第11話 深まる謎
黒い円の中央で、月島玲子が静かに立っていた。
白いワンピースの裾は地下の風もないのにゆっくり揺れている。
そして彼女の足元で、五つ目の小さな円が濡れた墨のように広がっていく。
ゴォン――ッ!
再び、遠くで金属扉が閉まる音が響いた。
地下全体がわずかに震える。
黒田慎一が舌打ちした。
「出口が閉じたら洒落にならねえぞ!」
立花圭介は顔面を蒼白にして後退る。
「来るな……また始まる……!」
修司は LXを強く握り締めた。
『修司さん、玲子さんは敵じゃありません』
まどかの声が耳の奥で響く。
『でも何かを伝えようとしています』
玲子は修司を見つめたまま、ゆっくり右手を上げた。
その指先が示したのは、地下空間のさらに奥。
黒い円の向こう側にある、半ば崩れた通路だった。
「奥に…行けというのか?」
玲子は答えない。
だが次の瞬間、彼女の姿は霧のように薄れ、完全に消えた。同時に、地下の冷気が一気に弱まる。
美緒が震える声で言った。
「今の……本当に見えましたよね……?」
「俺にも見えた」
黒田の声も珍しく硬い。
「つまり、……集団幻覚じゃない…ってことだ」
◆
立花は壁に背を預け、荒い呼吸を繰り返していた。
「十五年前と同じだ……玲子はいつも
奥へ行こうとしていた」
修司は彼を見据える。
「奥に何があるんです?」
立花はしばらく黙っていたが、やがて低い声で答えた。
「地下スタジオの旧舞台」
「旧舞台?」
「防空壕の一番奥に小さな空間がある。
俺たちはそこを
実験劇の舞台として使っていたんだ」
黒田が眉をひそめる。
「防空壕の奥で芝居とか、正気か?」
「榊原は 閉ざされた地下の方が…
儀式に向いている と言っていたんだ」
その言葉に、美緒が身を縮めた。
修司は冷静に問いを重ねる。
「榊原遼は、何をしようとしてたんです?」
立花はペンダントを握り締める。
「あいつは“月の花嫁”という役を特別視していた。舞台の最後に、その役者が黒い月の中央へ立つことで、現実と舞台の境界が消えると信じていたんだ」
「つまり月島玲子がその役だった」
「そうだ」
立花の目に、今も消えない後悔が浮かぶ。
「玲子は最初、ただの演出だと思っていた。でも稽古が進むにつれて、本当に何かを見るようになった」
「何を?」
「 “六人目” を」
地下通路の奥から、ポタ……ポタ……と水滴の音が響く。
まるで誰かがゆっくり近づいてくる足音のようだった。
◆
修司たちは玲子が指し示した、奥の通路へ進むことにした。
立花も渋々ついてくる。
通路は次第に狭くなり、天井も低くなっていく。
壁には古いチョークの落書きが残っていた。
LUNA
NERA
OPEN
英語とイタリア語が混ざった奇妙な文字列。
黒田がライトを向けながら呟く。
「完全に秘密結社だな」
修司は床に目を落とした。
薄い埃の上に、比較的新しい足跡が残っている。
一人分ではない。 少なくとも二人。
「翔太以外にも誰か来ている」
立花が険しい顔をする。
「大庭かもしれない」
「大庭沙耶さん?」
「あいつは脚本家になった後も
“黒い月” に取り憑かれていた。
何度も再演しようとしていたんだ……」
美緒が驚く。
「じゃあ今回の舞台も……」
「おそらく大庭が榊原の旧脚本を持ち出した」
点が繋がり始める。
榊原遼が書いた実験劇。
大庭沙耶が掘り起こした旧脚本。
結城翔太が異変に気付き、地下を調べ始めた。
そして失踪した。
◆
通路の突き当たりに、木製の古い扉が現れた。
腐食しているが、中央には逆さ三日月の紋章が焼き印のように刻まれている。
立花が立ち止まった。
「ここだ」
彼の声はかすれていた。
「十五年前、玲子が最後に入っていった部屋……」
修司はそっと扉に手を掛ける。
冷たい。 まるで氷に触れたような温度だった。
ゆっくり押す。
ギギギ……という重い音と共に扉が開いた。
◆
部屋は円形だった。
直径五メートルほどの小空間。
天井はドーム状になっており、中央だけがわずかに高い。
そして床には、巨大な黒い円が描かれていた。
新宿の舞台よりも、先ほどの地下倉庫よりも古い。
何度も上塗りされた墨の層が、異様な光沢を放っている。
その周囲には五脚の古い木椅子。
まるで観客席のように円を囲んでいた。
「ここ……舞台そのものだ……」
美緒が震える声を漏らす。
修司のライトが床の中央を照らす。
そこには新しい痕跡があった。
乾ききっていない赤黒い染み。
「血か?」 黒田が顔をしかめる。
修司はしゃがみ込み、慎重に確認する。
鉄臭い匂い。…間違いない。
「かなり新しい」 立花が後退った。
「まさか……」
その時、美緒が部屋の隅を指差した。
「あれ!」
そこには黒いリュックが落ちていた。
美緒が駆け寄り、中を開ける。
ノート。
ペンケース。
そして劇団アステリズムのロゴ入り台本。
「翔太のです!」
修司は台本を受け取った。
ページの大半に赤い書き込みがある。
ラストシーンには大きく×印が引かれ
その横にこう書かれていた。
『五人目は観客』
さらに別のページ。
『玲子は閉じ込められている』
修司の眉がわずかに動く。
「閉じ込められている……?」
その瞬間、部屋の奥からかすかな呻き声が聞こえた。
全員が凍り付く。
黒田が素早くライトを向ける。
円形部屋のさらに奥
崩れた壁の隙間に、人が横たわっていた。
◆
修司と黒田はすぐに駆け寄った。
痩せた若い男。 黒髪。
顔色は青白く、額には乾いた血がこびりついている。
「翔太!」 風間美緒が悲鳴を上げた。
結城翔太だった。生きている。
呼吸は浅いが、胸がかすかに上下している。
美緒は膝をつき、震える手で彼の肩を支えた。
「翔太! しっかりして!」
翔太の瞼がわずかに動く。
焦点の合わない目が修司たちを見た。
「……来るな……」 かすれた声。
修司は冷静に脈を確認した。
「意識はある。頭を打っている可能性が高い」
翔太は美緒の腕を掴み、震える声で続けた。
「まだ……終わってない……」
「誰にやられた?」 修司が問う。
翔太の目が恐怖に見開かれる。
「榊原じゃない……」
立花が息を呑む。
「榊原は……死んでるはずだ」
翔太は首を振る。
「違う……六人目が……いる……」
その瞬間、円形部屋の入口がバタンッと激しく閉まった。
ライトが一斉に消える。
完全な闇。
地下のどこかで、女の笑い声がゆっくりと響き始めた。
そして闇の中で、翔太が最後の力を振り絞るように囁いた。
「……玲子さんを、月から出してやってくれ……」
次の瞬間、黒い円の中央から
冷たい風が渦を巻くように吹き上がった。




