第6話 劇団員
固定電話の受話器を置いた後もしばらく、相良修司は窓の外を見つめていた。
向かいのビルの非常階段には誰もいない。
だが、白い人影が立っていた場所だけが妙に暗く見える。
『追ってきています』
ファインダーの中で、四宮まどかが静かに言った。
「俺を?」
『修司さんだけじゃありません。この事件を調べている人を』
修司はカーテンを閉め、机へ戻った。
時刻は午前三時半。
普通なら眠る時間だが、頭はむしろ冴えている。
机の上には五人の集合写真、現像した霊影の写真、舞台のチラシが並んでいた。
修司はノートを開き、改めて整理を始める。
結城翔太(失踪)
篠原真理(消息不明?)
残り三人は未特定
問題は、この五人が大学時代に行ったという「黒い月・試演会」だった。
「まどか、この写真をよく見てくれ」
修司が集合写真をファインダーの前へかざすと、まどかは真剣な表情で見つめた。
『右端の男の人……舞台写真の影に少し似ています』
「俺もそう思う」
背が高く、痩せ型。胸元には逆さ三日月のペンダント。
名前さえ分かれば大きな手掛かりになる。
その時、スマートフォンが震えた。
黒田からのメッセージだった。
「管理会社に知り合いがいる。不動産データを当たってみる」
修司は短く「よろしく頼む」と返信した。
◆
結局、修司が仮眠を取れたのは一時間ほどだった。
午前九時過ぎ、強引なノックで目を覚ます。
「開けろー、生きてるかー」
黒田の声だ。
修司が扉を開けると、黒田はコンビニ袋を提げて立っていた。
「朝飯。あとコーヒー二本」
「助かる」
事務所に入るなり、黒田は机の写真を見て眉を上げた。
「徹夜したな」
「少し収穫があった」
修司は舞台写真と高円寺の写真を並べて見せた。
黒田はしばらく黙って見つめ、珍しく軽口を叩かなかった。
「……これは、んーー…同じ女に見える」
「そう思うか」
「俺は霊感ゼロだけど、気味が悪いのは分かる」
黒田はコンビニのおにぎりを頬張りながら続ける。
「で、俺の方も少し分かった」
彼はスマートフォンの画面を見せた。
「高円寺の二〇五号室、“月島”名義で契約されてたのは二年前まで。その後は更新されてない」
「現在は空き室?」
「書類上はな。ただし、電気の使用量が……ゼロじゃない」
修司は目を細める。
「誰かが出入りしている可能性があるな」
「しかも契約者の月島って人物、住所も電話番号もかなり怪しい。ほとんどダミーだ」
裏で誰かが部屋を使っている。
翔太の隣室。…偶然とは考えにくい…か。
◆
そこへ、風間美緒が事務所へやって来た。
今日はノートPCを抱えている。
「おはようございます。少し調べてきました」
修司と黒田は椅子を空けた。
「大学時代の演劇サークルの古いデータが残ってたんです」
美緒はPCを開き、古いブログのアーカイブを表示した。
そこには『国立大学演劇研究会 200X年度活動記録』とある。
スクロールすると、集合写真と同じ五人が写っていた。
「名前、分かります」
美緒が一人ずつ指差す。
結城翔太
篠原真理
立花圭介
大庭沙耶
榊原遼
「榊原遼……」 修司はその名前をメモした。
背の高い男だ。舞台写真の影と最も似ている。
「この人たち、今は?」
「立花圭介は都内の広告代理店勤務。
大庭沙耶はフリーの脚本家らしいです。でも……」
「榊原遼は?」 美緒の表情が曇る。
「…三年前に死亡しています」 部屋の空気がわずかに重くなった。
「死因は?」
「交通事故って書かれてます」
修司は舞台写真を見つめた。
もし榊原が死亡しているなら、あの影は誰なのか。
あるいは――。
『修司さん』 まどかの声が静かに響く。
『榊原遼さんの写真、拡大してください』
修司が画面を拡大すると、まどかはじっと見つめた。
『このペンダント、裏に文字があります』
肉眼ではほとんど読めない。
修司は画像編集ソフトでコントラストを上げた。
浮かび上がったのは、小さなアルファベットだった。
LU…NA N…E R… A
「ラテン語か?」 黒田が首を傾げる。
修司はスマートフォンで検索する。
「イタリア語に近い。“黒い月”という意味だ」
三人は顔を見合わせた。
舞台のタイトルと完全に一致する。
◆
午後、修司たちは再び新宿へ向かった。
目的は劇団「アステリズム」の主宰者に会うためだった。
劇場近くの小さな事務所。
出迎えたのは、四十代半ばの男だった。
「劇団代表の神崎です」
痩せた顔に神経質そうな眼鏡。
修司が名刺を渡すと、神崎は露骨に警戒した。
「警察にも話しましたが、こちらに責任はありませんよ」
「責任追及ではありません。結城翔太さんについて知りたいだけです」
神崎は渋々ソファへ座った。
「翔太は真面目な役者でした。ただ、最近は様子がおかしかった」
「具体的には?」
「稽古中に台本を書き換えようとしていたんです」
「どこの部分を?」
「ラストシーンです」
神崎は机の引き出しから台本を取り出した。
赤ペンで修正跡がある。
「本来、最後は五人が黒い月の周りに集まって幕が下ります。でも翔太は、“五人目を消さないと終わらない”と言っていました」
修司の脳裏に、高円寺の壁に描かれた五つの黒い円が浮かぶ。
「その話をした時、他に何か言っていませんでしたか」
神崎は少し考え込み、やがて低い声で言った。
「“あの時と同じになる”と」
「あの時?」
「大学時代の試演会のことだと思います」
修司は身を乗り出した。
「何があったんです」 神崎は顔色を変えた。
「……あなたは、どこまで知っているんです?」
「五人のメンバーと“黒い月・試演会”の存在までは」
神崎は長い沈黙の後、観念したように口を開いた。
「十五年程前、国立の地下スタジオで学生公演がありました。タイトルは『黒い月』。その公演の最中、一人の女子学生が失踪したんです」
「その…失踪した女子学生の名前は?」
神崎はゆっくり答えた。
「月島玲子」
修司の背筋に冷たいものが走る。
高円寺アパート二〇五号室にあった表札。
月島。………偶然ではない。
「その事件は解決したんですか」
「いいえ。遺体も見つかっていません」
神崎はさらに続けた。
「それ以来、“黒い月”は上演禁止になった。ところが翔太たちは、大学時代にその脚本を掘り起こしてしまったんです」
部屋の外を、新宿の救急車のサイレンが遠く通り過ぎていく。
修司は静かに立ち上がった。
「神崎さん。月島玲子の写真は残っていますか」
神崎は苦い顔で頷いた。
「古い資料庫にあるはずです。ただ……」
「ただ?」
「写真を見ると、皆気味悪がるんです」
修司は何も言わずに神崎を見つめた。
神崎は諦めたように立ち上がり、奥の部屋へ向かった。
その背中を見送りながら、まどかが小さく囁く。
『修司さん……多分、その人です』
『舞台にいた女の人。月島玲子さんかもしれません』
新宿の地下事務所の空気が、急にひどく冷たく感じられた。




