第28話 眠れぬ勇者たち
朝食のあと、砦の空気は少しだけ落ち着いていた。
少しだけ、だ。
西門の結界は、あれから何も起きずに持ち直した。
東門側の騒動も、一応は収まっている。
でも、だから安心できるわけじゃない。
夜のうちに何かが変わった。
私は、それを見た。
たぶん、相手も同じだけ見ている。
「ミツネ殿」
食堂を出たところで、エリシアが声をかけてきた。
「記録帳の準備ができました」
「早いわね」
「早く見たかったので」
そう言った王女の目は、少しだけ寝不足だった。
人のことは言えないけど。
案内されたのは、昨日とは別の部屋だった。
砦の奥まった一角。
窓が小さくて、光が斜めに細く落ちている。
中央の机には、すでに何冊かの帳面と冊子が並べられていた。
古い革表紙。
薄い紙束。
紐で綴じたままの控え。
見る前から、だいたい嫌な予感がする。
「うわ、また増えてる」
リゼが机を覗き込んで言った。
「嫌なら帰っていいわよ」
「嫌とは言ってないでしょ。面倒そうだなってだけ」
「同じようなものよ」
ガルドは椅子に座るなり、机の端を指で叩いた。
「で、今回は何が出るんだ」
「勇者の前例」
私が答えると、悠真の肩がわずかに固くなる。
わかりやすい。
でも、今はそれでいい。
知らないままより、ずっといい。
エリシアが最初の一冊を開いた。
「こちらが神殿側の写しです。勇者の戦歴と神託の記録が中心です」
「で、こっちが?」
私が別の冊子に触れる。
「王家の側で保管していた報告書です。付き従った騎士や侍従が残したものも混ざっています」
「そっちが本命ね」
私が言うと、エリシアは小さく頷いた。
「私も、そう思います」
部屋が静かになる。
窓の外では、かすかに兵の声が聞こえる。
でも、ここまでは届かない。
紙をめくる音だけが、妙に大きかった。
最初に見つかったのは、神殿記録の一文だった。
「“神託を夜毎に受け、勇者は眠りを惜しみて祈りを深めた”」
私が読み上げると、リゼが露骨に嫌そうな顔をした。
「言い方」
「綺麗すぎるわね」
私はページを指で押さえる。
「惜しんだんじゃなくて、取れなかった可能性が高い」
エリシアが、王家側の控えを開いた。
数行、目で追ってから、静かに言う。
「同じ時期の記録です。“三日続けて浅眠。会話に遅れあり。判断は鋭いが、感情の揺れが大きい”」
部屋の空気が、少しだけ重くなった。
私は神殿記録へ目を戻す。
英雄譚みたいに整えられている。
でも王家側の文は違う。短い。雑だ。だから逆に生っぽい。
「……やっぱり」
悠真が小さく言った。
自分のことじゃない過去の話なのに、他人事には聞こえないんだろう。
「まだあるわよ」
私は次の束をめくる。
第二勇者。
第三勇者。
呼び名は立派だ。
でも並ぶ記述は、だいたい似ている。
夜の神託。
浅い眠り。
昼間の高出力。
周囲の見誤り。
「これ」
私が指を止める。
「“加護いよいよ冴え、疲労の色を覆う”」
ルークが眉をひそめた。
「覆う、か」
「便利よね」
私は紙から目を離さず言う。
「疲れてるのに動けるなら、周りはそっちを見る」
フィーナが不安そうに訊いた。
「でも、それって……本人はもっとつらいですよね」
「当然でしょ」
私は即答した。
「体が動くことと、休めてることは別」
そこで少し、間が落ちた。
誰もすぐには口を開かない。
エリシアが、別の控えをそっと開く。
「こちらは、勇者付きの侍医の記録です」
その一言で、私は少し身を乗り出した。
医者の記録は好きだ。
信仰より、たいてい正直だから。
「読んで」
王女は短く頷いて、目で文字を追った。
「“眠りに入るまで長く、入眠後も反応あり。名を呼びかけられる動作を繰り返す”」
悠真の指が、机の下で小さく動いたのが見えた。
「“本人は平静を保つが、選択の場において逡巡増加。神意に沿うことへ過敏”」
リゼが、ふっと息を吐く。
「もう十分じゃない、それ」
「ええ」
私は頷いた。
「十分すぎる」
エリシアが次の行へ目を落としたまま、少しだけ声を低くする。
「“これを試練と称するなら、あまりに一方的”」
部屋が静まり返った。
それを書いた侍医は、たぶん消されていない。
でも、表には出なかったんだろう。
神殿記録には、そんな一文は載っていなかった。
「前例があるのに改善してないなら」
私はページを閉じる。
「それは信仰じゃなくて放置よ」
エリシアは否定しなかった。
リゼも、ガルドも、誰も。
ただ悠真だけが、少しだけ苦そうな顔で笑った。
「そんな昔から……同じなんですね」
「同じ、とはまだ言わない」
私はそっちを見る。
「でも、似た形は繰り返してる」
「それ、十分嫌です」
「ええ。私もそう思う」
少しだけ、悠真の肩の力が抜けた。
全部を否定されるより、その方が受け止めやすいんだろう。
後鬼が机の向こうから静かに言った。
「主、こちらも」
差し出された紙片は短い。
ほとんど走り書きだ。
読みにくい。でも、読める。
「……“神託の文言、近頃変化あり。命ずるものより、選ばせるもの増す”」
私は目を細めた。
その続きには、もっと嫌な一文があった。
「“選定を誤れば、多くを失うと思わせる傾向強し”」
悠真が息を止める。
昨夜の夢と、ほとんど同じだ。
「ほんとに」
彼が、乾いた声で言った。
「昔から、あったんだ」
「たぶんね」
私は紙片を机へ戻す。
「急がせるだけじゃ足りなくなったら、選ばせる。やり口としてはわかりやすい」
ガルドが腕を組む。
「わかりやすいけど、性格は悪ぃな」
「同感」
リゼが珍しく即答した。
その時、フィーナが遠慮がちに口を開いた。
「あの……それって、勇者様だけじゃなくて」
「なに」
「周りの人も、ずっと見誤ってきたってことですよね」
いいところを見る。
私は頷いた。
「ええ。本人だけじゃない。周りも“動けているから大丈夫”って誤認する」
ルークが低く言った。
「戦場では、特にな」
「そう。動けるなら前に出す。結果が出るならもっと出す。周りが気づいた時には、もう遅い」
エリシアが目を伏せた。
その横顔は、王女というより、ただ疲れている人の顔だった。
「私たちも、繰り返すところでした」
「まだギリギリね」
私が言うと、エリシアは小さく笑う。
「厳しいですね」
「優しく言っても、改善されるとは限らないから」
窓の外で風が鳴る。
砦の朝は、もう完全に動き出していた。
それでも、この部屋の中だけは少し時間が遅い。
私は神殿記録と王家記録を並べて見る。
片方は綺麗すぎる。
片方は生々しすぎる。
でも、並べればわかる。
綺麗に書かれた試練の裏で、ちゃんと人が削れていた。
「記録って、便利ね」
私が小さく言うと、リゼが首を傾げた。
「嫌味?」
「半分」
私は頁を閉じる。
「消しても、全部は消えない」
エリシアが静かに頷いた。
「続きを探します」
「お願い」
「眠れぬ勇者だけではなく、付き従った者の記録も当たります」
「そっちの方が本音が残るから」
王女はその言葉に、まっすぐ頷いた。
もう迷っていない顔だった。
いい傾向だ。
悠真は、まだ少し沈んだ顔をしていた。
でも、前みたいに全部を飲み込んで黙るだけではない。
「ミツネさん」
「なに」
「俺、昨日の夢のこと……記録で見ると、ちょっとだけ楽です」
私は少し意外で、黙った。
「なんで」
「自分だけじゃないってわかると、少しだけ整理できるので」
そう言ってから、彼は困ったように笑う。
「嫌な整理の仕方ですけど」
「そうね」
私は短く答える。
「でも、整理できるならその方がいい」
それで十分だった。
エリシアが記録帳を閉じる。
その音が、机の上に重く落ちた。
砦。
補給路。
結界。
夢。
神託。
勇者。
全部ばらばらに見えて、少しずつ線になっていく。
昔から。
繰り返して。
綺麗な言葉で包んだまま。
そういうの、本当に嫌いだ。
私は小さく息を吐いた。
この世界は――
誤魔化し方まで、雑すぎる。




