第1話 はじまり
「お姉ちゃん、お姉ちゃん! 起きてっ!!」
妹の麗美の声にはっと目を開けた。窓から差し込む光が眩しく、思わず目を細める。
「大丈夫? うなされてたよ」
ベッドの上に無造作に置かれた目覚まし時計を見ると、7時50分を指していた。
「えっ? えっ、嘘! どうしよ、遅刻!」
変な夢を見ていたせいで、寝坊してしまったようだ。
「大丈夫だよお姉ちゃん。私がお姉ちゃんの用意、全部終わらせておいたから」
やっぱりか…愛莉は自分の体を見ると、既に着替えさせられていることに気づく。
おまけに髪まで、いつもの三倍くらい綺麗に結ってあるものだから、感謝で言葉が出ない。愛莉を寝かせながら、どうやってやったのかは謎だが… 愛莉は、もう麗美は魔女じゃないかと半信半疑だ。
「さあ、早く行こっ!」
「う、うん」
愛莉は起きあがり、麗美によって時間割が整えられたランドセルを背負いながら部屋を飛び出した。
麗美の大きくて丸々とした目、赤らむ頬、年齢にしては少し小柄な麗美は美少女としか言いようがない。今年10歳になる麗美は愛莉より2歳年下であるにも関わらずしっかりとしている…というよりは、姉の愛莉が大好きなだけかもしれない。その的はずれな性格も愛らしいと、愛莉は思っている。
「麗美? 愛莉は連れてきてくれた?」
キッチンにいる二人の母、永久は階段にいる麗美に、いつものみずみずしい声で言った。
「うん」
麗美はこくりと頷いた。
「おはよーお母さん、んん?」
「愛莉おはよう。寝ぼけてないで、もう遅刻寸前よ!早くいきなさい!」
「わかってるよー」
そう言って永久は階段をドタドタと下りてきた愛莉にバターの塗られた食パンを手渡す。
いつも厳しい永久であるが、こういうときは愛莉も思わず、そっと笑顔をほころばせてしまうのだ。
姉妹は元気良く言って、いつもの学校への道のりの一歩目を歩みだした。
今日も、晴れだ。
愛莉の好きな、きらっきらのおひさま。その光を浴びているだけで、エネルギーをもらえる気がする。
秋のど真ん中、少し肌寒くなり始めたころだろうか。心地よい秋晴れに背中を押されながら、一歩ずつ歩いていく。
学校までの見慣れた道のりも愛莉の好きなもののひとつ。東京の郊外ともあって、マンション、一軒家、アパートなどが立ち並ぶ、お店の一軒も見当たらないような住宅街、その中にたたずむ、ひときわ目立った雑木林の入り口に、ひっそりと入っていく。
「お姉ちゃん、またそっちいくの? 先生に怒られるよ。」
「あの時は…こーちゃんがみがわりになってくれたし。それに、近道しないと間に合わないかもでしょ?」
残り少しの小学校生活、愛莉の、自分だけの通学路を満喫しておきたい。
「しょうがないなぁ。」
そう言いながらものしのしと付いてきてくれる麗美はいつもと変わらずお姉ちゃんっ子だ。
雑木林の中では、外の世界とは遮断されたような不思議な気分になる。優しく響く虫の声、柔らかい土を踏む音、木の葉のさわさわ揺れる音、全てが外とは何かが少し違う。違うからこそ、愛莉はそこを愛し、中に入っていくのだ。
*
――紅 愛莉――。いつも、白いTシャツに柄もののひらひらしたロングスカートをはいている女の子。
そして、そこにいるかの様で、いない様な女の子だ。
不器用で、天真爛漫、おしゃべりで、いつも面白いことを言ってみんなを笑わせている—— そんな時にも、なにか違うことを考えているかのようだ。
本当に、体をおいて心がどこかに行ってしまったようだ。いつもどことなくぷかぷかしていて、それでいて何事にも真剣である。
それは別として、愛莉は東京の郊外に住む普通の小学六年生である。肩につくぐらいの髪を、赤いリボンでハーフアップにして、目なんかぱっちり丸くて、自分では結構かわいいほうだと信じているが、愛莉は俗にいう、『はなぺちゃ』で、愛莉は結構気にしてたりもする。
ちなみに、愛莉は中学受験を控えた受験生だ。愛莉が四年生の時、自ら、中学受験したい!と志願し、大手の塾に入塾した。今は、区内の、二、三番手くらいの私立中学を目指してラストスパートを駆け抜けているところだ。
もちろん、その学校を志した理由は制服がかわいいから、というのは誰にも言っていない。私立中は校則がきつい、とよく言われるが、愛莉はスカートは長ければ長いほど良かった。ウエストがきゅっとしまったワンピースタイプの制服は、くるっと回った時に、ひらひらしてかわいい。動きにくいという短所はあるが、昔の貴族はそんなに動かなかったそうだし、愛莉も貴族の一味に入れてもらうことにしていた。なるべく運動なんかはさけたい。
なんせこの運動オンチ、五十メートル走十二秒台の鈍足である。からかわれるのは、こりごりだ。
そして愛莉の一番好きな物、それは本だ。毎日、少しでも時間があればとにかく本をよんでいる。読書家といっても、愛莉はファンタジーしか読まない。推理小説など、一度も読んだことないくらいだ。
食わず嫌いならぬ、読まず嫌いともいえるが、おそらく、いや、確かに、そのジャンルの偏りが、夢見る少女、愛莉を作ってきたのだろう。
好きな物は好き、嫌いな物は嫌い、そういうけじめも愛莉なのだろう。
*
「………近道しないと間に合わないって言ったのはお姉ちゃんなのに、歩いていくの?」
森の中、麗美は石ころを蹴ったりしながらとぼとぼと愛莉の後ろをついて行っていた。
「もう、私は雑木林登校をたのしんでるの! ちょっとくらい遅れても、へっちゃらさっ!」
「お姉ちゃん…誤魔化してるのがバレバレだよ。もう、体力がないからって、素直にいえばいいのに。」
「もうもうもうもうっ!! 分かったから、早くいこ!」
そう言ったにもかからずほとんど変わらない愛莉のペースを、麗美はお姉ちゃんっ子として優しい目で見守ってあげた。




