第32話 白光のあと
眩しい白光が消えた時、地下ホールは静まり返っていた。
さっきまで舞台中央に広がっていた黒い円は消えている。
石床には五つの紋章だけが焼き付いたように残り、その中心には小さな銀色の灰が積もっていた。
六人目の姿はない。
拍手も聞こえない。
ただ、遠くで水滴が落ちる音だけが響いている。
黒田慎一がしばらく周囲を見回し
ーーーようやく大きく息を吐いた。
「……終わった、のか?」
誰もすぐには答えられなかった。
風間美緒は震える足で舞台へ近づき
銀色になった灰を見つめる。
「これが……六人目?」
桐島悠真が静かに首を振った。
「違います。これは“席の灰”です」
彼は舞台中央に膝をつき、灰を指先ですくい上げた。
「記録が焼き切れた時にだけ、残るものです」
修司はPENTAX LXを見下ろした。
カメラはもう熱くない。
まどかの気配も先ほどまでの苦しさが、嘘のように穏やかになっていた。
『修司さん』
「どうだ」
『静かです』
ファインダーを覗く。
まどかはいつものように微笑んでいた。
その背後にあった暗い客席の影は、もう映っていない。
◆
桐島はゆっくり立ち上がった。
その身体は以前よりさらに透けている。
地下ホールの薄い光が、彼の輪郭を通り抜けていた。
ジゼルが静かに尋ねる。
「あなたは、これからどうなるんですか」
桐島は少し考えるように目を閉じた。
「月を見る者が次へ渡った以上
私はもう……長くは残れませんね」
翔太が驚いた顔をする。
「消えるってことですか?」
「ええ。でも、それでいいんですよ」
桐島は修司を見つめた。
「あなたは記録者になりました」
修司は眉をひそめる。
「そんなつもりはない」
「つもりではなく……事実なんです」
桐島はPENTAX LXを指差した。
「六人目は完全には消滅できない存在です。だから“記録”として封じ続ける必要がある」
修司は黙ったままカメラを握り直した。
重い。
だが今感じている重さは恐怖ではなく
……その役割りと責任に対して感じていた。
◆
地下ホールの奥で、玲子の姿が淡く光っていた。
彼女もまた、少しずつ透明になっている。
「玲子さん!」 翔太が駆け寄る。
「翔太くん、ありがとう」 玲子は優しく微笑んだ。
「俺は何も……」
「戻ってきてくれたでしょう?」
翔太の目に涙が浮かぶ。
「遼は、本当に解放されたんですか」
玲子は静かに頷いた。
「さっき、最後に聞こえたの。“もう大丈夫だ”って」
その言葉に、翔太は声を詰まらせた。
この十五年間……
彼が抱え続けていた罪悪感が
ようやく少しだけほどけていった…
◆
地下ホールを出る前に
桐島は舞台脇の古い木箱を開けた。
中には数冊のノートと
古い写真乾板が収められている。
「これを持っていってください」
修司が受け取る。
表紙には 『黒月座記録帳』 と書かれていた。
桐島は続ける。
「月を見る者は、封印だけでなく
“真実を残す” という役割もあります」
黒田が苦笑する。
「フリーライターにはぴったりかもな」
修司は小さく肩をすくめた。
「こんな原稿……
どこの雑誌も載せないだろう……」
だが心のどこかでは
書き残さなければならないと感じていた。
黒い月のことを。
榊原遼と月島玲子のことを。
そして、中野の地下に……
九十年近く眠っていた、黒月座のことを…
◆
地上へ戻る頃には、外はすっかり朝になっていた。
クイーンの店内に差し込む朝日が
昨夜までの悪夢を遠ざけてくれるように見えた。
ジゼルは地下への扉を閉め、真鍮の鍵を静かに回した。
カチリ。
「これで、当分は開きません」
修司は尋ねる。
「 “当分” なんだな……」
ジゼルは少しだけ笑った。
「絶対に開かないと言い切れるほど
この世界は単純じゃ…ありませんからね」
黒田がコーヒーを一気に飲み干す。
「頼むから、しばらく地下は勘弁してくれ」
美緒が小さく笑った。
その笑顔を見るのは
事件が始まってから初めてかもしれなかった。
◆
数日後。
新聞には小さな記事が載った。
『アステリズム座、長期休館を発表』
地下倉庫の老朽化調査が理由とされていた。
結城翔太は劇団を離れ
しばらく美緒の部屋で、療養することになった。
神崎は劇場の再開時期を未定とし
過去の公演資料をすべて整理し始めてるらしい。
そして修司の事務所には
久しぶりに静かな時間が戻っていた。
◆
夜。
修司は一人で事務所の机に向かっていた。
机の上には、
『五匹と黒い月』
『黒月座記録帳』
そして現像した昭和十二年の写真が並んでいる。
LXを手に取り、そっとファインダーを覗く。
まどかが柔らかく微笑んでいた。
『お疲れさまでした』
ーーまだ終わってない気がするんだけどな……
その時、
机の上の記録帳がひとりでにパラリと開いた。
最後のページだった。
そこには今までなかった
新しい文字が浮かび上がっている。
『月を見る者 相良修司』
その下に、さらに小さな文字。
『次の満月の夜、国立の地下を見届けよ』
修司の表情がゆっくり引き締まる。
窓の外では、中野の夜空に細い月が浮かんでいた。
完全な終演は、まだ訪れていない。
黒い月は静かに息を潜め…
最期のの幕が上がる時を、待っているのだった。




