第30話 地下に残された男
地下ホールの照明が一斉に点灯した。
薄黄色の古い電球が、半円形の客席をぼんやり照らし出す。
舞台中央の焼け焦げた黒い円は、淡い銀色の光を放ち続けていた。
最後列に座る若い男は、静かに修司たちを見つめている。
白いシャツ。
痩せた身体。
そして胸元で揺れる逆さ三日月のペンダント。
修司はゆっくりライトを下ろした。
「お前は誰だ」
男は少し考えるように目を伏せ、やがて答えた。
「……桐島悠真」
その名前に誰も覚えがない。
だがジゼルだけが微かに表情を変えた。
「桐島……?」
男はゆっくり立ち上がる。
動きは生者そのものだった。
少なくとも、これまで出会った霊とは違う。
「昭和十二年、黒月座で“月を見る者”をしていました」
地下ホールに重い沈黙が落ちた。
翔太がかすれた声を漏らす。
「昭和十二年って……」
「九十年近く前だぞ」
黒田が呆然と呟く。
だが桐島の顔は二十代前半にしか見えない。
◆
桐島は客席の通路をゆっくり歩きながら続けた。
「五匹は封印の役者でした。
私は記録するために雇われた写真師です」
彼の視線が修司のカメラへ向けられる。
「そのカメラ……同じ系譜ですね……」
修司の背筋に冷たいものが走る。
「系譜?」
「月を見る者が代々使ってきた“記録の器”です」
まどかが静かに囁いた。
『やはり……』
桐島は舞台の縁へ降り立つ。
「黒月座の最後の公演で、五匹は六人目を封じようとしました。しかし完全には成功しなかった」
修司は問いかける。
「だからお前は地下に残ったのか」
桐島は苦笑した。
「残ったというより
“記録に取り込まれた” んですよ…」
◆
彼は舞台中央の黒い円へ手を伸ばした。
銀色の光が指先に触れる。
「五匹は役割を終えると死にました。けれど月を見る者だけは、封印が続く限り“記録”として残される」
つまり桐島は、生者でも死者でもない。
九十年近く、黒月座の地下に記録として存在し続けてきたのだ。
美緒が小さく尋ねる。
「ずっと一人だったんですか?」
桐島は少し寂しそうに笑う。
「時々、次の記録者が現れました。戦後には松田綾乃――ジゼルさんのお祖母さんもここへ来ています」
ジゼルが静かに目を伏せた。
「祖母は何をしていたんですか」
「封印の補修です。黒月座が焼失した後も、地下だけは完全に消せなかった」
桐島の言葉とともに、舞台の銀色の光がわずかに脈打った。
◆
修司はバッグから『五匹と黒い月』を取り出した。
「この台本は何なんだ」
桐島はそれを見ると、深く息を吐いた。
「本来は“後始末の手順書”です」
「手順書?」
「五匹が失敗した場合、月を見る者がどうやって封印を維持するかを書いたものです」
黒田が頭を抱える。
「ややこしすぎだ…この呪い!」
桐島は頷いた。
「複雑にしなければ…
六人目が勝手に外へ、出てしまうからなんです」
修司はページをめくる。
最後の数ページに、これまで読めなかった薄い文字が浮かび上がっていることに気付いた。
そこにはこう書かれていた。
『最後の記録者は、月を器へ移す』
そしてその下に、
『器は人ではなく、記録そのものでなければならない』
修司の視線が自然とカメラへ落ちた。
◆
その瞬間、カメラが強く震えた。
ファインダーの奥から黒い霧が滲み出す。
まどかが苦しそうに呻く。
『修司さん……抑えきれません……!』
六人目が動き始めた。
地下ホールの照明が明滅する。
客席の奥から、あの低い拍手が再び響いた。
パチ……パチ……パチ……。
桐島の表情が初めて険しくなる。
「早すぎる……新宿で原版を壊したせいで、六人目が器を探し始めています」
「器って、LXのことか?」
「ええ。今、最も強い“記録”だからです」
ジゼルが静かに言った。
「つまり、修司さんのカメラを乗っ取れば、六人目は再び外へ出られる?」
桐島は…重く頷いた。
◆
突然、舞台中央の黒い円から黒い液体が溢れ始めた。
ジュワ……。
液体は床を這い、修司の足元へ向かってくる。
黒田が鉄パイプを構える。
「また来たぞ!」
修司はPENTAX LXを胸に抱え込んだ。
ファインダーの中で、まどかの姿が揺れている。
『修司さん、私が押さえている間に…
…地下を閉じてください』
「そんなことをしたら、お前はーー」
『大丈夫です』
しかしその声は明らかに無理をしていた。
桐島が舞台の端にある古い鉄輪を指差す。
「そこに封鎖機構があります。黒月座は、最後に地下ごと閉じるために作られていた」
翔太が駆け寄る。
「どうやって動かすんです」
「五匹の役割を代わりに果たす必要がある」
桐島は一人ずつを見た。
黒田。
翔太。
美緒。
ジゼル。
そして修司。
「偶然とは思えません。あなたたちは、五匹に対応する形でここへ集められている」
美緒が息を呑む。
「私たちが……五匹?」
桐島は静かに頷いた。
「犬は境界を守る者――黒田さん」
「猫は闇を見抜く者――風間さん」
「狐は偽りを暴く者――結城さん」
「烏は死者の声を運ぶ者――松田さん」
ジゼルの瞳が細くなる。
「そして蛇は?」
桐島は修司を見た。
「月を縛る者。……そして月を見る者」
その瞬間、LXのファインダーが真っ黒に染まった。
中から、六人目の声が響く。
「早く器を渡せ!! 相良修司ーーっ!!!」
黒い液体が一気に舞台全体へ広がる。
照明が落ち、地下ホールは再び闇に沈んだ。
そして闇の中
六人目の空洞の顔だけが
修司の目の前に…ゆっくり浮かび上がった。




