第29話 補給路の跡
昼前。
空は、青く気持ちのいい晴天だった。
砦の中にいると少し忘れそうになるけれど、外に出ると日差しは気持ちよかった。
砦の東門を出て少し進んだ先。
昨日、荷車が横転した場所まで来ると、それがよくわかった。
土は踏み荒らされ、轍は深くえぐれている。
散らばった木箱はもう片づけられていたけれど、割れた板や縄の切れ端、回収しきれなかった破損材は、まだ道の脇に寄せられたままだった。
兵が二人、現場の見張りについている。
「思ったより残ってるわね」
私がそう言うと、案内役の兵が少しだけ困った顔をした。
「申し訳ありません。片づけは進めたのですが、現場を崩しすぎるなとも命じられていて……」
「それは正しい判断」
兵士の肩から、少しだけ力が抜けた。
現場を残しておくのは見た目が悪い。
でも、きれいに片づけたら、大事なものまで一緒に消える。
後ろでガルドが辺りを見回した。
「で、何を見るんだ」
「全部」
「雑だな」
「現場は最初から絞ると見落とすの」
そう返しながら、私はしゃがみ込む。
轍。
足跡。
土の削れ方。
昨日は上から見ただけだったけれど、現場に降りるとまた違う。
肩の上で、サトリが耳を動かした。
「ミツネ。昨日の匂い、まだ残ってる」
「どっち」
「魔物と、人と、油。あと嫌なやつ」
「嫌なやつ、便利な言い方ね」
「だって嫌なんだもん」
前鬼は少し離れたところで、深く刻まれた車輪の轍をつついていた。
後鬼は無言のまま、地面に残った黒ずみを見ている。
悠真は私の少し後ろで立ち止まり、周囲を見ていた。
前に出すぎない。
でも、下がりすぎもしない。
昨日より、立つ位置がちゃんとしている。
それだけで十分だ。
「ミツネ殿」
エリシアが、道脇に寄せられた破損材のそばから呼ぶ。
「こちらを」
近づくと、王女はその中に混じっていた軸受けの木片を指さした。
外れたというより、ずれたような壊れ方をしている。
「……なるほど」
私は屈んで木材の継ぎ目を見る。
完全に叩き割った痕じゃない。
揺れを重ねたところへ、横から力が入ってずれた形だ。
「これ、最初から狙われてる」
ルークが低く言った。
「車列の先頭ではなく、この一台だけか」
「ええ」
私は周囲の地面を見渡す。
「昨日、魔物は荷車の周囲をなぞるように動いてた。食い荒らす気配も薄かった。たぶん、騒動を起こす場所が先に決まってたのよ」
「物資そのものではなく、騒ぎを起こす位置を選んだと」
エリシアの言葉に頷く。
「東門から見える。兵はすぐ出る。門上からも確認しやすい。つまり――」
「反応を見るにはちょうどいい」
ルークが言い切った。
そういうことだ。
私は道脇に積まれた荷台の破片へ目を向ける。
板の縁に、細い爪痕がいくつか残っていた。
でも、蓋をこじ開けた跡は薄い。
「中身は何だったの」
案内役の兵が答える。
「保存食と、矢束、それから砦内で使う油です」
「減ってる?」
「いえ……確認では、ほとんど」
「でしょうね」
ガルドが鼻を鳴らした。
「盗る気もねえのか」
「ええ。昨日の時点でそんな感じだった」
私は荷台の破片の端を指でなぞる。
土。木屑。乾いた血。
その隙間に、黒い粉のようなものが少しだけついていた。
「後鬼」
「はい」
呼ぶと、後鬼がすぐそばへ来る。
「これ」
私が指先を見せると、後鬼はその指先についた粉を見て、ほんの少しだけ眉を寄せた。
「呪具ほど濃くはありませんね」
「ええ。でも、無関係でもない」
悠真が小さく訊いた。
「昨日の黒い刺と同じですか」
「同じじゃない」
私は即答する。
「でも、使われ方は近い」
黒い粉はほんの少し。
荷台の表面にこすりつけたみたいについている。
魔物を強く操るほどじゃない。
でも、それがある場所に引きつけられる。
思考を鈍くさせる。
そういう軽い誘導には十分だ。
「餌ではなく、目印に近いわね」
リゼが腕を組む。
「魔物を襲わせるため?」
「それもあるし、同時に“ここを中心騒動を起こせ”って雑に押したんでしょうね」
私は立ち上がって、周囲を見た。
道の両脇は低い草地。
少し離れた先に、木立がある。
昨日、魔物が回り込んだのもあの辺りだった。
「カルド」 )
「はい」
「昨日、側面へ抜けた魔物が向かった方向はどっち?」
「右奥です。あの岩の先」
「見える位置ね」
私はそのまま歩き出す。
兵が慌てて後ろにつこうとしたけれど、ルークが先に周囲を確認して前へ出た。
エリシアも無言で並ぶ。
草を踏み、少し斜面を上がる。
岩陰へ回ると、そこは思ったより見晴らしがよかった。
東門。
荷車の転倒地点。
門上の兵の動き。
全部、見える。
「……やっぱり」
私が呟くと、サトリがぴくりと尻尾を振った。
「ここ、いた?」
「いたわね。長くはないけど」
地面に残った足跡は薄い。
けれど、人のものだ。
魔物じゃない。
しかも一人分ではない。
ルークが片膝をついて痕を見た。
「斥候か」
「たぶん」
「魔物任せではなく、人が見ていた」
「そっちの方が自然でしょ」
魔物だけで都合よく情報が探れるほど、戦場は甘くない。
ちゃんと見ていた人間が後ろにいる。
だから、あの動きになった。
悠真が少しだけ顔をしかめる。
「じゃあ、昨日の騒動……最初から僕を見るために?」
「あなた“だけ”じゃない」
私はすぐに返す。
「兵の出方、王女の指示、門上の動き、砦の反応速度。あなたはその中のひとつ」
「でも、見られてたことには変わらないですよね」 「変わらないわね」
そこは曖昧にしない。
「ただ、見られたからって、全部向こうの得になるわけじゃない」
悠真が黙る。
だから、もう少しだけ言葉を足す。
「昨日のあなた、飛び出し方を変えたでしょ」
「……はい」
「それも見せたの。勇者が前みたいに雑に突っ込まないって」
その瞬間、ガルドがふっと笑った。
「なるほどな。見られ損しただけじゃねえってことか」
「ええ。こっちも多少は嘘を混ぜられる」
エリシアが静かに周囲を見渡す。
「では、昨日の段階では相手は“勇者の現在の動き”を確かめたかった」
「それに加えて、補給路に兵をどれだけ割くかも」
私は斜面の下へ視線を落とす。
「一回揺さぶって、どう動くかを見る。古いやり方だけど有効。だから腹が立つ」
「嫌いそうですね」
「嫌いよ。人も物も、反応だけ取って帰るやり方」
その時だった。
後鬼が岩の陰で足を止める。
「主」
「なに」
「こちらに、削った跡があります」
近づくと、岩肌の一部に新しい傷があった。
刃物で軽く削ったような線。
偶然にしては不自然だ。
「印ね」
私は指で触れる。
「見張り役が位置を合わせるための」
ルークが短く息を吐いた。
「昨日だけの即興ではないのか」
「ええ。少なくとも、下見はしてる」
つまり相手は、思いつきで魔物を誘導したわけじゃない。
砦を外から測り、見える位置を取り、荷車を止める場所まで選んでいた。
派手じゃない。
でも、十分に嫌らしい。
エリシアが低く言う。
「補給路の巡回を増やします」
「増やすだけだと足りない」
私が言うと、王女はすぐこちらを見た。
「どうすべきでしょう」
「毎回同じ時刻、同じ並び、同じ人数で通さない」
私は淡々と続ける。
「積み荷の見せ方も変える。門前で止まる位置も変える。護衛の顔ぶれも少しずつずらす。相手が地図を作りにくいように」
案内役の兵が少し目を見開いた。
「そんなに変えるものなんですか」
「変えるものよ。守る気があるなら」
言ってから、少しだけ間を置く。
「毎回同じ運び方で無事だったからって、それを正解扱いするの、いちばん雑だから」
兵は真面目に頷いた。
たぶん刺さったんだろう。
フィーナがほっとしたように言う。
「でも、来てよかったです。昨日のこと、ちゃんとわかって」
「ええ」
私もそれには同意した。
記録だけじゃ、見えないものもある。
現場だけじゃ、繋がらないものもある。
両方見て、ようやく線になる。
悠真が斜面の下を見ながら、小さく言った。
「昨日、俺が出たの……間違いじゃなかったんですね」
「間違いじゃない」
私はすぐに答える。
「問題は“どう出るか”であって、“出たこと”そのものじゃない」
「……はい」
その返事は、前より少し深く入っていた。
岩陰を抜ける風が、乾いた草を揺らす。
遠くで、東門の方から兵の声がした。
砦。
補給路。
結界。
夢。
記録。
ばらばらだったものが、少しずつ噛み合ってくる。
向こうは、ただ襲っているんじゃない。
見て、試して、確かめている。
だからこそ、こっちも見返さなきゃいけない。
私は岩の傷をもう一度見たあと、小さく息を吐いた。
この世界は――
測り方まで、雑すぎる。




