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左遷された冷血公爵の領地経営改革〜有能な婿を捨てた元妻が泣きついてきましたが、もう遅い。優秀な部下たちと理想の領地を築きます〜  作者: 伊達ジン


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第16話 専属ビジネスパートナー契約

 セレスティアンの宣告が応接室に響き渡った後、重い沈黙が降りた。

 ヴィオラは手にした美しい羽根扇を、パチンと音を立てて閉じた。完璧なメイクで整えられた彼女の顔から、先程までの余裕を装った仮面が剥がれ落ちる。

 代わりに浮かんだのは、不敵な笑みだった。獲物を見つけた肉食獣のような、あるいは極上の宝石を前にした鑑定士のような、熱を帯びた生々しい表情。


「……降参ですわ。ええ、完膚なきまでに」


 彼女は深く息を吐き、ソファの背もたれにゆったりと身体を預けた。タイトなドレスの生地が擦れ、蠱惑的な曲線が強調される。

 王都周辺の流通を牛耳る新進気鋭の女会頭。彼女は無能を何よりも嫌う。だからこそ、目の前の男がいかに緻密に盤面を構築し、自分を完全に包囲したのかを誰よりも正確に理解していた。

 代官所の奥にいるイレーネの技術力、そして壁際で油断なくこちらを見つめるソフィアの圧倒的な情報収集能力。それらを統率し、一切の容赦なく急所を突いてきたセレスティアンの手腕。

 王都の貴族たちは、家柄と権力だけで商人を平伏させようとする。だがこの男は違う。徹底したデータと、逃げ道を塞ぐ圧倒的なロジックで、クレメント商会の息の根を止める準備を完了させてから交渉の席に着いていたのだ。


「それで? これから私をどう料理なさるおつもり?」


 ヴィオラは艶やかな唇を吊り上げ、挑発するようにセレスティアンを見つめた。


「足元を見た買い叩きなど、もはや不可能。こちらの台所事情は筒抜け。となれば、今度はあなたが私を買い叩く番ですわね」


 セレスティアンは静かに、机の上に1枚の書類を滑らせた。


「先日伝えた通り、販売価格と各店舗の利益率はこちらで完全に指定する。全店舗で価格と陳列方法を厳格に統一しろ」

「ええ、ええ。ブランドの価値をあなた自身で統制するのでしょう?」

「その条件を呑むなら、アビス領で生産するポーションの流通と販売を、クレメント商会に独占委託する」

「独占……」


 ヴィオラの目が鋭く細められた。


「残りの卸売利益から、クレメント商会に入る商会の取り分は3割とする。さらに、今後俺が指定する特定の物資の買い付けを、市場価格よりも優先的に、かつ秘密裏に行う義務を負う」

「価格の決定権すら奪われた上で、私たちの手数料はたったの3割? えげつない条件ですこと。せめて4割が筋ではなくて?」

「2割にするか」

「……3割で結構よ」


 ヴィオラは即答した。3割しか手元に残らなくても、この圧倒的な品質を持つポーションを独占できる恩恵は計り知れない。自社の商路に乗せれば、その圧倒的な集客力によって、他の薬草や日用品の売り上げも間違いなく跳ね上がる。クレメント商会の名前は、周辺国にまで轟くことになるだろう。

 彼女が備え付けの羽根ペンを手に取ろうとした瞬間、セレスティアンはさらに別の書類をその上に重ねた。


「独占契約の条件が、もう一つある」

「まだ搾り取るおつもり?」

「お前を、俺の陣営の『営業・外交統括』に命じる」


 ヴィオラの動きが止まった。瞬きを繰り返し、書類の文面とセレスティアンの顔を交互に見比べる。


「……私を、あなたの配下につけと?」

「専属の協力者だ」


 セレスティアンは言い放った。


「単なる卸先として終わらせる気はない。お前の持つ広大な販路、他国の商人との交渉力、そして大衆の財布を開かせる手腕。それを、俺の領地のために使え」


 ヴィオラは小さく息を呑んだ。

 王家の見込み違いで辺境に追放された男。だが、彼が見据えているのはこの痩せた領地の安定などではない。もっと巨大で、途方もない盤面だ。

 彼女の中で、計算と欲望が激しく交錯する。これほど危険で、これほど魅力的な取引は、彼女の商人としての人生でも初めてのことだった。

 そして数秒後、ヴィオラは喉の奥で艶やかな笑い声を立てた。


「……本当に、恐ろしい方。ルシフェル公爵家も王家も、とんでもない化け物を手放したものですわね」


 彼女は迷いなくペンを走らせ、2枚の書類に流麗なサインを刻んだ。


「承知いたしましたわ、セレスティアン。私の全てを懸けて、あなたに最高の利益をお約束するわ」


 契約締結から数週間後。

 アビス領のポーションは、クレメント商会の巨大な流通網に乗り、王都や周辺国の市場を瞬く間に席巻した。

 イレーネが構築した魔導具による生産ラインは、熟練の職人を必要とせず、ただ手順通りに作業を行うだけで最高品質の薬液を生み出し続ける。昼夜を問わず稼働するその現場は、セレスティアンが定めた就業規則に基づき、作業員たちが厳格なシフト制で管理されていた。

 十分な休息と、生産量に応じた破格のインセンティブを与えられた領民たちは疲弊するどころか、給与袋の重みに目を輝かせている。一部の若者たちは自発的に作業動線の改善案を提出し、それが採用されればさらに特別手当が支給されるという好循環が生まれていた。

 透き通るような青い液体は次々と頑丈な木箱に詰められ、クレメント商会の紋章を掲げた荷馬車によって運び出されていく。


 執務室で報告書を読み上げていたカイラが、わずかに声を上ずらせた。


「……以上が、今月上半期のポーション売上による最終的な利益です。先月の領地全体の税収の、およそ50倍に達しています」


 彼女は革張りの帳簿から顔を上げ、セレスティアンを真っ直ぐに見つめた。


「王都の保守的な商会は、クレメント商会の突然の独占販売に対して激しい抗議の声を上げているようです。しかし、後の祭りです。彼らが独自のルートで類似品を作ろうと画策したところで、イレーネ殿の抽出技術と、ヴィオラ殿が築いた強固な流通網には到底追いつけません」

「外貨の流入経路は確立された」


 セレスティアンは万年筆を置き、書類に決裁印を押す。


「カイラ。この資金を元手に、領都のメインストリートの舗装と、治水工事の前倒しを計画しろ。人員は近隣の村からも日雇いで募集し、適正な対価を払え。冬の足音が近い。街の衛生環境と物流の基盤を整えるインフラ整備は急務だ」

「は、はい。直ちに手配いたします」


 カイラが一礼して部屋を出て行こうとした時、扉が開き、華やかな香水の香りが執務室に入り込んできた。


「ごきげんよう、私の優秀な代官様」


 洗練されたボルドーのドレスに身を包んだヴィオラだった。身体のラインを強調したその出で立ちは、殺風景な代官所の廊下にはあまりにも不釣り合いで、すれ違う衛兵たちが目を奪われて立ち止まるほどだ。


「ヴィオラ殿。アビス領へようこそ」


 カイラが事務的に挨拶を交わして退室すると、ヴィオラは優雅な足取りでセレスティアンの机の前に歩み寄った。


「王都の商会連中の青ざめた顔、あなたにも見せてあげたかったですわ。私たちのポーションのせいで、彼らの在庫はただの泥水同然ですもの」

「報告は受けている。順調に結果を出しているようだな」

「ええ。ですが、書類の数字だけでは味気ないでしょう? パートナーとして、領都の市場の視察をご一緒しませんこと?」


 ヴィオラは机に両手をつき、セレスティアンの顔を覗き込んだ。大きく開いた胸元が強調され、挑発的な視線が彼を射抜く。

 だが、セレスティアンは視線をそらすことなく立ち上がった。


「いいだろう。現場の活気を確認しておく必要はある」


 アビス領の領都は、数ヶ月前とは別世界のように変貌していた。

 通りには真新しい天幕を張った露店がひしめき合い、冬を前にして厚手の外套や豊かな食料を買い求める領民たちで溢れかえっている。以前は飢餓の影に怯え、虚ろな目をしていた人々が、今は笑い声を上げながら肉串を頬張り、商人たちと威勢よく値切り交渉を楽しんでいる。

 セレスティアンとヴィオラが並んで歩くと、その圧倒的な存在感に人波が自然と割れた。ダークトーンのミリタリーテイストな執務服を着崩した長身の代官と、王都の最先端を行くドレスを纏った妖艶な女会頭。周囲の視線が釘付けになるのも無理はない。


「素晴らしい活気ですわね」


 ヴィオラは自然な動作でセレスティアンの右腕に自分の腕を絡め、豊満な身体を預けるように密着してくる。


「数ヶ月前まで、餓死者が出ていた最果ての土地とは思えない。まるで王都の商業区を歩いているようですわ」


 セレスティアンは彼女の腕を振り払うことはせず、歩調を合わせながら周囲の露店を観察した。


「金が回れば人は動く。だが、まだ足りない。道幅も狭く、排水設備も不十分だ。馬車の行き来が増えれば、すぐに物流が滞る。インフラがこの人流に追いついていない」

「どこまでも実務的ですのね。隣を歩く女のドレスを褒める言葉の一つもありませんの?」

「そのドレスの価値は、周囲の人間が十分に評価しているだろう。俺が言うまでもない」


 ヴィオラは小さく吹き出した。


「本当に、食えないお方」


 その日の夜。

 領都で最も設備の整った迎賓館の食堂に、ヴィオラの手配による豪奢なディナーが用意されていた。

 燭台の柔らかな光が、グラスに注がれた赤ワインを宝石のように照らしている。テーブルには、アビス領で収穫されたばかりの冬野菜と、王都から取り寄せた高級な肉を使った見事な料理が並べられていた。

 ヴィオラはワイングラスを細い指で弄びながら、向かいに座るセレスティアンを見つめた。


「不思議な方ですわ」


 彼女のトーンから、からかうような響きが消える。


「これだけの莫大な富を手に入れながら、あなたは領民には相変わらず週に2日の休みを与え、残業もさせず、惜しげもなく手当を配っている。王都の貴族たちなら、その金を全て自分の懐に入れ、さらに領民を休まず働かせて極限まで利益を搾り取るでしょうに」

「長持ちしない道具を使い潰すのは、無能な現場監督のやることだ」


 セレスティアンはナイフを動かし、肉を切り分けながら答えた。


「疲労困憊の人間が作る品に、品質の保証はない。怪我人が出れば生産ラインは止まり、結局は全体の利益が下がる」


 彼はフォークを置き、三白眼の鋭い瞳でヴィオラを真っ直ぐに見た。


「適度な休息と正当な報酬を与えれば、彼らは明日も同じ水準で利益を出し続ける。俺は彼らの健康と、持続可能な労働力を金で買っているにすぎない。目先の金に目が眩んで組織の寿命を縮めるような愚行は、俺の流儀ではない」


 ヴィオラはしばらく無言で彼を見つめ返していた。

 冷徹な計算と、恐ろしいほどの合理性。王都の貴族たちが掲げる高貴なる義務などという薄っぺらな建前よりも、彼のその論理の方が、遥かに領民を救い、そして豊かにしている。

 彼女はワインを一口含み、その芳醇な香りを味わうように目を閉じた。


「……あなたと組んで、本当に正解だったわ」


 グラスを置いたヴィオラは、テーブルに肘をつき、これまでで最も妖艶で、同時に本心を曝け出した笑みを浮かべた。


「仕事以外でも、私を退屈させないでくださる?」

「契約の範囲内でな」


 セレスティアンの短く素っ気ない返答に、ヴィオラは艶やかな笑い声を響かせた。

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