第26話 西門の綻び
西門へ向かう通路は、東門の時とは違う慌ただしさに包まれていた。
怒号は少ない。
その代わり、押し殺した緊張がある。
兵たちは西門へ走っているのに、誰も声を張り上げない。
派手な襲撃ではないと、もうどこかでわかっているのだろう。
「東で探って、今度は西ね」
私が歩きながら言うと、エリシアが頷いた。
「同時に崩すつもりなら、もっと数を出してくるはずです」
「ええ。これは崩すためじゃない」
ルークが短く続ける。
「綻びを探している」
そういうことだ。
西門へ出る手前で、空気が変わった。
ひやりとする。
夜の冷たさとは少し違う。結界の揺れだ。
石壁に沿って淡い光が走り、見えない結界の表面が時々だけ歪む。
水面に小石を落としたみたいに、円く広がって、またすぐに消える。
「……雑な干渉の仕方」
思わず呟くと、リゼが横目で私を見る。
「わかるの?」
「わかる。壊す気がない」
「壊す気がない干渉って、余計に気持ち悪いわね」
「ええ」
西門の上には、すでに数人の兵が配置についていた。
その中央で、神官服の青年がひとり、額に汗を浮かべながら両手を結界柱へかざしている。
若い。
慣れていない。
でも、無理やり立たされている顔だ。
「この子?」
私が言うと、エリシアが少しだけ眉を寄せた。
「砦付きの神官見習いです。本来は補助ですが、いまは人手が足りず」
「平時の運用をそのまま戦時に流してるのね」
短く言うと、エリシアは否定しなかった。
否定できない、の方が近い。
西門の外は暗い。
森が近いぶん、東門よりも闇が濃い。
その闇の中で、何かが時々だけ光る。
目。
いや、目に見えるだけの何かだ。
「いるわね」
サトリが耳を立てる。
「いっぱい、じゃない。少しだけ。しかも近づいたり離れたりしてる」
「結界の厚さを測ってる」
後鬼が静かに言う。
前鬼は門の上から覗き込み、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「また殴れないやつか」
「殴る前に落ちるから、身を乗り出すのはやめなさい」
「落ちねえって」
「それ、毎回聞くの嫌なんだけど」
少しだけ、場の空気が緩む。
でも、本当に少しだけだ。
私は結界柱のそばへしゃがみ込んだ。
白い石に刻まれた紋様は細かい。
でも、継ぎ足しが多い。
古い基礎の上に、新しい術式を重ねて延命している感じだ。
「……これ、誰が組んだの」
神官見習いがびくっと肩を震わせた。
「え、あ、その……本山から渡された祈祷式を、そのまま……」
「そのまま?」
「はい……」
「調整は?」
「現地では、ほとんど……」
私は思わず目を閉じた。
「なに?」
悠真が小声で聞く。
「結界の仕様が、現場で調整する前提になってない」
「それって悪いんですか」
「悪いわよ」
私は即答した。
「土地も魔物も違うのに、同じ術式を貼って終わり? 壊れない方がおかしい」
神官見習いが青ざめる。
少し言い過ぎたかと思ったけど、事実だから仕方ない。
エリシアが横で静かに青年へ向けて言った。
「あなたを責めているわけではありません。現状を知りたいのです」
……そういう言い方ができるから、この人は王女なんだろう。
私は柱に手を当てる。
冷たい。
でも、奥の流れは熱を持っていた。
外から来ている干渉は、力押しじゃない。
結界を削るでもない。
結界の節目だけを、軽く叩いている。
「嫌」
私は眉を寄せた。
「なにが見えたの?」
リゼが問う。
「こっちも似たようなことされてる」
「夢の方?」
「発想が同じ」
私は柱の継ぎ目を指先でなぞった。
「強いところは触らない。弱いところだけ何度も撫でる。反応が返った場所だけ覚える」
ルークの顔が固くなる。
「結界の地図を作っているのか」
「たぶんね」
神官見習いが青い顔のまま言った。
「で、ですが、破られてはいません……!」
「今はね」
私が答えると、その子は口をつぐんだ。
今は破られていない。
でも、破るための準備かもしれない。
あるいは、砦がどこまで持つかの確認か。
どちらにしろ、ろくでもない。
「リゼ、光を一段階だけ上げて」
「了解」
杖の先が淡く光り、結界が少しだけ見えやすくなる。
そこに、細い歪みが走っていた。
線ではない。
点でもない。
何度も触られた跡だ。
「ここ」
私が指した瞬間、外の闇の中で何かが跳ねた。
兵が槍を構え、緊張が走る。
カルドが弓を引く。
でも飛び込んではこない。
「挑発してるわけでもないのか」
ガルドが低く言う。
「ええ。ほんとに見に来てるだけ」
それが一番嫌だった。
私は袖から霊符を四枚抜いた。
「封じるんじゃなく、癖をずらす」
「ずらす?」
エリシアが聞く。
「同じ場所を触られても、返る手応えを変えるの」
王女はすぐに理解した顔をした。
「偽の反応を混ぜるのですね」
「話が早くて助かる」
私は柱の四方へ札を打つ。
「留。巡。返。紛」
淡い光が結界の表面を這い、歪みの線がふっとぼやけた。
外の闇の中で、また小さく光が揺れる。
今度は迷ったみたいに。
「効いてる」
サトリが言う。
「うん、嫌がってる」
「嫌がるって言い方」
「だって、そう見えるもん」
確かにそうだった。
触れる位置が定まらない。
何度か試して、少し遠ざかる。
雑だ。
でも、向こうも完全な馬鹿じゃない。
その時、神官見習いがふらついた。
フィーナがすぐ支える。
「大丈夫ですか?」
「す、すみません……」
「無理してたのね」
私が見ると、その子は泣きそうな顔で頷いた。
「揺れるたびに、押し返せって言われて……でも、どこを押せばいいのか……」
私は結界柱を見て、それから神官見習いを見た。
「そりゃそうでしょ」
少しだけ息を吐く。
「仕様の説明も調整もないまま、現場に立たせてるんだから」
エリシアの顔がわずかに曇る。
これもまた、砦の雑さだ。
「王女様」
ルークが低く声をかける。
「この見習いは下げるべきです」
「ええ。下がりなさい。代わりの者を」
「すぐに」
兵が走る。
その動きを見ながら、悠真が小さく言った。
「……また、知らないところで無理してる人がいるんですね」
その声は、たぶん自分にも向いていた。
私はそっちを見ないまま答える。
「いるわよ。勇者だけじゃない」
少し間を置いてから続ける。
「でも、だからって全部拾おうとしない」
悠真は黙る。
それから、小さく「はい」とだけ言った。
前よりいい返事だ。
外の闇は、また少しだけ動いた。
でも、さっきより遠い。
こちらの反応は見られただろう。
結界の癖も、少しは読まれたかもしれない。
それでも、まるごと渡すよりはずっといい。
私は最後の札を柱へ貼りながら、小さく呟く。
「守る気があるなら、最初から壊れにくく組みなさいよ」
リゼが笑いを噛み殺す。
「ミツネ、それ結構好き」
「好きじゃなくて事実」
後鬼が静かに目を細めた。
「本日も鋭いですね、ミツネ様」
「褒めなくていい」
でも、少しだけ気は晴れた。
全部は止められない。
全部は救えない。
それでも、雑に回っているものへ一つずつ手を入れることはできる。
西門の上を風が抜ける。
夜は深くなっていく。
砦の結界。
夢への干渉。
補給路の探り。
黒い刺。
全部ばらばらで、でも根っこが似ている。
ちゃんと見ない。
壊れ方を軽く見る。
押して動かせればそれでいい。
この世界は――
綻びの扱い方まで、雑すぎる。




