第27話 カメラの中
LXが勝手に切ったシャッターの残響が
地下最深部に長く残っていた。
カシャッ――。
閃光が消えた後、
舞台背後の石壁にはもう何も映っていない。
だが修司の手の中のカメラは
異様な熱を帯びていた。
内部で何かが呼吸しているようだった。
まどかの気配がわずかに揺れる。
『……入りました』
修司の背筋が冷たくなる。
ーー六人目が?
『完全ではありません。でも、さっきのシャッターで“記録”の一部がカメラへ引き込まれました』
「記録の一部が、カメラにの中に……」
黒田慎一が顔をしかめる。
「おい、それってかなりヤバくないか?」
玲子も不安そうにLXを見つめていた。
「本来、“月を見る者”は封印を記録するだけだった。でも修司さんのカメラは、記録したものを“保持”してしまう」
つまり六人目は消滅したのではない。
形を変え、カメラの中へ逃げ込んだ可能性がある。
◆
修司はフィルム缶を机代わりの石台へ置いた。
『黒月座 昭和十二年 最終幕』
このフィルムに何が写っているのか。
そして「五匹と黒い月」が何を意味するのか。
翔太が静かに尋ねる。
「そのフィルム、現像できるんですか?」
「状態次第だが、やるしかない」
神崎はまだ最深部の光景から
立ち直れていないようだった。
「……もう十分だ。
警察を呼ぶべきじゃないのか」
黒田が苦笑する。
「“地下に何千人もの霊の観客がいました”
って…そう、説明するのか?」
神崎は言葉を失った。
現実的な手段では、この場所を説明などできない。
◆
その時、玲子の姿がさらに薄くなり始めた。
光の粒が肩からこぼれ落ちている。
美緒が心配そうに声を掛けた。
「玲子さん、大丈夫ですか?」
玲子は微笑もうとしたが
その表情には疲労が滲んでいた。
「原版が壊れたことで
私を繋いでいた力も、弱くなっているのかな」
翔太が一歩前へ出る。
「消えるんですか……?」
玲子はすぐには答えなかった。
代わりに、修司の LXを見つめる。
「まだ完全には終わっていない。
……だから私も、まだここにいる」
修司は静かに尋ねた。
「十五年前、本当に何があった?」
玲子はしばらく沈黙した後、ゆっくり語り始めた。
◆
「私たちは、“黒い月”をただの実験劇だと思っていた」
地下最深部の静寂の中、玲子の声だけが響く。
「榊原が見つけた脚本には
最後の数ページが欠けていた
だから誰も、本当の意味を知らなかった」
国立の地下舞台。
千秋楽の夜。
玲子は舞台の中央で
客席の最後列に“知らない観客”を見た。
「その人だけ、拍手をしていなかった」
玲子の瞳に恐怖の色が浮かぶ。
「黒いコートを着て
じっと私を見ていた。
そして、 “次は君だ” って囁いたの」
翔太が青ざめる。
「じゃあ、玲子さんは最初の
犠牲者だったんですか?」
「違う」
玲子は首を振った。
「私は “席” に選ばれかけただけ、、
遼が私を押し戻して
自分が代わりに地下へ残ったの……」
黒田が低く呟く。
「榊原の野郎……」
修司は理解した。
榊原は玲子を助けるために、自ら五番目の席へ座った。
その結果、彼自身が地下劇場に囚われ続けていたのだ。
◆
突然、ファインダーが淡く光った。
まどかの声が緊張を帯びる。
『修司さん、見てください』
修司は恐る恐るファインダーを覗く。
最深部の景色は消え、代わりに暗い客席が映っていた。
そして最後列に、黒いコートの男が座っている。
六人目だった。
今度は空洞の顔ではない。
ぼんやりとした人間の輪郭が見える。
男は静かにこちらを見つめ、ゆっくり唇を動かした。
「まだ終演ではない」
次の瞬間、ファインダーの映像が激しく乱れた。
ザーッ!
修司は思わずカメラを離す。
まどかが苦しそうに呻く。
『……強い……』
ーーまどか!
『大丈夫です。でも、あれはカメラの中で動いています』
つまり六人目は、カメラの内部で
完全には封じ込められていない。
◆
その時、最深部の奥から低い地鳴りが響いた。
ゴゴゴゴ……。
崩壊が再び始まっている。
天井の石積みに大きな亀裂が走った。
黒田が叫ぶ。
「今度こそ本当に潰れるぞ!」
修司はフィルム缶と
台本「五匹と黒い月」をバッグへしまった。
「脱出するぞ!」
全員が螺旋階段へ向かって走り出す。
玲子の光が先導するように前方を照らしていた。
階段を駆け上がる途中、背後から再び拍手が聞こえた。
パチ……パチ……パチ……。
しかし今度の拍手は、一人分だけだった。
ゆっくりと、執拗に続く拍手。
修司は振り返らなかった。
◆
B-13地下劇場へ戻った頃には
地下全体が大きく揺れていた。
客席の多くは崩れ
黒い舞台も半分以上が陥没している。
榊原遼の姿はもう見えない。
玲子が静かに立ち止まる。
「遼は……解放されたと思う」
翔太は唇を噛み締め、深く頭を下げた。
「俺たち、ずっと逃げていました」
玲子は優しく微笑む。
「でも、戻ってきてくれたでしょう?」
その言葉に、翔太の目から静かに涙がこぼれた。
◆
地上へ続く階段を上り、アステリズム座の裏口から外へ出た時、夜明け前の新宿は不思議なほど静かだった。
歌舞伎町のネオンもまだ消えかけている。
冷たい朝の風が、地下の湿った空気を洗い流していく。
美緒は大きく息を吐いた。
「生きて帰れた……」
黒田が苦笑する。
「毎回、それ言ってる気がするな…」
神崎は劇場の裏口を振り返り、低く呟いた。
「B-13は封鎖します。二度と誰も入れない」
修司はカメラに触れた。
……カメラはまだ微かに温かい。
そしてファインダーの奥で、まどかが静かにこちらを見つめていた。
『修司さん、終わったと思いますか?』
修司は答えなかった。
バッグの中には、
『五匹と黒い月』
そして、
『黒月座 昭和十二年 最終幕』
という二つの“記録”が残っている。
さらに、六人目の影はカメラの中でまだ動いている。
新宿の空が少しずつ白み始める中、修司は静かに呟いた。
「……まだ、終わった気がしないよな……」
その瞬間、PENTAX LXの内部から
誰かが小さく笑ったような気がした。




