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左遷された冷血公爵の領地経営改革〜有能な婿を捨てた元妻が泣きついてきましたが、もう遅い。優秀な部下たちと理想の領地を築きます〜  作者: 伊達ジン


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第11話 異端の天才学者登場

 7日のうち2日設けられた完全休息日。

 アビス領の領都は、これまでにない活気と喧騒に包まれていた。

 代官所が休息を義務付けたことで、最初は戸惑っていた領民たちも徐々に余暇の使い方を覚え、自然と市場へ足を運ぶようになっている。それに伴い、近隣の村からの行商人や芸人も増え始め、大通りには色とりどりの天幕が立ち並んでいた。

 屋台からは串焼きや香辛料の匂いが漂い、木の実を飴でコーティングした菓子をねだる子供たちの笑い声が響く。

 その賑わう大通りを、セレスティアンは代官補佐のカイラを伴って歩いていた。

 いつもの軍服風の執務服ではなく、動きやすいダークトーンの質の良い外套を羽織っている。隣を歩くカイラも文官服を脱ぎ、動きやすさを重視しながらも仕立ての美しい平服姿だ。並んで歩く長身の男女は嫌でも目を引き、すれ違う領民たちが弾かれたように道を譲っては、深々と頭を下げていく。

 周囲から見れば、代官と美しい側近の休日の逢瀬に見えるかもしれない。実際、カイラは普段とは違う主君の隣を私服で歩くことに、ほんの少しだけ歩幅を意識し、不自然にならないよう背筋を伸ばしていた。

 しかし、当のセレスティアンの視線は、隣を歩く女性や休日の和やかな風景には向けられていない。彼の目は、露店に並ぶ商品や人々の動線、そして金貨がどう流れているかにしか注がれていなかった。


「……やはり、独自の価値を持つものは見当たらないな」


 並べられた冬野菜や、粗末ななめし革を一瞥し、彼は低く呟いた。

 資源調査の一環として自ら市場に足を運んだものの、王都の商人が大金を払ってでも買い付けたくなるような品は、一つとして見つからない。


「はい。持ち込まれるのは、日々の生活に最低限必要な消耗品ばかりです」


 カイラが少し申し訳なさそうに答える。


「領地内の経済を回すだけならこれでも十分ですが、外貨を稼ぐための特産品としては……」

「弱すぎる。圧倒的な付加価値が足りない」


 セレスティアンは歩きながら、露店の一つに目を向けた。


「例えばあの毛皮だ。ただ狩猟して剥いだだけのものを売っても二束三文にしかならない。だが、特殊な染色技術や防寒の魔法付与といった加工を施せば、王都の貴族向けに価格を何十倍にも跳ね上げることができる。俺たちが探しているのは、その『加工』を生み出すための技術と素材だ」


 二人が薬師や採集者が集まる区画に差し掛かった時、前方の小さな露店で揉め事が起きているのが目に入った。

 恰幅の良い商人の前で、一人の女性が身を乗り出して何かをまくし立てている。


「だから、その保存方法は間違っていると言っているのよ! この『夜泣き草』は根の先端に微量の魔力を蓄える性質があるのに、そんな雑な乾燥のさせ方をしたら魔力伝導率が落ちるじゃない! 抽出温度をあと5度下げて、この灰色の石の粉末を混ぜれば、回復薬の効能が今の倍に跳ね上がるという簡単な計算式が、なぜ理解できないの!」


 早口で専門用語を並べ立てる女性に、商人は完全に顔を引きつらせている。


「お、お嬢さん。俺はただ、村で摘んだ草を昔からのやり方で売ってるだけで……」

「『昔からのやり方』? そんな思考停止の言葉、私の前で二度と使わないでちょうだい!」


 女性が手にした分厚い手帳をバンバンと叩く。

 無造作に束ねられた輝くようなブロンドヘア。豊かな胸元が見え隠れするタイトなインナーの上から、なぜか不釣り合いな白い麻のコートを羽織っている。誰の目から見ても、辺境の市場には場違いな風体だった。

 カイラが眉をひそめた。


「あの商人は、代官所の許可を得て正規の場所代を払っている者です。営業妨害を見過ごすわけには……」


 そう言って前に出ようとしたカイラを、セレスティアンは無言で片手を上げて押し留めた。彼は興味深げに、その奇妙な女性の背中を観察していた。

 彼女が先ほどから指摘している『夜泣き草』という植物は、この辺境ではどこにでも生えているありふれた雑草だ。軽い擦り傷に塗る程度の気休めの薬にしか使われない。

 彼は足音を殺して近づき、女性の背後から声をかけた。


「その抽出理論、実証された数値の記録はあるのか」


 突然の低い声に、女性が振り返る。

 銀縁のアンダーリム眼鏡の奥で、知性と好奇心に満ちたブルーの瞳が鋭く光った。彼女はセレスティアンを見上げ、その威圧感のある佇まいと、背後に控えるカイラの態度から、一瞬で相手の身分を推測したようだ。


「……なるほど。あなたが、アビス領の新任代官ね」


 彼女は商人の前から離れ、セレスティアンの真正面に立った。一切の怯えや遠慮はない。


「王都のアカデミーまで変な噂が届いていたわよ。労働時間を削って生産量を上げた、常識外れの男がいるって。どんな複雑な魔法陣を領地に敷いたのかと思えば……」


 彼女は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、セレスティアンを頭の先からつま先まで舐め回すように観察した。


「ただの人間ね。魔法の痕跡なんて欠片もない。魔法も使わずに、どうやって人の動きを最適化したの? その頭の中の構造、私が解剖してあげるわ」


 無礼な発言に、カイラが思わず腰の剣の柄に手をかけた。


「無礼な。代官様に向かって解剖などと……貴様、何者だ」

「あら、名乗っていなかったわね。私はイレーネ。イレーネ・フォン・ヴァルトスタインよ」


 その名を聞き、カイラはわずかに息を呑んだ。


「ヴァルトスタイン伯爵家の……王立魔導アカデミーの筆頭研究員、ですか?」

「『元』筆頭研究員よ」


 イレーネは忌々しそうに吐き捨てた。


「あの老害ども……私が提案した『魔法と機械機構の融合』も、ポーションの大量生産の仕組みも、全部『伝統を汚す異端の思想だ』って叩き潰したのよ。予算は打ち切られるし、研究室は取り上げられるし……もう頭にきて、顔に辞表を叩きつけて新しいパトロンを探しにきたってわけ」


 苛立ちを隠さずに愚痴をこぼす彼女に対し、セレスティアンは静かに、イレーネが手にする手帳を顎でしゃくった。


「解剖は丁重に断る。だが、お前の理論が既存の利権を脅かすものだったから、排除されたにすぎないのだろう」


 イレーネの青い瞳が、少しだけ見開かれた。彼が自分の研究の価値と、アカデミーの腐敗した構造を即座に理解したことに驚いたようだ。


「さっきの雑草の抽出理論。実用化すれば、今のポーションの原価をどれくらい下げられる?」

「……設備と適切な人員さえあれば、今の3分の1の費用で倍の効能を出せるわ。理論上はね」


 イレーネは探るような視線を向ける。


「でも、初期の設備投資には金貨が山ほど必要よ。それに、新しい理論だから失敗するリスクだって……」

「ならば、俺がその予算を出す」


 一切の間のない即答だった。

 イレーネが言葉を失い、後ろで控えていたカイラも信じられないという顔をする。


「お、お代官様。いくらなんでも早計すぎます。彼女の経歴が事実だとしても、まだ何一つ成果が実証されておらず……」

「実証するための投資だ。ありふれた雑草から高価なポーションを大量生産できるなら、それは立派な特産品になる。俺が求めていた、よそがどれだけ高値を出してでも欲しがる独自の商材だ」


 セレスティアンはイレーネを見据えた。


「ただし、結果が出なければ即座に打ち切る。研究の目的は自己満足の探求ではなく、この領地に莫大な外貨をもたらす商品を継続して生み出すことだ。お前を、この領地の技術開発の統括責任者として迎え入れる。やれるか」


 数秒の静寂。

 イレーネは手帳を胸に抱きしめ、眼鏡の奥で肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべた。


「……面白そうね。いいわ、その喧嘩買ってあげる。あなたのその頭脳がどこまで私の要求に応えられるか、底の底まで見せてもらうわよ!」


 彼女は興奮のあまり、セレスティアンの腕にがっしりと抱きついた。豊かな胸が腕に押し当てられるが、彼は微塵も動揺することなく、冷ややかな視線を下ろすだけだ。

 一方で、背後に立つカイラの眉間には、これまで見たこともないような深い皺が刻まれていた。


「さっそく私の専用の研究室を用意してちょうだい! あと、あなたが作ったっていう生産性向上の記録もすべて見せて! 今日は徹夜で語り明かすわよ!」

「断る。まずは代官所の就業規則を読め」


 セレスティアンは腕に抱きつくイレーネを、引き剥がすように突き放した。


「この領地では、いかなる立場の者であっても1日8時間労働が原則だ。徹夜など言語道断。俺は明日も定時で帰る」

「はあ!? なによその無駄な縛りは! 研究に時間は関係ないでしょ!」

「健康管理ができない人間に、良い成果は生み出せない。明日、午前9時に代官所へ来い。契約の詳細はそこで詰める」


 抗議の声を上げるイレーネを残し、セレスティアンは踵を返して歩き出した。

 カイラは変人学者を軽く一瞥した後、足早に主君の隣へと戻る。


「……よろしかったのですか。あのような得体の知れない者を、いきなり統括責任者などに」


 歩調を合わせながら問うカイラに対し、彼は前を向いたまま答える。


「既存の常識を壊すには、あの手の異端児の知識が不可欠だ。理にかなった狂気は、使い方さえ間違えなければ最大の武器になる」


 背後から「ちょっと待ちなさいよ! まだ話は終わってないわ!」と追いかけてくる足音を聞き流しながら、セレスティアンは市場の喧騒の中を代官所に向けて歩き続けた。

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