第23話 砦に残る記録
私がエリシアとの話を終えて部屋へ戻るころ、砦はさらに慌ただしさを増していた。
夕方が近いせいか、交代の時間なのだろう。
壁際では兵が槍の点検をしていて、通路の向こうでは補給係が帳面を抱えて走り回っている。
こういう場所では、落ち着いている方がかえって目立つ。
「遅かったな」
部屋へ戻るなり、ガルドがそう言った。
前鬼は相変わらず部屋の隅で腕を組み、つまらなそうに壁を見ている。
後鬼はその少し後ろで静かに立っていた。
悠真はルークたちと地図を見ていたらしく、私を見ると少しだけ表情を緩めた。
「大事な話でもしてたのか?」
ガルドの問いに、私は肩をすくめる。
「大事じゃない話をわざわざ別でしないでしょ」
「ごもっとも」
リゼが椅子に座ったまま、面白そうに私を見上げる。
「で、何か進展は?」
「記録を探すことになった」
「記録?」
フィーナが首を傾げる。
ちょうどその時、エリシアが部屋へ入ってきて、その問いに答えた。
「王家の古記録と、神殿由来の伝承です。勇者や加護に関する古い話が残っているかもしれません」
その言葉に、弓兵のカルドがすぐ反応した。
「でしたら、砦の保管庫にも複写があります。前線記録と合わせて、いくつか持ってこられるかと」
「優秀」
私が言うと、カルドは少しだけ姿勢を正した。
「恐れ入ります」
ベルンが小声でぼやく。
「俺もたまには褒められたいんだが」
「まず静かにしろ」
ライオネルの返しは今日も早い。
エリシアはカルドに視線を向けた。
「お願いします。勇者に関する記録、加護に関する記述、神託に関するものもあれば」
「承知しました」
カルドが部屋を出ていくと、空気が少し静まった。
悠真が少し間をあけて話し出した。
「記録って……そんなに古いものまで見るんですか」
「見るわよ」
私が即答すると、悠真は少しだけ苦笑した。
「なんか、本当に調べてるんだなって実感します」
「今さら?」
「今さらです」
リゼがくすっと笑う。
「勇者、だいぶ慣れてきたわね」
「慣れたくて慣れてるわけじゃないです」
「でも前よりはマシな顔してる」
そこは否定しない。
私は卓の上の地図に目を落とした。
北側の補給路に引かれた線は細く、頼りない。
赤い印は増えていた。
魔王軍の斥候。
補給路の圧迫。
前線の状況。
砦は持っていても、余裕はない。
「京ちゃん」
サトリが肩の上で小さく囁く。
「この砦、いろんな思念があるけど」
「なにが」
「みんな、何かにすごく焦ってる」
サトリの言葉を聞きながら待っていると、
しばらくしてカルドが数冊の帳面と、紐で綴じられた古びた冊子を抱えて戻ってきた。
「お待たせしました」
卓の上に置かれたそれは、見た目からして嫌だった。
紙が古い。
革表紙が擦り切れている。
読みにくそう。
でも、こういうのほど当たりがある。
「神殿からの写しが二冊、王家の古記録が一冊、前線報告の抜粋がこちらです」
カルドが順に示す。
エリシアが一冊を開く。
私は別の一冊を引き寄せた。
文字は古いが、読めないほどではない。
この世界の文字にもだいぶ慣れてきた。
「どれ」
リゼが身を乗り出す。
「勇者の過去例」
「そんなの残ってるの?」
「残ってなきゃ今から探さないでしょ」
私は頁をめくる。
勇者の戦果。
魔王軍への勝利。
神託に導かれた聖戦。
英雄譚として整えられた文章がしばらく続き、そのあと急に筆致が変わった。
私は指先で一行をなぞる。
「……あった」
エリシアが顔を上げる。
「何か?」
「“夜毎に神託を聞き、眠り浅く、日中なお光を失わず”」
部屋が静かになる。
私は続きを読む。
「“その身に疲労あれど、加護これを覆い、臣下もまた異変を見誤る”」
悠真が小さく息を呑んだ。
リゼが顔をしかめる。
「それ、まんまじゃない」
「ええ」
私は頁を戻す。
「しかも一例じゃない」
別の頁にも、似た記述がある。
表現は少し違うが、内容は同じだ。
夜に神託。
眠れない。
それでも昼には動ける。
周囲は消耗を軽く見る。
「……昔からあったのね」
フィーナの声が震える。
エリシアは口元に指を当てたまま、じっと記録を見ていた。
「神殿では、これをどう解釈していたのですか」
私が聞くと、エリシアは低く答える。
「試練、あるいは神に近づいた徴候として」
「便利ね」
思わずそう言うと、ライオネルが苦い顔をした。
「笑えん」
「笑ってない」
もう一冊をめくる。
こっちは前線記録らしい。
数字と日付が多い。
その中に、妙に気になる報告があった。
「斥候の動きが変」
ルークがすぐ反応する。
「どこだ」
私は頁をずらした。
「補給路そのものを断つ動きじゃない。物資を奪うでもなく、砦の位置を探るでもなく――勇者が通った直後の経路を重点的に見てる」
カルドの表情が固くなる。
「……進行確認」
その言葉が、やけに嫌だった。
女神も。
魔王軍も。
勇者を“進行”で見ている。
もちろん意味は違う。
でも、言葉の重なりが気味が悪い。
後鬼が静かに言った。
「両方が勇者様を中心に測っている、ということですね」
「嫌な測り方」
私が答えると、前鬼が欠伸混じりに言う。
「要するに、あいつが歩くとみんな面倒くせぇんだな」
「雑だけど、外してはいないわね」
前鬼が少し得意そうな顔をする。
腹立つ。
ユリウスが、ためらいがちに口を開いた。
「勇者様が象徴として見られているのは、わかります。ですが、魔王軍までそこを見ているのなら……」
「勇者の位置そのものが情報になっている」
ルークが言葉を継いだ。
「それだけ重要ということだ」
悠真は黙っていた。
でも、肩にまた少しだけ力が入っている。
私はその横顔を見る。
知れば知るほど重くなる。
それでも知らないままではもっと危ない。
「悠真」
「……はい」
「今のは全部、あなたの責任じゃない」
彼は私を見る。
「でも」
「でもじゃない」
少し強めに言う。
「重要視されてることと、背負うべきことは別」
エリシアが小さく頷いた。
「その通りです」
王女の声が入ると、少しだけ空気が変わる。
「記録は続けて集めます」
エリシアが言う。
「神殿由来のものは、もっと慎重に探らないと表へ出ません。ですが、王家側の保管庫にはまだ未整理のものもあります」
「見せてもらえるなら見たい」
「手配します」
その返事は早かった。
カルドが記録を束ねながら言う。
「砦の外でも、補給路周辺の魔物の動きに妙な偏りがあります。今夜には報告がもう一件上がるはずです」
「偏り?」
「襲うでもなく、避けるでもなく、何かの前触れのように」
嫌な言い方だ。
嫌な時ほど当たる。
私は帳面を閉じた。
「今夜は静かじゃ済まないかもね」
ガルドが笑う。
「お、やっと前線っぽい話になってきたな」
「前線なんだから最初から前線よ」
「それもそうか」
リゼが机に頬杖をつく。
「でも、これでだいぶ見えてきたわね」
「何が」
「勇者が特別なんじゃなくて、扱いがずっと雑だったってこと」
私は頷いた。
「しかも昔から」
エリシアは記録を見下ろしたまま、静かに言う。
「繰り返していたのですね」
その声は、王女のものというより、一人の人間の落胆に近かった。
私は返事をしなかった。
ここで安い慰めを入れても意味がない。
必要なのは答えじゃない。
次にどうするかだ。
窓の外で、風が少し強く吹いた。
遠くで鐘が鳴る。
交代の合図か、それとも別のものか。
砦の空気が、ほんの少しだけ張った気がした。
私は顔を上げる。
補給路。
前線。
古い記録。
勇者。
加護。
夢への干渉。
全部が少しずつ繋がり始めている。
そして、その線の先にあるものは、たぶん静かには済まない。
この世界は――
繰り返し方まで、雑すぎる。




