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第9話 国立の地下



翌日の夕方、空は鉛色の雲に覆われていた。

中央線快速は中野を出ると、荻窪、西荻窪、吉祥寺と西へと走り、やがて国立駅へ滑り込む。


ホームに降りた瞬間、修司は妙な感覚を覚えた。

空気が重い。


東京の住宅街特有の湿気とは違う

古い地下室に降りる直前のような圧迫感だった。


「なんか…思ったよりも、静かだな」

黒田が周囲を見回す。


夕方の国立駅前は学生や買い物客でそれなりに賑わっているはずなのに、雨上がりのせいか人影は少ない。

風間美緒はスマートフォンの地図を確認した。


「こっちです。大学通りをまっすぐ」


三人は駅南口を出て、ケヤキ並木の続く通りを歩き始めた。国立の街並みは中野や高円寺とは対照的だった。


落ち着いた住宅街。古い洋館風の建物。

どこか時間の流れがおだやかで、ゆったりしている。


だが修司の胸では  LXが微かに熱を帯び始めていた。


『近いです』まどかの声が静かに響く。


ーー何が?


『玲子さんらしき…気配が』


  ◆


大学通りを外れ、さらに住宅街の奥へ入る。

十分ほど歩いた先に、小さなマンションが現れた。

築十年ほどの三階建て。外見は……ごく普通だ。

しかし敷地の一角だけが不自然にフェンスで囲われている。


    立入禁止。

  老朽化のため危険。


そう書かれた看板が掛かっていた。


「ここか」 黒田がフェンス越しに覗き込む。


地面にはコンクリートの蓋のようなものが埋め込まれている。周囲だけ雑草が不自然に少ない。

まるで最近まで人が出入りしていたかのようだった。


修司はフェンスに近づき、周囲を観察する。

南京錠は掛かっている。…だが錆びていない。


「封鎖されてる割に、新しいな」

黒田も同じことに気付いたようだ。


「誰かが管理してるってことか」


その時、美緒が小さく声を上げた。

「これ……」


フェンスの支柱に、黒いマーカーで小さな印が描かれていた。


三日月を逆さにした形。

集合写真のペンダントと同じ紋章だった。


修司の表情が変わる。


「翔太さんが来た、証拠なのかもしれない」


美緒は震える指で印をなぞった。


「翔太、癖でよくこういう記号を

 メモ代わりに描くことがあったんです」


つまり、結城翔太はやっぱりここへ来ている。


     ◆


 周囲を調べていると、背後から声が掛かった。


「その場所に何か用ですか?」

振り向くと、六十代後半くらいの男性が立っていた。


傘を差し、買い物袋を提げている。

近所の住人らしい。

修司は自然な笑顔を作った。


「昔ここにあったスタジオを調べているんです」

老人の顔色がわずかに変わる。


「…もしかして…演劇の人ですか」

「いえ、関係者を探しています」


老人はしばらくフェンスを見つめ

やがて低い声で言った。


「十五年前、ここで若い女の子がいなくなった」


やはり地元でも知られている事件らしい。


「月島玲子さんですね」

老人は驚いたように修司を見る。


「名前まで知ってるのか」

「少し調べています」


老人は周囲を気にするように声を潜めた。


「あの事件の後…

 地下は埋める予定だったんだ。

 でも工事が途中で止まった……」


「なぜです?」


「作業員が怪我をしたり

 機械が故障したりしてな…

 “地下から女の声が聞こえる”って

 大騒ぎになったんだよ」


美緒が青ざめる。


黒田は半信半疑の顔をした。


「噂でしょう」

「そう思いたいなら、それでいいよ」

老人は苦い顔をした。


「でも夜になると、今でも時々ここに若い連中が来るんだ。中へ入ろうとしてな」


「最近も?」


「ああ。先週も男が一人、フェンスの前に立っていたな」


修司と美緒が同時に顔を見合わせる。


「黒髪で、痩せた若い男でしたか」


「そうだ。思い詰めた顔をしてた」


結城翔太だろう。


老人は最後にこう付け加えた。


「もし本気で調べるのなら

  夜は気を付けた方が良い…

   地下はまだ “閉じてない” からね…」


そう言い残し、雨上がりの住宅街へ去っていった。


  ◆


日が沈み始める。

修司たちは近くの喫茶店へ入り、窓際の席で情報を整理した。


「翔太さんは確実にここへ来ていた」

修司がメモを見ながら言う。


「しかも失踪の直前だ」

黒田はコーヒーを飲みながら眉をひそめる。


「問題は、どうやって地下へ入ったかだな」


美緒が小さく口を開いた。

「翔太、工具を持っていたことがあります」

「工具?」


「ドライバーとか小型のペンチとか。

 “扉を開けるのに必要”とかって言ってました」


修司はフェンスの南京錠を思い出す。

強引に開けた形跡はなかった。


つまり別の入口がある可能性が高い。


その時、まどかが静かに囁いた。


『修司さん、地下はここだけじゃありません』

ーーどういう意味だ?


『さっきフェンスの向こうを見た時、空気が流れていました。どこか別の場所と繋がっています』


防空壕跡なら、複数の出入口があっても不思議ではない。


修司は地図を広げた。


「周辺に古い建物は?」


美緒が検索する。


「あ……あります。裏手に昭和初期の倉庫跡地が」

「距離は?」

「徒歩三分くらい」


 黒田がニヤリと笑った。

「探検タイムか」


  ◆


倉庫跡地は住宅街のさらに奥にあった。

古いコンクリート塀に囲まれ、現在は空き地になっている。雑草が伸び放題だ。


だが塀の一部に、不自然に新しい鉄の扉が取り付けられていた。ただ…鍵は掛かっていない。


黒田が低い声で言う。

「露骨すぎるだろ」


修司は周囲を確認した。 人影はない。

扉を押すと、重い金属音と共に内側へ開いた。


湿った冷気が流れ出てくる。

地下へ続くコンクリート階段。

薄暗く、先が見えない。


美緒が思わず修司の袖を掴んだ。

「本当に入るんですか……?」

「危険だと思ったらすぐ引き返す」


修司はLEDライトを取り出した。

黒田もスマートフォンのライトを点ける。

三人はゆっくりと、確かめる様に階段を降り始めた。


  ◆


地下は想像以上に広かった。

古いコンクリートの通路が奥へ伸びている。

壁には戦時中のものらしい番号の痕跡。

やはり防空壕跡に違いない。

水滴の落ちる音だけが響く。


十メートルほど進んだところで、修司は足を止めた。

壁に新しい擦り傷がある。

最近、誰かが通った痕跡だ。


さらに進むと、床に小さな金属片が落ちていた。

修司が拾い上げる。


逆さ三日月の形をしたペンダントの欠片だった。


「翔太の……!?」 美緒が息を呑む。


『修司さん』

 まどかの声が急に緊張を帯びる。


『前です』


通路の奥。


ライトの届くぎりぎりの暗闇に白い人影が立っていた。


 長い黒髪。 白いワンピース。

 月島玲子。


彼女はゆっくりとこちらを振り返る。

今度ははっきりと口を動かした。


 「遅いわ!」


次の瞬間、奥からガタンッと大きな金属音が響いた。


美緒が悲鳴を上げる。

黒田が即座に前へ出た。


「誰かいる!」

修司がライトを向けると、人影は消えていた。


だが通路のさらに奥に、錆びた鉄扉が半開きになっている。その隙間から、かすかな光が漏れていた。

地下の冷気が一気に強まる。


修司はペンダントの欠片を握り締め、静かに言った。


「翔太さんは、更にこの先へ行ったんだろう…」


鉄扉の向こうからは

遠くで女が笑うような音が聞こえている…


国立の地下に隠されていた

「黒い月」の幕が、ついに彼らの前で開こうとしていた。



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