第31話 月を見る者
地下ホールは完全な闇に沈んでいた。
照明は落ち、舞台中央の銀色の光だけが薄く揺れている。
その光に照らされて、六人目の空洞の顔が修司の目の前に浮かんでいた。
「器を渡せ! 相良修司!!」
声は耳ではなく、頭の中へ直接響いてくる。
PENTAX LXが激しく震える。
ファインダーの奥で
まどかが苦しそうに…膝をついていた。
『……長くは持ちません』
黒田慎一が鉄パイプを構えて修司の前へ出る。
「だったら力ずくで止めるまでだ!」
六人目の影にパイプを振り下ろした瞬間
ーー武器は空を切った。
影は霧のように揺らぎ
逆に黒い液体が黒田の足元へ広がる。
ギシリ――。
客席の椅子が一斉に軋んだ。
地下ホール全体が、再び“観客席”へ戻ろうとしている。
◆
桐島悠真が舞台の脇にある古い鉄輪へ駆け寄った。
「急いでください! 封鎖機構が完全に開く前に!」
修司は『五匹と黒い月』の最後のページを思い出す。
犬――境界を守る
猫――闇を見抜く
狐――偽りを暴く
烏――死者の声を運ぶ
蛇――月を縛る
そして、
月を見る者――封印を記録する
桐島が叫ぶ。
「五匹の役割を順番に果たせば
地下劇場は閉じられます!」
黒田がすぐに鉄輪の一つを掴んだ。
すると壁の石板に
犬の紋章が淡く浮かび上がる。
「これか!」
同時に地下ホールの入口側から黒い霧が押し戻される。
境界が閉じ始めたのだ。
◆
次に、美緒が震える手で別の鉄輪へ触れた。
猫の紋章。
その瞬間、地下ホールの闇がわずかに薄くなる。
これまで見えなかった黒い影の輪郭が浮かび上がった。
「見える……」美緒が息を呑む。
六人目の背後に、無数の細い糸が伸びている。
客席。舞台。 PENTAX LX…
翔太が三つ目の鉄輪を掴む。
狐の紋章が光る。
すると客席に映し出されていた
偽りの観客たちが次々と崩れ始めた。
石の椅子には、最初から誰も座っていなかった。
残っていたのは
六人目が作り出した “記録の残像” だけだった。
「偽りを暴くって、こういうことか……!」
◆
ジゼルは静かに四つ目の鉄輪へ手を置いた。
烏の紋章。
地下ホールに、これまで聞こえなかった声が満ちる。
榊原遼。
月島玲子。
そして昭和十二年の五匹の役者たち。
彼らの声が重なり、まるで地下そのものが歌っているようだった。
六人目が初めて苦しげに顔を歪める。
「やめろ……死者を呼ぶな……」
玲子の姿が銀色の光の中に浮かび上がった。
「遼、聞こえる?」
遠くから榊原の声が応える。
『玲子……』
その瞬間、六人目を支えていた黒い糸の一部が切れた。
◆
残るは最後の紋章――蛇。
舞台中央の鉄輪だけが、黒い液体に覆われている。
修司はカメラを強く握りしめた。
まどかが静かに言う。
『修司さん、あれを閉じられるのはあなたしかいません』
「蛇は月を縛る者、だったな」
『ええ。そして同時に、“月を見る者”でもあります』
修司は舞台へ踏み出した。
黒い液体が足元にまとわりつく。
冷たい。
ただ新宿最深部で感じたような
圧倒的な絶望感は、今は少し弱まっている。
黒田たちが役割を果たしたことで
六人目の力が削がれているのだろう…
六人目が低く唸る。
「やめろ……器は私のものだ……」
修司は舞台中央の鉄輪へ手を伸ばした。
触れた瞬間、視界が真っ白になる。
◆
再び、あの地下劇場だった。
昭和十二年。
五匹の役者たちが舞台を囲んでいる。
その中央で、若い桐島悠真がカメラを構えていた。
そして最後列には、黒いコートの男。
六人目。
男は静かに拍手をしている。
パチ……パチ……。
若い桐島が振り返り、修司を見た。
「次の記録者か?」
彼はカメラを修司へ差し出す。
「封印は完全には終わらない。だから記録は必要なんだ」
修司は理解した。
月を見る者の役割は
六人目を “消す” ことではない……
外へ出られないよう、
記録の中へ、閉じ込め続けることだった。
そして今、その役割が自分へ引き継がれようとしていた。
◆
現実へ戻る。
修司の手は舞台中央の鉄輪をしっかり掴んでいた。
蛇の紋章が銀色に輝き始める。
地下ホール全体が激しく震えた。
六人目が叫ぶ。
「相良修司! お前も記録に囚われるぞ!」
修司は改めて…LXを構えた。
ファインダーの中で、まどかが静かに微笑んでいる。
『一緒に記録しましょう』
修司は深く息を吸った。
六人目。
黒月座。
五匹の封印。
榊原と玲子。
すべてを終わらせるために…シャッターを切った。
カシャッ!
眩しい銀色の閃光が地下ホールを貫いた。
同時に、蛇の紋章が完全に点灯する。
五つの紋章が一直線に繋がり
舞台中央の黒い円を
取り囲む巨大な封印陣が浮かび上がった。
六人目の身体が光に縛られる。
黒い糸が次々と断ち切れ、空洞の顔が崩れ始める。
「記録者ァァァァァ――!!!!」
絶叫が地下ホールに響き渡る。
五つの紋章が同時に輝いた瞬間
舞台中央の黒い円が…音もなく閉じ始めた。
闇が収束していく。
六人目の影も、その中心へ吸い込まれていった。
だが完全に消える直前ーー
空洞の顔の奥から、かすかな笑い声が聞こえた。
「フハハ…また会おう……月を見る者よ…」
次の瞬間、地下ホール全体が眩しい白光に包まれた。




