第30話 ずらす手
私たちが砦に戻った頃には、太陽が少し傾きはじめていた。
東門の前は、出発した時よりもずっと慌ただしい。
補給担当が運び込まれた積み荷を確認し、兵士たちが門の内外を忙しく行き来している。
昨日の騒ぎ以来、誰もがせわしなく動いていた。
けれど、ただ慌てているのとは少し違う。
落ち着かないまま、それでも手を止めずに動いている。そんな空気だった。
「とりあえず、見えたものは見えたわね」
門をくぐりながら私が言うと、エリシアが小さく頷いた。
「はい。こちらも変える必要があります」
「ええ。変えないと、また同じように見られる」
後ろでガルドが肩を鳴らした。
「見られる見られるって言うが、結局どうするんだ」 「ずらすのよ」
「また雑な言い方だな」
「最初の方針なんて、だいたい雑でいいの」
細かく詰めるのは、そのあとでいい。
最初から全部きっちり決めようとすると、たいてい動けなくなる。
私はそのまま、司令用に使われている部屋へ向かった。
中には、すでに何人か兵が集まっていた。
地図、木札、補給路の簡単な記録。朝より少し机の上が散らかっている。
でも、現場を見てきたあとの部屋としては、そのくらいの方が信用できる。
エリシアが席につくと、部屋の空気が少し締まった。
「先ほど、補給路の現場を確認してきました」
エリシアが、現場の所感を短く説明する。
「結論から言えば、昨日の騒動は偶発ではありません。相手は位置を選んで仕掛け、こちらの反応を見ています」
兵のひとりが眉をひそめた。
「やはり、魔王軍でしょうか」
「たぶんね」
私が口を挟む。
「魔物をけしかけただけじゃない。近くで斥候が見てた。荷車が止まる位置も、兵がどれだけ出るかも、勇者がどう動くかも、まとめて見てる」
「勇者も、ですか」
その言葉に、部屋の端にいた悠真の肩が少しだけ動いた。
私はわざとそちらを見ず、そのまま続ける。
「でも、勇者だけじゃない。そこを勘違いすると、動きが狭くなる」
「では、対策は」
エリシアの言葉は短かった。
助かる。
「同じパターンの行動を改める」
私は地図の上を指でなぞった。
「時刻をずらす。並びを変える。護衛の人数も固定しない。門前で止まる位置も毎回変える」
「それだけで違うものでしょうか」
「違うわよ」
私は即答した。
「相手は、繰り返しの中から小さな情報を拾って形にしていくの。こっちが毎回同じ動きをしてたら、向こうが楽になるだけ」
部屋が少し静かになる。
たぶん何人かは、面倒だと思っている。
それもわかる。
面倒だ。
でも、面倒だからやるんだ。
「もうひとつ」
私は地図の東側を軽く叩いた。
「補給路を狙ってるなら、次もどこかで仕掛けてくるかもしれない」
「……はい」
「なら、こっちも対応を変える。動きも固定しない」
兵たちの視線が集まる。
「次の補給は、表向きは普通に動かす。でも、中身と配置は変える」
「囮ですか」
「半分だけ」
ルークが壁際から低く言った。
「半分、とは」
「本物を混ぜるのよ。全部偽物だと、気づかれた時点で終わるから」
ガルドが小さく笑った。
「なるほどな。食えねえ」
「褒め言葉として受け取っとくわ」
エリシアは少し考えてから、視線を上げた。
「護衛はどうしますか」
「多くしすぎない方がいい。昨日の反応を見てるなら、向こうは“揺さぶればどれだけ出てくるか”を、だいたい掴んでる。そこから急に倍にしたら、今度はそれだけで警戒される」
「では」
「見える範囲の護衛はそのまま。見えないところで動ける人数を増やす」
兵たちの空気が少し変わった。
具体的になると、人は動きやすい。
その時だった。
「俺も出ます」
悠真だった。
部屋の視線が一斉にそちらへ向く。
本人は、思ったより落ち着いた顔をしていた。
「昨日、見られたなら、次もたぶん見られる。だったら、現場にいる方がいいと思います」
「却下」
私は即答した。
「早いですね」
「早いわよ」
ようやくそっちを見る。
「あなた、自分を便利な目印にしようとしすぎ」
「でも、見られる前提なら――」
「その前提に寄りかかるのが雑だって言ってるの」
悠真が口を閉じる。
でも、引いてはいない。
少し前なら、こういう時はそのまま黙っていた。
それに比べれば、ずいぶんましだ。
「出るなとは言わない」
私は言葉を選ぶ。
「でも、“勇者がいるから反応するはず”で動くのは駄目。出るなら、別の意味を持たせる」
「別の意味?」
「護衛訓練の確認。門前の連携。前線に慣れるための見回り。名目はいくらでもあるでしょ」
リゼが腕を組んだまま笑った。
「ほんと、そういうのは回るわね」
「そういうのしか回したくない世界だからよ」
エリシアが小さく頷いた。
「では、勇者殿には表立って動いていただくのではなく、門前の確認に加わっていただく形で」
「それならいい」
悠真は少し考えてから、素直に頷いた。
「……わかりました」
その返事に、少しだけ息を吐く。
揉めなくて済んだ。
それだけでも十分だ。
けれど、問題はそれだけじゃない。
私は卓の端を、指で軽く叩いた。
「あと、夜」
部屋の空気がまた変わる。
「外からの探りとは別口で、内側にも手が来てる」 「女神様、ですか」
エリシアの声は低かった。
「ええ。しかも昨日から、悠真への触れ方が変わった。急がせるんじゃない。選ばせる方へ寄ってきてる」
何人かの兵は意味がわからない顔をしたけれど、それでいい。
全員が同じ深さまで理解する必要はない。
「今夜は、こっちも少しやり方を変える」
「どう変えるんですか?」
フィーナが不安そうに訊く。
「眠らせるだけじゃなくて、どこで干渉してくるかを見る」
「見る?」
「ええ。言葉が入り込む位置。迷いが立つ場所。そこが見えれば、次は切りやすくなる」
後鬼が静かに口を開く。
「夢の深度を一定に保つのではなく、あえて揺らぎを残すのですね」
「そう。完全に閉じると、逆に見えない」
「危険では」
「危険よ」
私は認めた。
「でも、もう“守るだけ”で止まる段階じゃない」
昨日の夢で、向こうはやり方を変えてきた。
なら、こっちも変えるしかない。
同じ守り方を続けていたら、たぶん先に削られる。
細かな役割分担まで決め終えたところで、ようやく会議は終わった。
部屋を出た頃には、夕方の光が砦の中へ長く差し込んでいた。
砦は相変わらず忙しい。
でも、朝よりは少しだけ芯がある。
動く理由が揃ったからだろう。
門前では、次の搬送用の荷が組み直されていた。
木箱の並びが変わり、油壺は奥へ回され、代わりに見せる荷が前へ出される。
兵の顔ぶれも、少し入れ替わっていた。
「ほんとに変えるんですね」
フィーナが感心したように言う。
「言ったでしょ」
「でも、もっと嫌がられるかと思ってました」
「嫌がってるわよ。たぶん」
私は肩をすくめた。
「それでも変えるの。そういうもの」
少し離れた場所で、悠真がルークと何か話していた。
剣を抜くでもなく、外を鋭く睨むでもなく、門の内側で兵に混じって立ち位置や歩く間合いを確かめている。
砦の中で慣れない役目を教わっている――外から見れば、そのくらいの光景にしか見えないだろう。
昨日よりましだ。
今日もまだ危なっかしい。
でも、昨日のままじゃない。
それでいい。
「ミツネ」
肩の上で、サトリが小さく耳を立てた。
「なに」
「外。見てるのがいる」
「どっち」
「あっち」
木立の向こう。
夕方の光が落ちる境目。
人の目では、もう少しすれば見えにくくなる場所だ。
私はそちらを見たまま、小さく息を吐いた。
「……いるわね」
目印がついていた位置の先。気配は薄いけれど、誰かがこちらの様子を窺っている。
隠れているつもりなのだろうが、完全には消しきれていない。
「主。私が消してまいりましょうか」
後鬼が静かな声で訊いてくる。
「いい。気づいてないふりをしておく」
私はそう返して、もう一度だけ木立の奥へ目を向けた。
魔王軍は外から様子を見る。
女神は勇者の内側へ手を入れ、揺らしてくる。
狙っている場所は違う。
でも、どちらも相手の反応を拾って、自分に都合よく動かそうとする。
そういう感じの悪さだけは、よく似ていた。
私は門前の補給物資と、木立の影と、その向こうに沈みかけた太陽を順に見る。
今夜も、たぶん静かじゃない。
外も。
内側も。
だから、先に動く。
待っているだけで終わるつもりはない。
私は袖の中の札を指で確かめて、小さく息を吐いた。
この世界は――
揺さぶり方まで、雑すぎる。




