表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
左遷された冷血公爵の領地経営改革〜有能な婿を捨てた元妻が泣きついてきましたが、もう遅い。優秀な部下たちと理想の領地を築きます〜  作者: 伊達ジン


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
15/46

第15話 悪魔的プレゼンテーション

「お前たちは今、喉から手が出るほど『新しい目玉商品』を欲している。俺たちが別の新興商会と組めば、クレメント商会のシェアは確実に食われる。だから急いで辺境までやってきて、恩着せがましい態度で安く買い叩こうとした」


 セレスティアンの冷徹な声が、応接室の重い空気をさらに凍らせた。

 ソフィアが突きつけた無慈悲なほど正確なデータによって、クレメント商会の内情と苦境は完全に暴かれていた。各倉庫のポーション出庫量の激減から、ライバル商会との薬草買い付け競争における敗北まで、辺境の代官所の一室にいながらにして、彼らは王都の巨大商会の台所事情を全て見透かしていたのだ。

 ヴィオラは完璧なメイクを施した顔を僅かに強張らせた。手にした扇で口元を隠しているが、その奥で歯噛みしているのがわかる。しかし、彼女は巨大商会を束ねる若き女会頭だ。すぐに余裕の仮面を被り直し、艶やかな笑みを浮かべた。


「……子供の数字遊びですわね。たまたま買い付けの時期がずれただけのことを、針小棒大に。それに、別の商会とおっしゃいますが、王都の保守的な商人たちがルシフェル公爵家から見放されたあなたと取引する勇気があるかしら?」

「ならば、なぜこの辺境まで急いで足を運んだ。暇を持て余した商会主の慰安旅行か」


 一刀両断だった。ヴィオラの反論を全く意に介さず、セレスティアンはソフィアに下がるよう顎で示した。ソフィアは小さく一礼して壁際に戻る。その小さな肩が、大役を果たした安堵で微かに上下していた。


「クレメント商会の台所事情をあげつらって、足元を見るような真似はしない」


 セレスティアンは机の上で両手を組み、ヴィオラの目を真っ直ぐに見据えた。


「俺が求めているのは、小銭稼ぎの駆け引きではない。お前たちの流通網を使った、新しい市場の開拓だ」

「……どういうことかしら?」

「このポーションの『独占販売権』をお前たちに与える。今後、他の商会には一切卸さない」


 ヴィオラが怪訝な顔をした。


「独占……? 卸値を吊り上げるどころか、うちだけにと? あなた、それがどういうことかわかっているの? 競合させなければ、こちらが好きなように買い叩くことも可能になってよ」

「買い叩くことはできない。販売価格と利益率は、こちらが完全に指定する」


 ヴィオラが鼻で笑う。


「商人に売り方を指定する? 本気で言っているの? 私たちは長年、この市場で――」

「長年の経験など、新しい技術の前では何の意味も持たない」


 セレスティアンは一枚の書類をヴィオラの前に滑らせた。


「ただ商品を卸すだけではない。クレメント商会の傘下にある店舗で、このポーション『専用の棚』を作らせる。陳列方法、販売価格は全店舗で統一。さらに、店舗の看板の横には、アビス領の公式な『認可印』を掲げさせる。品質は俺たちが完全に保証する。お前たちの店舗は、アビス領の認可を受けた特約店として機能する」


 ヴィオラは書類に目を落とした。最初は嘲笑を含んでいたその瞳が、文字と数字を追うごとに徐々に大きく見開かれていく。優雅な所作を保っていたはずの彼女の指先が、紙面を握りしめるあまり微かに白くなっていた。


「……待って。この販売価格、原価の計算が合わないわ。いくらなんでも安すぎる。これでは競合他社が値段を下げてきた時に……」

「対応する必要はない」


 セレスティアンは淡々と告げた。


「顧客は『クレメント商会に行けば、確実に高品質で安価なポーションが手に入る』と学習する。品質への絶対的な信頼がある限り、不毛な価格競争には巻き込まれない。その代わり、指定の価格から銅貨一枚でも下げて売ったり、他の粗悪品を混ぜて販売した店舗があれば、即座に特約店の契約を解除し、二度と商品は卸さない」


 ヴィオラは言葉を失っていた。書類に書かれた数字の羅列を、信じられないものを見るような目で何度もなぞる。普段から纏っている高級な香水の甘い匂いに混じって、彼女の浅く早い呼吸の音だけが、静寂の落ちた応接室に響いていた。


「……こんな、こんな契約……王都の市場が、これで完全にひっくり返るわね……!」


 沈黙の後、ヴィオラが絞り出すように言った。その声には、巨大な利益を前にした商人としての本能的な震えと、目の前の男に対する底知れぬ畏怖が混じっていた。


「いや。王都には売らない」

「は……?」


 ヴィオラは顔を上げ、セレスティアンを呆然と見た。一番の消費地を捨てるというのか。


「現時点で、王都の市場は切り捨てる。王家と旧態依然の貴族が牛耳る市場でこれを売れば、必ず既存の利権を持つ連中が理不尽な横槍を入れてくるだろう。今はまだ無用な摩擦は避けておきたい。お前たちの持つ東の同盟国と、北の商業国家へのルートを使え」


 ヴィオラはハッとして息を呑んだ。


「……他国で、先に最高級品としての名声を確立させるというの?」

「そうだ。他国の新しい市場で『クレメント商会が扱う新時代のポーション』として絶対的な地位を築け。王都の連中が気づいた頃には、お前たちの商会は周辺国で圧倒的な市場を握っているはずだ。そうなれば、王都の貴族たちも簡単には手を出せなくなる」


 ヴィオラは書類を強く握りしめ、深いため息を吐いて扇を閉じた。

 彼女の顔から余裕ぶった妖艶な笑みは消え去り、代わりに生粋の勝負師としての鋭い光が瞳に宿っていた。

 商人としての直感が、これが途方もない利益と権力を生むと告げている。だが同時に、この契約を結べば、クレメント商会は二度とアビス領から離れられなくなる。このポーションの流通に依存し、実質的に彼の経済圏に飲み込まれる。

 しかし、もしこれを断り、彼が別の新興商会とこの契約を結んだら? クレメント商会は数ヶ月後、間違いなく破滅する。選択の余地など、最初からなかったのだ。


「……いいわ。乗ってあげる。ただし、契約書の細部はこちらで詰めさせてもらうわよ。商会の首根っこまで完全に掴まれるような真似はご免だから」

「構わない。法務関係は代官補佐のカイラと詰めてくれ」


 セレスティアンは短く頷き、立ち上がった。


「これで、クレメント商会はアビス領の公式なビジネスパートナーだ。せいぜい有能な働きを期待している」


 ヴィオラは忌々しそうに、だがどこか楽しげに唇を歪め、挑戦的な視線を返した。


「ええ、せいぜいこき使わせてもらうわ。冷徹な辺境伯」


 その日の深夜。代官所の厨房。

 先ほどのヒリつくような交渉の熱気とは打って変わり、石造りの空間には穏やかな静寂が落ちていた。

 セレスティアンはシャツの袖を慣れた手つきで肘まで捲り上げ、水場で入念に手を洗っていた。足元からは、待ちきれないような「キュン、キュゥ」という甲高い鳴き声が絶え間なく聞こえてくる。


 生後2ヶ月のポチだ。

 路地裏で拾われてから数週間。適切な栄養を与えられたことで、当初の骨と皮だけのような姿から見違えるほど丸々と成長し、今やコロコロとした黒と茶色の毛玉のようになっていた。だが、まだ顎の力や消化器官は未発達であり、大人の犬と同じ硬い食事は食べられない。


 セレスティアンは、厨房の冷暗所から出してきた新鮮な鶏胸肉の筋を、ペティナイフで丁寧に一つ一つ取り除いていた。滑らかな刃さばきで白い筋だけを切り離し、純粋な赤身の部分だけを残していく。

 筋を取った肉を、今度は包丁の背を使って徹底的に叩いていく。タンタンタン、というリズミカルな音が厨房に響く。肉の繊維が完全に潰れ、滑らかなペースト状になるまで手を止めない。

 ポチがその音に合わせて、目にも留まらぬ速さで短い尻尾を左右に振りながら、彼のブーツのつま先に前足を乗せてくる。


「待て。まだだ」


 セレスティアンは低く声をかけながら、隣の小さな鍋に火を入れた。

 鍋には、領内の農家から直接買い上げた新鮮なヤギのミルク。そこに、あらかじめすり鉢で細かくすり潰しておいたカボチャと少量の野菜のペーストを投入する。

 木べらでゆっくりと掻き混ぜながら、焦げ付かないように慎重に温度を上げていく。ミルクの濃厚な甘い匂いと、カボチャの香ばしい匂いが湯気とともに厨房にふわりと広がった。


「ヒャフンッ!」


 匂いに耐えきれなくなったのか、ポチが短い後ろ脚で立ち上がり、彼の膝裏に鼻先をこすりつけてきた。爪先が床をシャカシャカと掻き鳴らす音が、主への必死な催促を物語っている。


「……だから、待てと言っている」


 言葉とは裏腹に、セレスティアンの目元はわずかに緩んでいた。

 沸騰する直前で鍋を火から下ろし、そこに先ほど叩いた鶏肉のペーストを素早く混ぜ込む。余熱で肉にゆっくりと火を通すことで、パサつくことなく、極限まで柔らかい食感に仕上げるのだ。

 全体がとろみのあるスープ状になったところで、それを平たい木製の皿に移した。


 だが、すぐには与えない。

 セレスティアンは皿を手に持ち、指の背をそっと中身に当てた。


(……まだ熱い。離乳期の栄養価の偏りや消化不良は、後の骨格形成に致命的な影響を与える。火傷をすれば、トラウマから食事そのものを拒否するようになる可能性がある)


 彼は自らの息で少しずつ冷まし、完全に人肌の温度になるまで待った。

 その間、ポチは彼の足元でお座りの姿勢をとっていたが、尻尾の動きだけは止められず、床をパタパタと叩き続けている。琥珀色の丸い瞳が、皿とセレスティアンの顔を交互に必死に見つめていた。


「よし」


 短い許可の言葉とともに、皿を床に置く。

 その瞬間、ポチは弾かれたように皿に飛びついた。


「チャプチャプチャプチャプ!」


 小さな舌が目にも留まらぬ速さで動き、ミルクと肉のペーストを猛烈な勢いで吸い込んでいく。息継ぎすら忘れているのではないかと思うほどの必死な食べっぷりだ。

 勢い余って、皿の縁に前足を踏み入れてしまいそうになるのを、セレスティアンがそっと手で押さえてやる。

 顔の半分を皿に突っ込み、鼻の頭には黄色いカボチャのミルクがべったりとついている。時折「フンッ」と息を鳴らしながら、無我夢中で食べ続けるその小さな背中を見下ろしながら、セレスティアンは床に片膝をついた。


 彼は無意識のうちに手を伸ばし、ポチの柔らかい首筋から背中にかけてを、ゆっくりと撫でていた。

 小さな身体からは、懸命に生きようとする熱い鼓動が伝わってくる。

 ポチはあっという間に皿を舐め尽くすと、まだ足りないと言わんばかりに空の皿を鼻先でツンツンと押し、床を舐め回そうとした。それからセレスティアンを見上げて「キュゥ」と満足げに鳴いた。

 鼻の頭についたミルクを舐めとろうと、短い舌を一生懸命に伸ばしているが、微妙に届いていない。


「……下手くそだな」


 セレスティアンは呆れたように呟き、清潔な布でポチの鼻先を優しく拭ってやった。

 ポチは彼の太い指にじゃれつくように甘噛みをし、そのまま彼の膝の上にコロンと転がって腹を見せた。満腹になり、完全に警戒心を解いている証拠だった。

 彼がその柔らかい腹を撫でてやると、ポチは喉の奥でグルグルと心地よさそうな音を鳴らし、やがて目を細めて、スヤスヤと規則的な寝息を立て始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ