6.5:泡沫
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*廃村境界線付近
「はあ……はあ……」
リリィは木に背を預けて座り込んだ。
禁止エリアからの全力疾走。普段、神聖自販機の管理室に籠もりきりの彼女にとって、これほどの運動は久しぶりだった。息が荒く、足が震えている。
「ホントに疲れちゃった?」
ヒナタはケロッとした顔で隣に座った。まったく息も切らしていない。
「……お前は、平気なのか」
「うん、全然」ヒナタは缶詰の袋を開けた。「あたし、走るの得意だもん」
得意、というレベルではない。リリィは内心そう思った。
あの跳躍力。あの反応速度。人間離れしている――いや、もしかしたら本当に人間ではないのかもしれない。
「ねえねえ」
ヒナタが缶詰を一つ取り出した。中身は焼き鳥。
「これ、一緒に食べない?」
「……いらない」
リリィは断った。食料は各自で管理する、それが最初に決めたルールだ。食料絡みのトラブルは嫌と言うほど見てきた。
「えー」ヒナタは頬を膨らませた。「あたし一人で食べるのつまんないんだけど」
「我慢しろ」
「そんなぁ。もう欲しいって言ってもあげないよー」
ヒナタは焼き鳥缶を開けた。プルタブを引くと、香ばしい匂いが漂う。彼女は指で肉を掴み、そのまま口に放り込んだ。
「んー、美味しい」
その食べ方を見て、リリィは僅かに眉をひそめた。
「……フォークは、ないのか」
「ないよ」ヒナタは平然と答えた。「でも、手で食べても一緒じゃん?」
「衛生的に――」
「細かいなー」
ヒナタはもう一口、肉を頬張った。事実、ヒナタは何をどう食べようが腹を壊したことが無い。手でもフォークでも一緒なのだ。
リリィは呆れたような、諦めたような表情で小さくため息をついた。
「……次、どうするか」
リリィは状況を整理し始めた。
「廃村は使えなくなった。新しい拠点が必要だ」
「拠点って、また家に籠もるの?」
「それが最も合理的だ」リリィは淡々と答えた。「戦闘能力が低い私は、隠れることが最善の選択」
「ふーん」
「お前は――」リリィはヒナタの健康的な体を見た。「戦えるだろう。なぜ、私と一緒にいる?」
「だって」ヒナタは笑顔で答えた。「あんた、面白いもん」
「面白い……」
「うん。あんた、すごく頭いいでしょ? 罠作ったり、色々考えたり」
「面白くてやってるんじゃない」リリィは少し戸惑った。「生き残るために必要なことだ」
「それに」ヒナタは首を傾げた。「あんた、一人でいたら寂しいんじゃない?」
「――っ」
リリィの表情が、一瞬だけ揺れた。
図星だった。
神聖自販機の管理者として、彼女は長年孤独だった。誰も信じず、誰にも頼らず、ただ一人で機械を守り続けてきた。
管理室に入ることを許したのは――たった一人だけ。
多分、その人に会いたい気持ちを寂しいと言うのだろう。二度と会えないかと思うと不安にもなる。
不思議とヒナタといると、それらが幾分か紛れる。
「……余計なことを言うな」
リリィは視線を逸らした。
「へへ」ヒナタは楽しそうに笑った。「やっぱりね」
ヒナタは食べ終えた缶詰を握り潰し、驚愕するリリィを尻目に、袋をひっくり返した。
「あと何個あるかな……えっと……5個。いつ無くなるかな……最初に何個持ってたっけ? 最初3個、今1個食べたから……」
彼女は指で数え始めた。
「ひとつ、ふたつ、みっつ……」
リリィは思わず口を挟んだ。
「……9個だ」
「あ、そうなの?」ヒナタは嬉しそうに笑った。「ありがと!」
「簡単な計算だろう」
「だって、あたし記憶ないし」ヒナタはあっけらかんと言った。「数とか、よくわかんない」
「記憶がない……」
リリィは名簿のプロフィールを思い出した。確かに、記憶喪失と書いてあった。
「お前、本当に何も覚えていないのか」
「うん」ヒナタは空を見上げた。「目が覚めたら、街にいたの。それだけ」
「家族は? 友人は?」
「わかんない」ヒナタは笑顔のままだった。「でも、テキトーな人に絡んだり追いかけ回されたり忍び込んだり、結構楽しいよ。あはは」
その無邪気さに、リリィは何とも言えない気持ちになった。どこの街だか知らないが、相当荒んだ生活を送っていそうだ。きっと非合法な手段も重ねているだろう。……尤も、知る限りマトモに法が運用されている街は存在しないが。
自分も家族や友人はいない。だが、管理室という名の家、管理人という役割がある。食料などその気になれば幾らでも手に入る。彼女と真逆の、安定しすぎた生活。
ふと――神聖自販機に群がる人々がよぎる。時にひれ伏し、時に哀願し、カメラ越しに祈る人々。どんな祈りも常に合理性に従って無視してきた。空腹はただの機械すら崇めさせる。――それなのに、ヒナタは。
「……お前、怖くないのか」
「怖い?」ヒナタは首を傾げた。「なにが?」
「空腹が……このゲームも。死ぬかもしれないんだぞ」
「死ぬ……」ヒナタは少し考え込んだ。「あー、でもさ、みんないつか死ぬんでしょ?」
「それは、そうだが――」
「だったら、今を楽しんだ方がいいじゃん」
ヒナタはにっこり笑った。
「それに、あんたと一緒にいるの楽しいし」
リリィは返す言葉を失った。
この少女は、本当に――恐怖というものを知らないのかもしれない。
「……お前みたいな奴、初めて見た」
リリィは小さく呟いた。
「そう?」ヒナタは嬉しそうだった。「あんたも変わってるよ」
「何がだ」
「だってさ、すっごく冷たいフリしてるけど」ヒナタはリリィの顔を覗き込んだ。「本当は優しいでしょ?」
「――優しく、ない」
リリィは否定した。
「私は合理的に動いているだけだ。お前を助けたのも、お前と組んだのも……全て、生き残るための計算だ」
「ふーん」
ヒナタは信じていない様子だった。
「でもさ、さっき逃げる時、あんた、あたしの手を引っ張ったよね」
「……それは」
「『早く!』って。すっごく心配そうな顔してた」
リリィは反論できなかった。
確かに――禁止エリアから逃げる時、リリィはヒナタの手を掴んだ。置いていかれないように、と。
「別に……」リリィは視線を逸らした。「お前が死んだら、私も不利になるからだ」
「あはは、そっか」
ヒナタは満足そうに笑った。
「でも、嬉しかった。ありがとね」
「……礼を言われる筋合いはない」
リリィはそう言いながらも、顔が少しだけ赤くなっていた。
二人は並んで座り、空を見上げた。
昼下がりの時間が過ぎていく。青空を雲がゆっくりと流れていく。
「きれいだね」
ヒナタが呟いた。
「……そうだな」
リリィも同意した。
神聖自販機の管理室では、空など見えなかった。閉ざされた部屋で、機械の音だけが響く日々。
土のざらついた感触、木の香り。新鮮で解放的な空気。全てこの島で初めて味わったもの。
少しだけ感動したが――だからと言って、感謝などしない。
「あのさ」
「何だ」
「あんた、帰りたい人いるんでしょ?」
リリィの体が僅かに強張った。
「……なぜ、そう思う」
「だって」ヒナタは笑った。「みんな、そうだもん。最初の場所にいた人たち、みんな同じ顔してた」
「同じ……顔?」
「うん。『帰りたい』って顔」
ヒナタは自分の胸に手を当てた。
「あたしは記憶ないから、帰る場所もわかんない。でも――」
彼女はリリィを見た。
「あんたには、ある。そうでしょ?」
リリィは何も言えなかった。
この少女は――記憶も、帰る場所もないのに、こんなにも明るい。
「……お前は」
リリィは静かに尋ねた。
「このゲームで、何を目指す?」
「んー」ヒナタは考え込んだ。「帰って非常食を見つけること、かな」
「非常食?」
「うん。あたしのお気に入りの人。そう呼んでるの」
ヒナタは嬉しそうに笑った。
「その人といれば、あたし、結構楽しいんだ」
「……そうか」
リリィは理解した。
この少女にも、『帰りたい人』がいるのだ。記憶はなくとも、心の奥底に――誰かへの想いがある。
だが――帰れるのは、一人だけ。最終的にはどちらかが死ななければならない。
リリィが顔を背けた瞬間、ヒナタは立ち上がった。
「あんたと一緒なら、楽しく生き残れそう!」
リリィも立ち上がり、小さく、本当に小さく――微笑みを返した。
おそらく彼女はルールを分かっていない。いや――ひょっとしたら裏があるかもしれないが。
今、それを考えたくない。彼女の無邪気さに触れていたい。
――ほんの少しだけ、彼女のように無邪気になってもいいかもしれない。
「あ、そうだ」
ヒナタが袋から缶詰を一つ取り出した。
「やっぱりこれ、あげる」
「……いらないと言っただろう」
「でも、一緒に食べた方が美味しいもん」
ヒナタは強引にリリィの手に缶詰を押し付けた。
「それに――」
ヒナタは笑顔で言った。
「仲間でしょ?」
リリィは缶詰を見つめた。
中身はコーンスープ。温めなくても食べられるタイプだ。
「……仲間、か」
リリィは小さく呟いた。
神聖自販機の管理者として、彼女は誰も信じなかった。
しかし――
(あの人が言っていた。『神を信じない奴は、人も信じないのか』と)
「……わかった」
リリィは缶詰を受け取った。
「ありがとう」
「どういたしまして!」
ヒナタは満面の笑みだった。
二人は並んで座り、缶詰を開けた。
コーンスープの甘い香り。
「美味しい」
リリィが呟いた。
「でしょ?」
ヒナタも嬉しそうだった。
二人は順番に半分ずつ、スープを啜った。
ピピピピピッ――
首輪から、電子音が鳴り響く。
『通告。島内に、首輪解除装置が設置されました』
『場所は、北部洞窟群。最初に登録完了した者のみ、首輪を解除できます』
『制限時間は2時間。13:30から15:30まで。時間内に条件を満たさない場合、装置は自動的に破壊されます』
「……っ」
リリィの表情が凍りついた。
ヒナタは首を傾げた。
「首輪、取れるの?」
「……わからない」
禁止エリアに続き、首輪解除装置。主催者はあからさまに誘導をしかけてきている。
「北部洞窟群……」
リリィは地図を呼び出した。
「山を迂回して……1時間。制限時間には間に合う」
「行く?」ヒナタが尋ねた。
「……少し、考えさせてくれ」
リリィは迷った。
……ヒナタの意見を聞いてもいいかもしれない。
「お前はどうしたいんだ」
「解除装置、使ってみたいな。面白そう!」
「そうか……」
合理的に考えれば、首輪を解除すれば――実質的に、勝者が決まる。
そんなものを易々と使わせるわけがない。でないとゲームが面白くならない。
「……行かない」
リリィは座り込んだ。
「えー、面白そうだよ?」
「恐らく主催者の罠だ。それに私は戦闘能力が無い。争奪戦になったら危険すぎる」
「そっか。じゃあお昼寝でもしようかなー」
ヒナタはリリィの膝に無理矢理頭を乗せ、横になった。
「……おい。勝手に乗るな」
「聞かないよー。寝耳に水だよー」
リリィは意味の分からない言葉に面食らい、拒否するタイミングを逃した。
ただ、なんとなくその使い方は多分間違っている、と思った。
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ピーーーッ!
『No.08雪乃院冬姫、死亡確認』
『緊急通告。首輪解除装置に不正な操作を確認したため、撤去します。参加者の皆様には、節度ある振る舞いを期待致します』
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「……行かなくてよかった」
リリィは安堵した。
やはり装置を巡って争奪戦が起きたのだろう。そして装置は――ハッキングを仕掛けたか、分解して仕組みを調べ、複数人に使用できるよう試みた。その結果、主催者に取り上げられた。
そんなところか。この場からの推測では限界があるが、大筋は間違っていないはずだ。
「誰か、死んじゃったね」
ヒナタは少し悲しそうだった。
「……ああ」
リリィは空を見上げた。先程までは所詮ゲームの雰囲気から浮いた、泡のような平穏に過ぎない。
「始まった。殺し合いが……」
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【初日 14:30】
【生存者: 10名】
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【状態表】
【遮音リリィ(孤独な管理者)】
健康状態:良好
所持品:マルチツール
現在位置:廃村境界線付近(ヒナタと共に)
第一行動方針:ヒナタと共に新たな拠点を探す
第二行動方針:ヒナタとの関係維持
最終行動方針:生き残って管理を続ける
備考:最後の一人になる方法はとりあえず棚上げ
【結城ヒナタ(恐れなき笑顔)】
健康状態:良好、腹六分目くらい
所持品:缶詰(残り1.3日分)
現在位置:廃村境界線付近(リリィと共に)
第一行動方針:リリィについていく
第二行動方針:楽しい事を探す
最終行動方針:最後の一人を目指す
備考:最後の一人になる方法を理解している
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