13 十字架
「これ、二人で付けよ」
増矢から手渡された十字架のイヤリング。黒木の誕生日プレゼントととして増矢が一組買っていた。
「私は左耳に付けるから、紬は右耳に付けて」
しなやかで細い指が、黒木の耳たぶに触れる。
「ふふ。初めてのお揃いアイテムだね」
増矢のふわっと揺れる髪にマシュマロのような笑顔。この笑顔をずっと守りたいと心に誓った黒木。この時が幸せの絶頂だった。
「ねぇ。私のこと、ほんとに好き?」
増矢は、黒木の腕にべったりと絡みつき上目遣いに聞いてくる。照れる黒木は、目線を合わせずに淡白に答える。
「好きだよ」
こんなやり取りが一日に数回行われた。
初めは黒木も嬉しかった。増矢を可愛らしいと思った。しかし、それが日に日に何度も繰り返されるようになり、黒木は煩わしく思い始めた。
「あ! またあの鳥がいるよ」
増矢のアパートの三階、ゆるふわ系の可愛らしい女子部屋の窓からこちらの様子を見つめる黒色の文鳥。増矢の部屋を一望できる電柱の足場ボルトに止まっている。
嘴が虹色で珍しいため、二人で写真を撮っていた。以前は一週間に一度のペースで見かけていたが、最近は二、三日に一度のペースだ。
「ねえ。あの鳥、実はロボットで紬が私の事を監視する為に遠隔操作してたりする?」
「何それ。しないよ、そんな事」
「ふふ。安心したぁ。紬、クールでドライな所があるから、私の事監視して、陰で浮気してるんじゃないかなって心配だったの」
「何それ」
ぶっ飛んだ発想に引いてしまう黒木。そして増矢のことを少し不憫に感じた。黒木自身が積極的に愛情表現をしない性格な為、それを不安に感じさせてしまった事には、素直に申し訳ないと思った。
「紬は私の事捨てないよね?」
黒木の裾を掴んで、悲しそうに、恨めしそうに黒木の瞳の奥を覗く増矢。
「捨てないよ」
「あ! 今めんどくさいって思ったでしょ? 何で目線を合わせてくれないの?」
「……」
もう限界だと思った。それと同時に、黒木は自分自身を冷淡な性格だと改めて感じた。
後輩が自殺した時も、今も、黒木の心の中には無表情の自分が居る。喜びも悲しみも何も感じない自分。無の自分が居るおかげで、黒木は心の平穏を保っている。
今も、何も感じない。隣で泣き崩れる増矢。何と声をかけるのが正解かも分からない。ただ、二人の関係はもう終わりにすべきだと黒木は悟る。この関係性に疲れ切った黒木自身の為にも。増矢の為にも。黒木よりも愛情表現をしてくれる、別の素敵な女性と増矢は一緒になるべきなのだ。
「もう終わりにしよう」
嗚咽しながら泣きじゃくる増矢の背中に黒木は小さな声で、しかし固い決意を持って語りかける。増矢はピクっと時間が止まったかのように静かになった。
「……酷いよ紬」
増矢の声は、泣き過ぎて掠れている。そして、その一言を発した途端、一気に増矢の体からドス黒い闇が溢れ出す。
増矢の可愛い部屋から一瞬にして真っ暗闇に飲み込まれた。
「えっ……」
黒木は状況が理解出来ずにいた。真っ暗闇の中、見覚えのある虹色の嘴が現れた。
「紬。今すぐSOGIESCになるべきよ。でなければ悪夢んに殺されるわ」
黒木は一瞬の出来事に頭が真っ白になった。
真っ暗闇からぼんやりと姿を見せたのは俯いたままの増矢。手には負のオーラを纏った包丁が握られている。
「包丁だなんて……。無生物の悪夢んなんてタチが悪いわ。主を操って攻撃してくるから、まずは雛菊の動きを止めるべきね」
「さっきから何を言ってるの……? あなた、ただの鳥じゃないのね?」
「私はアライ。雛菊は負の感情が溢れて、悪夢んという人を殺す悪物を産み出してしまったの。このままでは包丁の形をした悪夢んに紬は殺されてしまうわ。私が紬に力を与えるから、戦って悪夢んを始末してほしいの」
「そんな事、いきなり言われても……」
黒木はパニックになっていた。しかし、包丁に体を操られた増矢がゆっくり黒木に近付き、襲いかかる。
「いやっ!」
咄嗟に屈む黒木。体制を崩す増矢。躱したかと思ったが、黒木の右頬に包丁が擦りツーっと血が滴る。十字架のイヤリングが揺れる。
増矢は、再びゆっくりとした動きで黒木に迫る。殺されるかもしれない恐怖で目に涙を浮かべ、唇を震わせる黒木。
「いや……死にたくない!」
「紬! 手の甲を出して!」
アライが声を張り上げる。言われるがまま右手の甲をアライに向ける黒木。
「あなたは死なないわ、紬。式典完了よ」
「成」
全身黒色のタイツ姿に、暗闇の中輝く日本刀。紬の右肩にはアライが載っている。
「まずは雛菊の動きを止めて、悪夢んと雛菊を離すべきね」
「でも、どうやって……」
「紬、あなたなら大丈夫。頭の中でイメージして」
黒木はぎこちない動作で日本刀を構える。
黒木が初めて告白をして付き合った彼女。増矢に対しての情はまだちゃんと残っている。恋愛感情は薄れてしまったが、増矢には別の人と幸せになってほしいと思う気持ちは嘘ではない。
「暗黒沈静」
天から増矢の背後に十字架が降って来て、すぐさま増矢の自由を奪い、磔の状態にする。
「流石ね、紬」
黒木のイメージ通りに増矢の動きを止める事に成功する。
増矢の右手には、淀んだ雰囲気に包まれた包丁が握られている。
「後は、あの包丁を何とかすれば……」
「紬、気をつけて」
黒木は日本刀を腰に差し、両手で包丁の形をした悪夢んに触れる。その瞬間、瘴気にあてられ意識が朦朧とする。アライが大声で黒木の名を呼ぶが、黒木の耳には届かない。アライは咄嗟に嘴で黒木の頬をつつく。痛みで我に帰る黒木。
「今すぐ悪夢んを離して、紬!」
言われるがまま、包丁の悪夢んを地面に叩きつける。
「はぁ……はぁ……」
黒木は自身が生死をかけた戦いをしている事を実感した。一瞬の気の緩みが死を招くのだ。
「紬、油断しないで。確実に仕留めるべきよ」
黒木は再び日本刀を構え、目を閉じて集中する。
「白黒分明!」
包丁の悪夢んを斬っているはずだった。いや、確かに切っ先は悪夢んを捉えている。その手前に増矢がいて、増矢の胸を貫通している事を除けば完璧だ。
「いや……どうして……」
黒木は大粒の涙を浮かべ、声も震えている。
増矢は、拘束していた十字架から抜け出していた。悪夢んを守る為に盾となったのだ。
「ふふ……。やっと目を見てくれたね、紬……」
「雛菊……ごめん……ごめんなさい……」
「久しぶりに名前、呼んでくれたね……嬉しぃ……」
マシュマロのような笑顔の増矢。
「紬と付き合えて……幸せ……だったょ……」
「私のせいでこんな事に……」
「謝らないで。私って、いつもこうなの……。毎回、付き合った人に重いって言われて……ゴホッ……振られてた……から……。幸せに……なって……ね────」
笑顔のまま息を引き取る増矢。黒木の絶望の叫びが暗い部屋に響く。アライは静かに目を閉じる。
悪夢んは、塵と消えていた。
後日。アライから説明を受ける黒木。
「悪夢んが関わる事件、事故は、天災や不審死として処理される。紬がこの国の法律で裁かれる事はないわ。アナタは健闘した。雛菊の事は残念だけれど、自分を責めるべきではないわ」
黒木は右耳の十字架のイヤリングにそっと触れる。
黒木は、誓う。もう誰とも付き合わないと。人並みの幸せに憧れたが、付き合う人が亡くなるのはもう勘弁だ。増矢をこの手で殺してしまった罰として、生きている限り悪夢んと戦い続けるべきだ。自分は幸せになっていい人間ではないのだ。せめて、より多くの人の為になる行動をすべきだ。
十字架のイヤリングが揺れる。




