第3話 ストックの手書
「元気にやってた? って、なにそれ、冗談? 冗談ならえーと、元気にやってたよーで、いいのかな? フフッ、変なの!」
真宏は少し驚いたような表情をし、また微笑んだ。
「元気なら、いいんだ」
「なんか真宏って不思議な人だね。おとぎの国から来たみたい」
「君に言われたくないけど、まあいいや。じゃあね」
「うん、明日」
ちょいちょいっと手を振って、また歩き出そうとしたら、なんと、本が落ちていた。本なんてあまり道端で落とすようなものでもないし、意図的に道端に置かれたようにも思える。
なんせその本、不思議なオーラを放っていたのだ。まるで、芸能人かなにかのように、異色を放つその本。
少し雨に濡れているが、躊躇することなく手に取ってみると、なんだか不思議な気分になった。
道端に落ちていたにもかかわらずきれいな碧いその本は、ちょうど愛莉の顔位の大きさ。金色で装飾を施してあるその表紙はまるで、魔法の呪文でも書かれているかのように、不思議なオーラを放っていた。
そしてまた、その本のタイトルも金色で、『ストックの手書』とあった。
「…ストックの手書。なんだろう。在庫の手書?」
在庫、という意味を表す『ストック』という言葉。愛莉はあまり使うことが無いが、ビジネスマンである愛莉の父はよく使っている言葉だ。
『在庫の手書』、だなんてわざわざ書かれている本、見たことがない。その本が持つ不思議なオーラにも、愛莉はそそられていた。
「うーん、落とした人が悪い! 読んじゃおっ!」
思い切って最初のページを開いたとたん、愛莉は不思議な感覚に包まれる。本を開く前にかすかに感じていた不思議なオーラ、それが溢れ出してきた、とでも言おうか。
それはそれは、愛莉でさえ想像できなかったほどの、強力で、膨大な何かを物語っているように。そして、ありったけの幸せとともに、愛莉を歓迎するように。
「虹のふもとにて、天をかける龍のもとに忠誠を誓え」
開いたそのページに書かれた一文を、自分でも気づかないうちにつぶやいていた。
何かが起きるかもしれない。そのドキドキ、ワクワクする気持ちは、愛莉の心拍数とともに高鳴っていく。
逸る気持ちを抑えながら、次のページをめくる。
本は白紙。次のページも、またその次のページも、次も次も次も、ずーっと白紙だった。
「なんで? なんでなんで!?」
次々とページをめくっていくが、何かが書かれているページは見当たらない。しかし、おもしろい物語が始まるかもしれない前で、『あきらめる』という言葉は愛莉の辞書にはない。諦められないという気持ちが高昇る中、愛莉の本をめくる手が本の半分くらいまで来たとき、ふと、ページをめくるときになにかが「ペコッ」という音がした。
前のページに戻ってみると、そこには一枚のしおりが挟まっていた。白だけの、シンプルなしおりだったが、本からとって裏面を見てみると、華憐な赤いストックの花の絵がえがかれていたのだ。なんと、愛莉が庭で育てている花だ。今一番、きれいに咲いている。
そして、愛莉はやっと理解したのだ。
「あぁ、ストックって、在庫じゃなくて、花の方か」——と。
*
『虹のふもとにて、天を駆ける龍のもとに忠誠を誓え』——どことなく暗号チックな雰囲気がただよっているけれど、そのまま解釈していいのだろうか。
「…完全にファンタジーじゃん!」
暗号、なんて言われても、推理小説の一冊も読んだことのない愛莉には分からない。たとえそれがファンタジックな暗号だとしても、ね。
「あ、麗美に聞いてみるか。まあ、また変な物拾ってきたって言われるだろうけど」
草花に、きれいな石。落とし物に、そしてときどきごみなど、愛莉はこれでもコレクターなのだ。
昔愛莉が初めてディズニーランドに行ったとき、キャストさんが何かを嬉しそうに拾っていたので、「何を拾っているの?」ときたら、「夢のかけらですよ」と言われて、かっこいいな、と思ったことを今でもはっきりと覚えている。
それからというもの、ごみ拾いは愛莉のポリシーであった。信じられないことに、案外きれい好きだ。まぁ、拾ってきた綺麗なものは大体棚などの上に飾ってあるので、たまってくると麗美に怒られ、適当な箱に突っ込まれるのだが。でも今日拾ってきた本は、これまで拾ってきた物よりとても神秘的なので、麗美もきっと驚いてくれることだろう。
愛莉はその薄水色の本をそそくさと使い込んだランドセルに入れ、家路をたどる。
しかしあの本、きっと他に所有者がいたのだろう。辞書みたいに分厚いし、表紙もとってもきれいで高そうなこの本。なにより、本から感じたあの芸能人なみのオーラからして、所有者も只者じゃないことは確かだ。
「いつか会ってみたいなー」
ひとりで、つぶやく。勝手に拾ってしまったことは悪いと思っているが、あのままにしていたらきっと雨に濡れて本はだめになってしまうし、私が持っていたらいつか所有者が取りに来るのではないか、なんて考えたりして。
それに、挟まっていたあの赤いストックのしおりもなかなかセンスがいい。花が大好きな愛莉とも気が合いそうだ。と、そんなことを考えていると、あっという間に愛莉の庭が見えてくる。花が大好きな愛莉がガーデニングを極めて極めて極めつけた紅家の庭。小さいころからこつこつと積み上げ、四季折々の花々が咲き誇っている小さな花の王国は、今や完全に愛莉の所有物である。そのおかげで、愛莉のガーデニングスキルはもうプロレベル。お世辞ではなく、本当にプロレベルなのだ。
ダリア、パンジー、ビオラにコスモス、色とりどりの花々に目を向けて、「ただいま」と心の中でつぶやく。
心を落ち着かせてくれる場所、愛莉だけの庭をざっと見渡すと、ふと、一つだけ目立った花があることに気が付いた。庭の隅に、一輪だけの赤い…赤いストックの花だった。
(あんな隅っこに植えたはずないのに、なんで…)
愛莉はランドセルから拾った本を取り出し、もう一度しおりを確認した。赤い、ストックの花。角度の問題かもしれないが、愛莉の庭に咲いているストックと、しおりに描かれているストックの花は全く同じに見えるのだ。それに、魅力にひきつけられるこの感じ。まさに本を拾った時に感じたものと同じものだ。愛莉はドキドキ、ワクワクしながら花に導かれるがままのに近づいていく。現実世界を生きる、誰が想像しただろうか。
「お姉ちゃん、おやつがあるよ…って、え!?」
眠り姫がつむに触るように、優しく、優しく——
「れみっ!!」
その花に触れた瞬間、愛莉はこの世界から消えたのだ。誰も、何も言わなくて、ただ、愛莉の妹を呼ぶ声が、麗美の中でこだましていた。




