の頬は、微かに桜色に染まっている。暖炉の火が、彼女の満ち足りた表情を柔らかく照らしていた。


「あんたは、本当に魔法使いみたいね」


 ソフィアがテーブルに頬をつけたまま、上目遣いでセレスティアンを見上げた。


「石ころみたいなこの街を、数ヶ月でこんな風にしちゃうんだから」


「ただの物流と技術がもたらす必然だ。正しい場所に資本を投下し、正しい筋道で動かせば、世界中の富はこのテーブルの上のように集約される」


 セレスティアンはグラスに残ったマデラワインを飲み干し、静かに言った。


「今日のお前は、その仕組みを守るための重要な歯車として機能した。胸を張れ。お前はもう、裏街で小銭を漁るネズミではない」


 ソフィアは何も答えなかったが、その口元は微かに緩んでいた。

 彼女はゆっくりと目を閉じ、温かい満腹感の中で、明日もまたこの冷徹な主の期待を完璧に上回ってやろうと、小さく決意を固めていた。

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