第8話 国立へ誘う者
新宿駅へ向かう人波の中を歩きながら、相良修司はポケットのスマートフォンを握っていた。
先ほどの女の声。
『ちかでまってる』
存在しない番号。
偶然にしては出来すぎている。
風間美緒は隣を歩きながら不安そうに尋ねた。
「本当に玲子さんからの電話だったんでしょうか……」
「断定はできない」
修司は短く答える。
黒田慎一が鼻を鳴らした。
「俺は生きてる人間の悪戯説を推すね。霊が携帯使うとか…もう反則だろ」
「そうであってくれれば、助かるんだが…」
だが修司の胸の奥には、別の確信が芽生え始めていた。
月島玲子はただの“過去の失踪者”ではない。
彼女は今もどこかで、この事件に関わり続けている。
◆
中央線快速に乗り込み、中野へ戻る頃には雨が降り始めていた。
窓ガラスを細い雨筋が流れ落ちていく。
車内は帰宅客で混み合っていたが、三人の周囲だけ妙に静かな空気が漂っている気がした。
美緒はスマートフォンで国立の地図を開いていた。
「旧KUNITACHI STUDIOって、この辺みたいです」
画面には国立駅南口から少し離れた住宅街が表示されている。
「今は何になってる?」
「小さなマンションが建ってますね。
でも地下部分は封鎖されたままって……?」
黒田が眉を上げる。
「地下だけ残すなんて普通あるか?」
「防空壕跡だったなら珍しくはない」
修司は窓の外の雨を見ながら言った。
「問題は、翔太さんがなぜそこへ行ったかだ」
美緒は唇を噛む。
「翔太、失踪前に“昔の借りを返さなきゃいけない”って言ってたことがあります」
「借り?」
「その時は詳しくは教えてくれませんでした。
でも、すごく追い詰められた顔をしていて……」
修司はその言葉をメモした。
十五年前の失踪事件。
大学時代の五人。
そして“借り”。
結城翔太は、過去の何かを清算しようとしていたのかもしれない。
◆
中野へ戻ると、時刻は午後七時を回っていた。
雨は本降りになっている。
雑居ビルへ入ると、一階の喫茶店クイーンから温かな灯りが漏れていた。
松田ジゼルは三人の濡れた姿を見るなり、タオルを差し出した。
「ずいぶん降られましたね」
「新宿で足止めを食いました」
黒田は遠慮なくタオルを頭にかぶる。
「ジゼルさん、飯あります?」
「ありますよ。今日はビーフシチューです」
「神!」
修司と美緒もカウンター席に腰を下ろした。
店内には他に客がおらず、ジャズのピアノだけが静かに流れている。
ジゼルは湯気の立つシチューを三人の前に置いた。
「何か進展はありました?」
修司は国立の地下スタジオの話を簡単に説明した。
月島玲子の失踪。
黒い月の試演会。
封鎖された地下。
ジゼルは黙って聞いていたが
「地下」という言葉でわずかに表情を変えた。
「国立の南口……もしかして大学通りの外れですか?」
「知っているんですか」
「昔、その辺りで地上げ絡みの揉め事があったと聞いたことがあります」
ジゼルは声を潜める。
「地下に古い空洞が広がっていて、色々な事があって
工事業者が…かなり嫌がったとか…」
黒田が、ふとスプーンを止めた。
「ますますホラーだな」
「ただの噂です。でも、裏社会では“埋められなかった地下”として、一時期かなり有名でした」
修司は興味を引かれた。
「その話は、誰から?」
「父の関係者です」
ジゼルの一族について、修司は深く詮索したことがない。
ただ…彼女が裏社会にも、独自の情報網を持っていることは知っていた。
「もう少し、詳しく調べてもらう事は出来ますか?」
ジゼルは嬉しそうに…柔らかく微笑む。
「修司さんのお願いなら」
その言い方に、美緒がほんの少しだけ眉を動かした。
修司は気付かないふりをして礼を言った。
◆
食事を終え、二階の事務所へ戻る。
雨音が窓を叩いている。
修司は机の上に国立関係の資料を広げた。
まどかがファインダーの中に現れる。
『ジゼルさん、やっぱり鋭いですね』
ーーまどかにもそう見えたか?
『あの人、修司さんが危険な場所へ行くのを
かなり…心配してました…』
修司は苦笑した。
「心配されるほど、無茶をしてるつもりはないんだが」
黒田がソファに寝転がりながら言う。
「無茶してるぞ…昨日から幽霊と地下スタジオと
失踪事件の…フルコースなんだぞ」
美緒はノートPCを開き、国立大学演劇研究会の古い掲示板をさらに調べていた。
「あれ?……これって」
「何か見つかったか?」
画面には十五年前の書き込みが表示されている。
投稿者名は『R.K』。 内容は短かった。
『地下の月は開いてしまった』
投稿日時は、月島玲子失踪の翌日。
さらにその下に、別の書き込み。
『五人目がいなくなった』
修司の背筋に冷たいものが走る。
「保存できるか?」
「はい」
美緒はすぐにデータをコピーした。
黒田が身を起こす。
「待て。“五人目がいなくなった”って、玲子のことか?」
「おそらく」
修司は集合写真を見つめる。
五人の学生。
しかし書き込みでは、月島玲子を“五人目”と呼んでいる。
つまり、彼女は最初から五人の中に
数えられていなかった可能性があるのか…。
「集合写真には六人目がいたのかもしれない」
美緒が驚いた顔をする。
「え?」
修司は写真を再び拡大した。
背景の暗い部分。
そこに、ぼんやりともう一つ
人影のようなものが写っている。
………気付かなかった。
だが今見ると、確かに誰かが立っているように見える。
『修司さん、その人……』 まどかの声が震える。
『顔がありません』
◆
その時、事務所の窓ガラスが強く叩かれた。
バンッ!
美緒が全身を跳ねさせる。
黒田が即座に立ち上がった。
「誰だ!」
修司がカーテンを開ける。
外は激しい雨。
向かいのビルの非常階段には…誰もいない。
だが窓ガラスには、濡れた手形が五つ並んでいた。
人間の手より、幾分か細長い指。
まるで昨日、高円寺で見た黒い指跡がそのまま現れたようだった。
「また……五つ」 美緒の顔が青ざめた。
修司は無言で LXを構え、手形を撮影する。
シャッターを切った瞬間
手形は雨に溶けるように、すっと消えていった。
黒田が低く呟く。
「もう偶然ってレベルじゃねえな」
修司は窓を閉め、カーテンを引いた。
そして静かに言った。
「明日、やはり国立へ行く」
「決定か」
「ああ」
美緒は不安そうに修司を見る。
「私も行きます」
「危険かもしれません」
「……それでも」
彼女の声は震えていたが、目だけは真っ直ぐだった。
「翔太が何を見たのか知りたいんです」
修司は数秒彼女を見つめて、やがて頷いた。
「分かりました。ただし、必ず俺たちの指示に従ってください」
◆
夜はさらに深まっていく。
黒田はソファで仮眠を取り始め、美緒も資料整理をしながらうとうとしていた。
修司だけが机に向かい続ける。
その時、まどかが静かに呼びかけた。
『修司さん』
ーーどうした?
『さっきの集合写真、もう一度見せて貰えますか?』
修司は写真をファインダーの前に置く。
まどかはじっと背景の影を見つめ、やがて小さく息を呑んだ。
『この人影……玲子さんじゃ…ありません』
「えっ…じゃあ誰だ?」
まどかはゆっくり首を振る。
『分かりません。でも、“人”じゃない気がします』
その言葉と同時に、事務所の固定電話が再び鳴った。
深夜二時。
昨日と同じ、不気味な着信音。
修司が受話器を取る。
今度は女の声だった。
『あすのよる、ちかへきて』
「月島玲子なのか?」
数秒の沈黙。
そして、湿った笑い声。
『……遅れると、五人目が完成してしまう』
通話は突然切れた。
受話器の向こうからは、雨音だけが聞こえていた。
修司はゆっくり受話器を置く。
窓の外では雷が光り
中野の夜空を一瞬だけ白く染め上げた。
国立の地下は、確実に俺達を待ち構えていた。




