第21話 銀の王女との再会
午後の日差しが少し傾いたころ、街道の先に石造りの小砦が見えてきた。
大きな砦ではない。
けれど、街道を押さえるには十分な規模だ。
灰色の壁の上に見張り台があり、その頂に翻る旗は、交易都市ヴァルミナで見た見覚えのある紋章だった。
「エストリアの旗ね」
私が言うと、ルークが頷いた。
「魔王軍に対処するための前線補給砦だ。この辺りを通るなら、一度は寄ることになる」
砦の周囲には荷車が並び、兵たちが忙しなく行き来していた。
箱に詰められ積み上げられた食糧。
布で包まれた矢束や水樽。
人の手でようやく戦場を繋いでいる、中継地点みたいな場所だ。
こういう場所は嫌いじゃない。
雑に見えて、意外と色々なものが見える。
物資の流れ。
人の疲れ。
前線の空気。
そして、管理の綻び。
「京ちゃん、あれ」
肩の上のサトリが耳を立てる。
砦の門前に並ぶ兵の中、その奥に一人だけ目立つ影があった。
銀の髪。
真っ直ぐな背。
飾り気は少ないのに、不思議と視線を引く立ち姿。
「……エリシア」
私が小さく呟くと、悠真が目を瞬かせた。
「知り合いなんですか?」
「最初にこの世界で会った人」
門が開き、砦の兵士たちが左右へ避けて道を空ける。
けれど、その視線のいくつかは勇者よりも、私の後ろへ向いていた。
前鬼。
そして、後鬼。
赤い巨体の前鬼を見て、兵の一人が思わず槍を握り直す。
一方で、後鬼へ向いた視線は、警戒だけでは止まらなかった。
長い黒髪。
白い角。
静かな青い気配。
人ではないとわかるのに、妙に目を奪う。
見張り台の若い兵が一瞬言葉を失い、門番の片方は視線を外すタイミングを見失っていた。
「……なんだ、あれ」
「魔物、なのか?」
「いや……あんなの、見たことがない」
後鬼はそんな視線を受けても、まるで気にした様子がない。
ただ静かに目を細め、砦の空気を見ていた。
前鬼は逆に、にやりと笑う。
「おう、見ろ見ろ」
「黙りなさい」
後鬼が冷たく言う。
それだけで、前鬼は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
門の中央を、エリシア・ヴァルステラがこちらへ歩いてきた。
銀の髪は以前と変わらず美しい。
だが、その表情にはヴァルミナで会った時よりも、はっきりとした疲労があった。
後ろには四人の騎士。
ライオネル。
カルド。
ベルン。
ユリウス。
懐かしい、というにはまだ日が浅い。
でも、ちゃんと生きていたことに、少しだけ安堵する。
「ご無事で何よりです、狐面の術者殿」
エリシアは静かに一礼した。
私は肩をすくめる。
「その呼び方、まだ使ってたのね」
「お気に召しませんか?」
「間違ってはいないけど、今は呼び方を変えてるの」
エリシアはわずかに口元を和らげた。
「では、いまは何とお呼びすれば?」
私は一拍だけ置いて答える。
「ミツネでいいわ」
「承知しました、ミツネ殿」
そのやり取りを、悠真が少し不思議そうな顔で見ていた。
まあ、そこはあとでいい。
エリシアの視線が悠真へ移る。
「勇者様。ようやくお会いできましたね」
悠真は少しだけ背筋を伸ばした。
「は、はい」
「私は、エストリア皇国第一王女エリシア・ヴァルステラと申します」
「よ、よろしくお願いします」
王女の挨拶は、前線の砦という場所でも綺麗な所作だった。
それを見て、悠真も慌てて頭を下げる。
ベルンが小声で言った。
「前より顔色はいいな」
ライオネルが肘で軽く制す。
「声が大きい」
「事実だろ」
小声のつもりなんだろうけど、普通に聞こえている。
エリシアは騎士たちの軽口を聞き流し、私へ向き直った。
「立ち話もなんです。中へ」
砦の中は、慌ただしかった。
通路を兵士が忙しく行き交い、机の上には地図が広がり、壁には補給路の線が何本も引かれている。
ヴァルミナよりも空気が乾いている。
前線に近いせいもあるだろう。
私たちが通るたび、兵たちの動きが一瞬だけ鈍る。
前鬼を見て身構える者。
後鬼を見て、目を奪われたまま立ち尽くす者。
特に若い兵ほど後鬼に視線を引かれているのがわかりやすかった。
見惚れているのか、怯えているのか、自分でもわかっていない顔だ。
後鬼はそんな視線を受けても平然としていた。
ただ静かに歩くだけで、余計に目立っている。
前鬼は逆に露骨だった。
「なんか、ずいぶん見られてるな」
「あなたは見られる側で黙っていて」
「理不尽だ」
「そういう顔で言うから余計にうるさいのよ」
王女に通された部屋は、もともと指揮用なのか、中央に大きな卓がひとつ置かれていた。
その上には北方一帯の地図。
赤い印がいくつも記されている。
前鬼は部屋の隅で腕を組み、露骨につまらなそうな顔をしていた。
後鬼はその少し後ろに立ち、黙ったまま室内の空気を観察している。
騒がないだけで助かる。
「まずは現状の共有を」
エリシアが言う。
その声で、部屋の空気が少し締まった。
「ヴァルミナはひとまず持ち直しました。ですが、北側の補給路に魔王軍の斥候が増えています」
カルドが地図の一点を指す。
「大規模な侵攻ではありません。探っている、という表現が近いでしょう」
「嫌な感じね」
私が言うと、カルドは真面目に頷いた。
「はい。まるで、こちらの進行をうかがっているようです」
その言葉に、私はほんの少しだけ眉を動かした。
進行。
向こうも、同じ言葉で勇者を見ている気がして、少しだけ気味が悪い。
エリシアは悠真を見た。
「勇者様のお力は、すでに各地で噂になっています」
悠真の肩がわずかに強張る。
「……噂、ですか」
「ええ。希望として」
エリシアはそう言ってから、一瞬だけ視線を伏せた。
「同時に、期待として」
やっぱり、この人はわかっている。
期待が重いことを。
それが人を削ることを。
私は黙ってその横顔を見る。
「ですが」
エリシアは顔を上げた。
「私は、勇者様をただの旗印として使うつもりはありません」
静かな声だった。
でも、芯はあった。
ルークが小さく目を細める。
フィーナはほっとしたように息をつく。
リゼは腕を組みながら、少し意外そうな顔をしていた。
悠真だけが、なんと返せばいいかわからない顔をしている。
「そういう顔をするでしょうね」
私が言うと、悠真はこっちを見た。
「え?」
「慣れてないのよ。期待されるのにも、気遣われるのにも」
エリシアがわずかに微笑んだ。
「ミツネ殿は、勇者様をよく見ておられるのですね」
「見ないと危ないから」
「危ない?」
その一言に、部屋の温度が少し変わる。
私は少し考えた。
全部はまだ話せない。
でも、ここで何も言わないのも違う。
「疲労が表に出にくいだけよ」
半分だけ、本当のことを言う。
「加護があるせいで、無理が無理に見えない」
ライオネルが低く唸る。
「厄介だな」
「厄介よ」
エリシアは悠真を見つめ、それから私へ戻した。
「ミツネ殿」
「なに」
「後で少し、お時間をいただけますか」
私は目を細める。
「内容による」
「勇者様のことと……もう一つ」
エリシアの視線が、ほんのわずかに揺れた。
「この世界の、女神様の在り方についてです」
部屋の中で、誰もすぐには口を開かなかった。
風が窓の隙間を鳴らす。
遠くで兵の足音が響く。
その全部の奥で、私は王女の言葉を反芻した。
この人も、少しずつ見始めている。
勇者。
加護。
期待。
そして、世界の雑な運用。
「……いいわ」
私は答えた。
「でも長くは取れない」
「十分です」
エリシアは深く頷いた。
その横で、ベルンが小さく息を吐く。
「なんか、砦の空気まで固くなってきたな」
「お前が緩すぎるんだ」
ライオネルが即座に返す。
ユリウスは黙ったまま、でもどこか真剣にこちらを見ていた。
後鬼が小さく微笑む。
「よく見られる日ですね」
「あなたが言うと嫌味に聞こえるのよ」
「事実ですが」
前鬼はつまらなそうに鼻を鳴らす。
「俺は見られても得しねぇぞ」
「十分目立ってるでしょう」
私は地図へ目を落とす。
北の前線。
魔王軍。
補給路。
勇者。
夢への干渉。
全部が別々に見えて、たぶん繋がっている。
そして、いま必要なのは派手な答えじゃない。
少しずつ、線を引くことだ。
この世界は――
期待の預け方まで、雑すぎる。




