第21話 開演の……
観客テープのリールが勝手に回転している。
ブゥン……ブゥン……………。
電源に繋いでいないはずなのに、それでも回っている。
地下劇場の空気が震え始めた。
丸い円の中央では、榊原遼の姿が半透明のまま揺らいでいた。
その背後では十三の黒い影がゆっくり舞台へ近づいてくる。
ギシ……ギシ…………。
見えない足音。
風間美緒が修司の腕を掴んだ。
「相良さん、ここから出ましょう!」
黒田慎一も険しい顔で頷く。
「今回は撤退だ。…どう考えてもヤバすぎる!」
しかし修司は舞台から目を離さなかった。
榊原の言葉。
“お前なら、月を閉じられる”
そして玲子の警告。
“席に座れば戻れない”
二つの言葉が頭の中でぶつかり合う。
◆
その時、地下劇場の古い時計が大きく鳴った。
ーーカーーーン――。
針は零時十三分を指している。昼間のはずなのに…
神崎が震える声で呟く。
「時間が……おかしい……」
時計の周囲には、黒い染みのような影が広がっていた。
まるで地下劇場だけが別の時刻へ引きずり込まれているように感じた。
まどかが切迫した声で言う。
『修司さん、零時十三分は“開演の時刻”です』
ーー 十五年前の?
『ええ。そして三年前、榊原さんがここへ来た時も同じ時刻でした』
つまりB-13では、零時十三分になるたびに
……何かが繰り返されているのか??
◆
突然、舞台袖の奥から女の歌声が聞こえてきた。
低く、哀しい旋律。
月島玲子の声だった。
地下劇場全体に歌が響くと
十三の黒い影の動きが一瞬止まる。
玲子は舞台中央へ進み、黒い円の前に立った。
「遼、もう終わりにして!」
榊原は苦しそうに顔を歪める。
「終わらせたいんだ……
だから席を埋めなきゃならない!」
「違う!!」 玲子の声が強くなる。
「席を埋めるほど、“あれ”は増える」
その言葉と同時に黒い円の表面から
無数の手のような影が浮かび上がった。
黒田が顔をしかめる。
「うわっ……!」
影の手は客席の方へ伸びている。
まるで新しい観客を求めているように見えた。
修司は榊原のノートを再び開いた。
最後のページの裏側に
薄く別の文字が書かれていることに気付く。
鉛筆で何度も消そうとした痕跡。
ライトを斜めから当てると、ようやく読めた。
『観…客を…減 ら…せ』
修司の目が細くなる。
「………そういうことか!」
「何が分かった?」黒田が振り向く。
「榊原は最初、“五番目の席を埋めれば閉じられる”と思っていた。でも途中で間違いに気付いたんだ」
ノートの他の記述を指差す。
『席が増えている』
『観客が増えるほど、月は強くなる』
「必要なのは新しい観客じゃない
既にある席を…壊すことだ!!」
玲子が静かに頷いた。
「遼も最後には気付いていた。
………でも、もう戻れなかった……」
榊原の表情が苦しげに揺らぐ。
彼はまだ“席に縛られている”のだ。
その時、五番目の席が大きく軋んだ。
ギィィィ……。
座面から黒い液体が溢れ出し
床を這うように修司へ向かってくる。
「来る!」
黒田が近くの椅子を掴み、液体の前へ投げつけた。
椅子は黒い液体に触れた瞬間、
腐った木のようにボロボロと崩れ落ちた。
「冗談だろ……!」
修司はポケットの、銀色のライターを思い出す。
火を点ける。
小さな炎。
黒い液体は炎を嫌うように一瞬後退した。
『椅子です! 五番目の席を燃やしてください!』
修司は迷わず舞台横にあった古いカーテンの切れ端を掴み、ライターで火を移した。
炎が上がる。
それを五番目の席へ投げ込む。
ーーボッッッ!
黒く染みついた座面が激しく燃え上がる。
地下劇場に凄まじい絶叫が響いた。
『ヤメロォォォォォォ゙ォ゙…………!』
榊原の声ではない。
もっと深く、複数の声が重なったような叫び。
十三の黒い影が一斉に苦しみ始める。
客席が激しく揺れ、照明が点滅する。
黒い円の中央から
あの顔のない影が…ゆっくり浮かび上がった。
六人目。
空洞の顔だけが闇になっている。
影は燃える席を見つめ、怒りに震えていた。
玲子が修司の前に立つ。
「今しかない!」
「どうすればいい!」
「遼を席から解放して!」
修司は榊原を見た。
彼の胸元には、あのペンダントが浮かんでいる。
そのペンダントからは
黒い糸のようなものが伸びて…
燃え盛る席へと繋がっている。
修司はLXを構えてピントを合わせる。
黒い糸が、はっきりと見えた、、、
まどかが囁く。
『シャッターを切ってください。
あの糸を“記録”すれば、…断ち切れます』
修司は深く息を吸い
榊原と席を結ぶ黒い糸へ…
改めてしっかりとピントを合わせた。
カシャッ!
シャッター音が地下劇場に響く。
次の瞬間、黒い糸が光に焼かれるように弾け飛ぶ。
榊原が苦しそうに呻き、膝をついた。
そして彼の虚ろだった目に…
わずかにだが、人間らしい光が戻った気がする。
「玲子……」
玲子が涙を浮かべて微笑んだ。
「やっと、気付いてくれた」
しかし六人目の影は、完全には消えなかった。
燃える席の炎を避けるように後退し
黒い円の中へ沈みながら低く囁くーー。
「席は、まだ残っている」
地下劇場の奥で、別の椅子がギシリと音を立てた。
修司がライトを向ける。
客席の最前列。
五番目の席の隣――六番目の席の座面が
ゆっくりと黒く染まり始めている。
玲子の表情が凍り付いた。
「そんな……移った……の?」
榊原も青ざめた顔で首を振る。
「違う……これは最初から六つあったんだ……」
地下劇場の古い時計が、再び…カーンと鳴る。
零時十三分の針は動かない。
そして燃え続ける五番目の席の炎の向こうで
六番目の席が、ゆっくりとこちらを向いた。
まるで、新しい観客を迎えるように………




