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「連載版」いつも後回しの私に、公爵様だけが気づきました  作者: 夢見叶
第6章 退くと言いに来たのに、証拠を持ってきてしまった

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第27話 不恰好な花が、届いた

 朝、扉を開けたら、花束があった。


 廊下の床に、直に置かれていた。カモミールが7本。茎の長さが不揃いで、切り口が斜めになっている。小さな紙が茎に挟んであった。「M・V」とだけ書いてある。


 フィリーネはしばらく扉の前に立っていた。


 活けたことのない人間の仕事だ、とすぐにわかった。茎を切るなら水平に切る。本数を揃えるなら偶数が正式だ。本数が奇数の場合は中心に1本、左右に振り分けて——。


 手が伸びかけた。止まった。


 これは誰かが自分のために持ってきた。「自分のための花」を整えるのか。整えたら、誰かが選んだ花ではなく、自分が整えた花になる。


 3秒、止まった。花束を持ち上げた。活け直さなかった。


 廊下に誰もいなかった。朝の光が窓から斜めに入っていた。手の中のカモミールは軽かった。7本分の重さというのは、こういう感じなのか、とはじめて思った。誰かが選んだものを、自分が受け取っている。そういうことが、これまであっただろうか。



 部屋に戻り、棚から花瓶を出した。水を入れた。茎を切ろうとした。止まった。切り口を揃えようとした。止まった。不揃いのまま、水の中に入れた。


 角度が合っていない。左から2本目が右に傾いている。中央の茎が短すぎる。直せばよくなる。手が伸びた。止めた。1度目。後ろの茎が立っていない。2度目。左端が長すぎる。3度目。4度目。手が花瓶の縁に触れた。指が縁から離れた。そのまま膝の上に下りた。5度目。


 今日は、直さない。それだけにした。


 不格好なカモミールが花瓶の中にある。バランスが悪い。中央が短い。直せばよくなる。でも直したら「誰かが選んだ不恰好な花」ではなくなる。



 廊下に出ると、ヘルマンが記録帳を持って通りかかった。


「おはようございます、フィリーネ様。本日のご記録でございますが——」


「……何の記録ですか」


「花束の件でございます。茎の本数と切り口の角度を控えております。閣下のご参考に」


「…………」


「次回のご改善点として、切り口を水平にすることと、本数を偶数にすることが一般的かと存じます。なお、茎の下3寸は葉を除くことが水の濁りを防ぐ点でも」


「——ヘルマン殿」


「はい」


「今回のことは」


「はい」


「次回がいつかは」


 言いかけた。止まった。「——わかりました」


「なお、花瓶の角度は5回変わりました」


「直しませんでした」


「存じております。記録いたしました」


 ヘルマンが頭を下げて去った。廊下の角を曲がりながら記録帳に何かを書く気配がした。フィリーネは廊下に一人で立った。「次回がいつかは」と言いかけた。言わなかった。「わかりました」で終わらせた。何に対する「わかりました」だったのかを、廊下を歩きながら考えないことにした。


 ヘルマンが「5回変わりました」と言った。フィリーネは5回直しかけたことを知っていた。ヘルマンも知っていた。セドリックもおそらく知ることになる。「直しませんでした」という事実が記録帳に入った。何の記録なのか、フィリーネには判断がつかなかった。



 書斎の前で立ち止まった。昨日は廊下の途中から3秒かかった。今日は——扉の前に立ってから、1秒だった。


 軽くノックして入った。セドリックが書類を見ていた。フィリーネが入ると、顔を上げた。


「——カモミールを」


「聞いたか」


「はい。なぜカモミールを選ばれたのですか」


 セドリックが一瞬だけ間を置いた。視線が窓の方をわずかに動いた。動いてから、戻った。


「……枯れた茎を、捨てなかったから」


 止まった。


 枯れた茎。窓辺のグラスの中のあれだ。先月から交換を後回しにしていた。「捨て忘れていた」と処理していた。「後回しにしていた」と分類していた。自分の分類では「捨て忘れ」だった。「後でやる」の棚に入れていた。


 セドリックには「捨てなかった」と見えていたのか。


「……わかりました」


 それしか言えなかった。「わかりました」が何に対する返事だったのか——書斎を出てから、廊下で1時間考えた。途中で考えることをやめた。やめてから、また始めた。「捨て忘れ」と「捨てなかった」は、結果が同じでも意味が違う。どちらが自分のことなのか、1時間で答えが出なかった。


 窓辺のグラスは、今もあの場所にある。片付けていない。今日の今も後回しにしている。——「後回し」と「そのまま」は、どこが違うのか。



 午後、財務室に戻った。


 机の上に花瓶を置いた。廊下のものより少し安定する場所があった。カモミールが不恰好なまま入っている。直していない。記録を開いた。帳面を広げた。数字を並べた。手が動いた。昨日と同じ動き方だ。なぜ今日も後回しにしなかったのか——考えないことにした。


 花瓶が目の端に入る。右に傾いたままだ。手が伸びかけた。今日は6度目になった。止めた。


 記録を続けた。



 夜、机に座った。


 花瓶のカモミールを今日何回見たか、数えていなかった。直さなかった。それだけはわかった。


 帳面を開いた。「0.3秒」と書こうとした。何の0.3秒なのか、書き添えようとした。書けなかった。名前がないものを数値と一緒に並べると、数値が嘘になる気がした。


 「消えなかった」とだけ書いた。


 何が消えなかったのかは書かなかった。書けなかった。「消えなかった」という4文字だけが帳面にある。昨夜は「①②③」と並べようとして③が出てこなかった。今夜は「消えなかった」しか出てこなかった。それが昨夜より前進しているのかどうかも、わからなかった。


 昨夜は「0.3秒」という数値があった。今夜は数値にならなかった。数値にならないものを帳面に書くのは、初めてだった。


 帳面を閉じた。


 花瓶を見た。カモミール7本、不格好なまま、朝と同じ角度で立っている。直さなかった。誰かが選んだ不恰好な花が、今日はここにある。「捨てなかったから」という言葉が、今日何度か頭を通った。「捨て忘れ」と「捨てなかった」のどちらが本当のことなのか、今夜もわからなかった。わからないまま、今日はここまでにした。


 翌朝、財務室に入ると、しばらくしてリナルドが扉を開けた。お茶を机に置いた。いつものように礼をして去ろうとした。扉の前で、足が止まった。


「——前任の奥様も、この部屋でよく記録をされていた」


 それだけ言って、出ていった。

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