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第10話 地下の月



半開きの鉄扉の向こうから、かすかな光が漏れていた。

国立の地下防空壕。

湿ったコンクリートの匂いが肺にまとわりつく。


相良修司はLEDライトを握り直した。


風間美緒は彼のすぐ後ろに付き

黒田慎一が最後尾で周囲を警戒している。


「行くぞ」 修司が低く言う。


鉄扉を押し開けると、長い軋み音が地下通路に響いた。

その先には、予想外に広い空間が広がっていた。


  ◆


そこは防空壕というより、地下倉庫に近かった。

天井は高く、古い配管が縦横に走っている。

壁際には木箱や錆びた金属棚が並び、中央だけが不自然に片付けられていた。


そして床には――黒い円。


直径三メートルほどの円が、墨のようなもので描かれている。


「舞台と同じ……」 美緒が息を呑む。


確かに、新宿のアステリズム座にあった円形舞台と酷似していた。

違うのは、その周囲に五つの小さな円が配置されていることだ。


修司はゆっくり近づいた。

床の黒い塗料は……まだ新しい。

指で触れると、まだわずかに粘り気が残っている。


「最近描かれたものだ」


黒田が眉をひそめる。


「翔太が?」

「可能性は…ある」


その時、まどかが鋭く囁いた。


『修司さん、右の壁』


 ライトを向ける。


そこにはチョークで文字が書かれていた。


 『一 立花』

 『二 大庭』

 『三 榊原』

 『四 結城』


そして最後の五つ目だけが空白になっている。

美緒の顔が青ざめる。


「高円寺の数字と同じ……!」


修司の背筋に冷たいものが走った。

結城翔太は、ここで何かの“順番”を記録していた。


  ◆


さらに奥を調べると、古い木箱の上にノートが置かれていた。湿気で波打っているが、まだ読める。


表紙には震える字で、、、

 『地下記録』  と書かれていた。


修司は慎重にページをめくる。

最初の数ページは日時の記録だった。


 七月二日 再び夢を見る

 七月八日 玲子が地下にいる

 七月十五日 榊原の声が聞こえた


修司は目を細める。


「これは翔太さんの筆跡か?」

「間違いありません」


さらに読み進める。


 『榊原は事故じゃない』

 『あの日、六人いた』

 『五人目は玲子じゃない』


そして最後のページ。

そこには強く押し付けられた文字でこう書かれていた。


    『地下の月はまだ開いたままだ』


その下に、小さく。


    『もし俺が消えたら、月島玲子を探せ』


「翔太……」 美緒が口元を押さえる。


修司はノートを閉じた。

結城翔太は単なる被害者ではない。

彼は十五年前の事件の真相に近づき、それを誰かに伝えようとしていた。


  ◆


その時だった。

地下の奥から、コツ……コツ……という足音が聞こえた。


三人の動きが止まる。

一定の間隔。

裸足ではない。

硬い靴底がコンクリートを叩く音。

黒田が小声で言う。


「人だ」


修司はライトを消した。

地下は闇に沈む。

足音はゆっくり近づいてくる。


 コツ……コツ……。


美緒の呼吸が速くなる。

修司は彼女の肩にそっと手を置き、静かに落ち着かせた。

やがて、通路の向こうにぼんやりと人影が現れた。


男だ。

背が高く、細身。

長いコートを着ている。

その姿を見た瞬間、修司は舞台写真の霊影を思い出した。


 榊原遼。


しかし次の瞬間、男はライトも持たずにこちらを見据えた。


「……誰だ」


低い、生身の人間の声だった。

修司は再びライトを点けた。


男は四十代前半ほど。

無精髭を生やし、疲れ切った顔をしている。

胸元には、逆さ三日月のペンダントが下がっていた。


黒田が一歩前へ出る。

「こっちの台詞だ」


男は強い光に目を細めた。

「そのノートをどこで見つけた」


修司は警戒したまま答える。

「ここに置かれていた」


男の視線がノートに釘付けになる。

そして彼は、信じられない言葉を口にした。


「翔太は……やはり来ていたのか」

「あなたは……誰です?」


男はしばらく黙っていたが、やがて低く答えた。


「立花圭介だ」


壁に名前が書かれていた五人の一人。

生存しているはずの、あの立花だった。


  ◆


立花は地下の壁にもたれ、深く息を吐いた。


「こんな場所に他人が来るとは思わなかった」


修司はノートを手にしたまま尋ねる。


「結城翔太さんを探しています」


立花の表情がわずかに歪む。

「少し……遅かったな…」


「翔太さんはここへ来たんですね」

「ああ。三日前に」


 美緒が身を乗り出す。


「生きてたんですか!?」


立花は彼女を見つめ、ゆっくり頷いた。

「少なくとも、その時は」


地下の空気がさらに冷たく感じられた。


「何をしていたんです」


立花は黒い円を見下ろした。


「終わらせようとしていた」


「何を?」


「黒い月を」


黒田が苛立ったように言う。


「さっきから抽象的すぎる。十五年前に何があったんだ」


立花はしばらく黙っていた。

そして観念したように語り始める。


「十五年前、俺たちは

 国立大学演劇研究会で

 『黒い月』という実験劇を上演した」


修司は静かに耳を傾ける。


「脚本を書いたのは榊原遼だった。

 あいつは演劇を “儀式” だと思っていた」


「儀式?」


「観客の感情を極限まで高めれば

 舞台は現実と繋がると、本気で信じていたんだ」


立花の声には今も消えない恐怖が混じっていた。


「月島玲子は主演だった。

 だが千秋楽の夜

 上演中に突然…様子がおかしくなった」


「どうなったんです?」


「台本にない台詞を喋り始めた。

 “月が開いた” “六人目が来た” と繰り返してな…」


修司の脳裏に、掲示板の書き込みが浮かぶ。


 『五人目がいなくなった』


「その後は?」


「幕が下りた直後、玲子は地下へ走っていった。俺たちが追いかけた時には、もういなかった」


立花は震える手でペンダントを握り締める。


「だが問題は、その時地下にいた人数なんだ」


地下の水滴が、ポタリと落ちる。


「俺たちは五人で追いかけた。

    なのに、防空壕の奥には――」


立花の顔が青ざめる。


「六人分の足跡があった」


美緒が小さく悲鳴を漏らした。


  ◆


その瞬間、地下通路の奥から冷たい風が吹き抜けた。

ライトが一斉にちらつく。

まどかが鋭く叫んだ。


『修司さん、後ろ!』 修司が振り向く。


黒い円の中央に、いつの間にか

白いワンピース姿の女が立っていた。


 月島玲子。


今度ははっきりと実体のように見える。

彼女はゆっくりと修司を見つめ、震える声で囁いた。


 「まだ一人足りない」


次の瞬間、地下全体が低く唸るように震えた。


遠くで金属扉が激しく閉まる音が響く。


 ゴォン――ッ!


黒田が顔色を変える。


「出口の方だ!」


立花が青ざめて叫んだ。


「まずい……閉じ始めた!」


修司は LXを強く握り締める。

黒い円の中央では、月島玲子が静かにこちらを見つめ続けていた。


その足元で、五つ目の小さな円が、

まるで濡れた墨のように

ゆっくりと浮かび上がり始めていた………

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