第19話 地下劇場の席
『次の観客は、……相良修司』
風間美緒が青ざめた声を漏らす。
「相良さん……それ、消えませんか?」
修司はライトを近づけた。文字は紙に染み込んでいる。
インクでは無さそうだ。
まるで血そのものが紙へ滲み込んだような色だった。
黒田慎一が低く唸る。
「冗談じゃねえな。完全に名指しじゃないか」
神崎は舞台を見つめたまま、震える声で言った。
「やはり榊原は、ここまで来ていたんだ……」
修司はノートを手に取る。
表紙は湿っていたが、中のページは意外なほど保存状態が良かった。
最初のページには日付がある。
三年前 九月十三日
榊原遼が死亡したとされる一週間前の日付だった。
◆
修司はページをめくる。
『B-13は国立地下と繋がっている』
『三鷹の録音室は“声”を保存する場所だった』
『ここは“席”を選ぶ場所である』
さらに読み進める。
『玲子は生きているわけではない
………しかし死んではいない…』
美緒が息を呑む。
翔太は舞台の縁に手をつき、苦しそうに立っていた。
修司は最後の数ページを確認する。
文字は次第に乱れ、恐怖に追い詰められた筆跡へ変わっていく。
『観客は舞台を見るのではない』
『舞台が観客を見る』
そして最終ページ。
そこには一行だけ、大きく書かれていた。
『五番目の席に座るな』
その下に、小さな追記。
『私はもう選ばれた』
黒田が顔をしかめる。
「“選ばれた”って、榊原自身がか?」
修司が答える前に、地下劇場の照明が一瞬暗くなった。
客席の奥から、誰かが立ち上がる気配がした。
◆
修司は反射的にファインダーを覗く。
十三の黒い影。
そのうち一つが、ゆっくり立ち上がっていた。
中央付近の席。
影は人間の形をしているが、輪郭はぼやけている。
そして胸元には、逆さ三日月のペンダントが光っていた。
榊原遼。
修司の脳裏に、三鷹で見た黒いコートの男の姿が重なる。
影は静かに舞台の方へ歩き始めた。
コツ……コツ……。
実際には足音は聞こえない。
だがファインダー越しには確かに近づいてくる。
『修司さん、見続けないでください!!!』
その瞬間、修司の視界に別の何かの光景が割り込んだ。
◆
B-13地下劇場。 だが、多分…時間が違う?
舞台には若い榊原遼が立っている。
客席には誰もいない。
彼は一人で黒い円を見下ろし
録音機材を操作していた。
スピーカーから拍手が流れている。
そして榊原は震える声で呟いた。
「来るな……お前は玲子じゃない……」
客席の五番目の席に
いつの間にか誰かが座っている。
顔は見えない。
黒い影。
影はゆっくり立ち上がり、榊原へ近づく。
榊原は後退りしながら叫んだ。
「席は埋まってるはずだ! なぜ増えるんだ!」
影は答えない。
ただ、榊原の胸元のペンダントへ手を伸ばす。
次の瞬間、視界が激しく揺れた。
◆
修司は地下劇場へ戻っていた。
膝をつき、荒い呼吸をしている。
「大丈夫ですか!?」美緒が慌てて駆け寄った。
「……榊原を見た」
「何を見たんです」神崎が顔色を変える。
修司は今見た幻視を説明した。
空の劇場。 録音された拍手。
五番目の席の黒い影。 ーーそして榊原の恐怖。
「やっぱり……榊原は事故じゃなかった」
翔太が震える声で言う。
「三年前、榊原は劇場の屋上から
転落死したことになっている。でも……」
神崎もかなり青ざめている。
「でも?」
「死ぬ直前まで、彼は“地下の観客が増え続けている”と周囲に訴えていました」
黒田が舌打ちする。
「警察は言動のおかしい男の妄言
として処理したって……わけか……」
◆
その時、地下劇場の奥でギィ……と扉が軋む音がした。
全員が振り向く。
舞台袖のさらに奥に、細い通路が続いている。
その先から冷たい風が吹き込んできた。
修司はライトを向ける。
通路の壁には、チョークで数字が書かれていた。
1
少し先に、
2
さらに奥に、
3
翔太が青ざめる。
「国立地下の番号と同じだ……」
修司たちは慎重に通路へ進んだ。
数字は順番に続いている。
4
そして突き当たりの扉に、
5
と大きく書かれていた。
その扉だけが異様に新しい。
まるで最近取り付けられたようだった。
修司が手を掛けると、ひどく冷たい。
ゆっくりと扉を………押し開けた。
◆
中は小さな部屋だった。
中央に古い木椅子が一脚だけ置かれている。
国立地下で見た五つの椅子と同じ形。
座面は黒く染みついていた。
そして椅子の正面の壁には、写真が貼られている。
修司はライトを近づけた。
そこに写っていたのは――。
若い月島玲子。
立花圭介。
大庭沙耶。
榊原遼。
そして……結城翔太。
五人が地下スタジオで撮った集合写真だった。
だが、これまで見ていた写真と決定的に違う点がある。
六人目がはっきり写っていた。
客席に座る黒いコートの男。
顔だけが真っ黒く塗り潰されている。
写真の裏には、榊原の筆跡でこう書かれていた。
『最初から六人いた』
「そんな……」 美緒が震える声を漏らす。
その瞬間、部屋の椅子がギシリと音を立てた。
誰も触れていないのに
椅子がゆっくりと修司の方を向く……
そして地下劇場全体に、低い男の声が響いた。
「五番目の席が空いている」
照明が一斉に消えた。
完全な闇。
次の瞬間、修司のすぐ耳元で、湿った囁きが聞こえた。
「座れ!!……相良修司!」




